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「発達障害」が分かるまで

おはようございます。
こんにちは。
こんばんは。

今日は、弟が発達障害という診断を
出された経緯について記録していこうと思います。
(私は当時、直接的に関わってないので
記憶を辿りながら綴っていきます)

2019年3月。ちょうど2年くらい前のことです。

そのころ私は学生で一人暮らしをしていて、
同じ福岡市内の少し離れたところで
母と弟が二人で暮らしていました。

ここから少し過去に遡ります。

弟は、中学2年生くらいのとき
おそらく人間関係のこじれが原因で、
だんだん学校に行かなくなり
病院で鬱病の診断が下されました。

そして中学3年生のときはほとんど全く
登校していません。

私の母は、障がい者に関わる
福祉の仕事をしています。

そんな母でも、そのときは
弟に発達障害があるなんて
思いもしなかったそうです。

そして弟は中学校を卒業し、
通信制の高校に入学しました。
通信制なのでほとんど
通わなくていいんですが、
課題の多さや、先生との意見の相違などにより
2回転校しました。
(一年留年して、今年やっと卒業できそうです。)

そんな過去を経て、

2019年3月。


このころ、少しずつ
弟の様子に変化が表れてきます。

今までは、
家から出ない、人に会わない、生活リズムの乱れ
などが、鬱の症状としてありました。

しかし、「お母さんに反発」
するようになったんです。

今思えばこれは完全に
発達障害の症状だと分かるんですが
“こだわりが異常に強い”

弟は潔癖症気味なところがあり、
「シャワーの時間が異常に長い」
「お風呂は浴槽が汚く感じるから入らない」
「手を洗う頻度と時間が異常に長い」
細かいけど。もちろんまだ他にもあります。


そして、ある日弟はいつものように
長時間シャワーを浴びて(出しっぱなし)
なかなかお風呂から出てこなかったそうです。
いつものことではあるけど、
母は次の日も仕事だから早くお風呂に入りたいし、
うちは裕福な家庭じゃないので
シャワー出しっぱなしっていうのも気になったんでしょう。
母が声をかけにいったそうです。
「早く上がってー」

浴室のドアを開けると、いきなり
母に向かってシャワーを向けて浴びせたそうです。

母はびっくりして、
多分ちょっと怖くなって
その日はどうすることもできず
一旦その件のこと考えないように過ごしたようです。

次の日、母が仕事から帰宅すると、
弟が家の中を荒らしていました。



このとき母は私に連絡してきましたが、
私も学校やバイトがあったので
会えたのはこの2日後。

母の仕事帰り、夕方に待ち合わせて、
事情を聞いて、
あとから弟も合流しました。

三人でご飯だけ食べて、
その日は私もお母さんの家に帰宅。

そして次の日。
3月21日。

母も私もお休みだったので
お出かけしようと
昼過ぎから博多へ出かけました。
弟は誘ったけど来なかった。

夕方カフェでのんきにお茶してると、
母の携帯に警察から連絡が。

「息子さんが家の中をめちゃくちゃにしたと自分から警察署に来られました。」


“いやいや、どういうこと?”
“とりあえずお店出よう?”

すぐには冷静になれず、
二人でどうするか考えました。

“まず弟を迎えに行ってから帰る?”
“一旦家の様子見た方がいいよね?”

数日前にも一度荒らしてたので、それよりも酷いんだろうなと思うと怖かったけど、
先に家の様子を見に行くことにしました。

恐る恐る玄関のドア開けると、
もう足の踏み場もなくて。

家中の物という物全てひっくり返され、
和室のドアは破かれ、
あらゆるところにイソジンがまかれ(これが最初血に見えてめっちゃ怖かった)
包丁が落ちてたり、
壁に卵が投げつけられてたり、
とにかくめちゃくちゃでした。


やってんなあ。

どういう気持ちでこんなことしたんだろう。
狂気的というか、
もはや殺意のようなものさえ感じて
めちゃくちゃ怖かった。


そして確か、弟の意向で
お母さんには一生会いたくない、恨みがある
なんて言い出して、その日は警察署に行かず、
でも行かないわけには行かないので
次の日の朝迎えに行って、
そのまま病院へ。

ここで初めて
「発達障害」の診断が下りたのです。

ADHD、アスペルガー症候群
それから、
強迫性障害

今思えば、気づけるタイミング
たくさんあったのに、
どうして気づかなかったんだろうと思います。

発達障害って、見た目じゃわかりにくいし、
グレーゾーンの人たちも世の中には沢山います。

とは言っても、もうちょっと早く気づいていれば。
こんなことにはならなかったのかも。

でも後悔したって意味はない。

多様性を受け入れて、
とよく言いますが、
きっと周りに当事者がいたら
そう簡単に受け入れることはできません。

私もなかなか、弟の障害を
受け入れることは難しかったです。

いまでも、ついイラッとしたり
感情的になってしまうことがあります。
わたしだって、人間だから。

でもそんなこと言ってられません。
受け入れるしかないんです。


そしてこのあと、
「お母さんに一生会いたくない」
「もう一緒に暮らせない」
と弟が言うので、
離れて暮らす父のところで
約2ヶ月間暮らすことになります。

このことが、弟の症状に
拍車をかける行動だとはわかっていませんでした。
もしわかってたとしても、
本人が嫌がってるから
そうするしかなかったんですが。


次回の記事では、
“父について”
“父の家で暮らした弟の心境の変化”
“発達障害者の家族の苦しさ”

などを書いていこうと思います。

ここまで読んでくださり
ありがとうございました。

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