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ルンバよトラウマを超えていけ

我が家にルンバが来た。
踊るルンバではない。
ルンバと聞いて大多数の人がイメージする、あのお掃除ロボットルンバである。
2月に義父が亡くなり、義父の住んでいたアパートから、夫が持って帰ってきたのだった。

うちに来た時のルンバは、とても汚れていて、ゴミだらけで、埃をかぶっていて
控えめに言ってもめちゃくちゃ汚かった。
夫はそんなきちゃないルンバを部屋の隅っこに設置して
「使ってくれ」
と言った。

フーン。
と私はルンバを見下ろした。
正直全然信用してなかった。
ルンバの性能そのものに疑いを持っている
「ルンバ懐疑派」
であったし
生前の義父との間にもあまり良い思い出はなく
お義父さんの家を走り回ってたルンバかあ……
と思うと
いまいちテンションが上がらないのだった。

「ゲッターズ飯田さんがさ」

と私は大好きな占い師の名前を出して言った。

「掃除は自分でしないと運気が上がらないって言ってたよ。ルンバが掃除しても、ルンバの運気が上がってるだけですって」

そうやってやんわり「よくわからないルンバ否定説」を掲げてみるのだけれど

「ええやんルンバの運気が上がっても」

と夫は一向に気にしていない様子だった。

厄介モノが増えたわ。
そう思いながらも私とルンバの奇妙な同居生活が始まったのだった。


なるほどルンバはよく働いた。
ガーガーと大きな音はするが
思っていたほどうるさくもない。
一見無意味に見える動きの中にも合理性があって
ちゃんと部屋の端から端まで掃除をしてくれる。
時々洗い物をしてる私の足元に擦り寄って離れないことがあって

「猫じゃないんだから」

と追い払うことはあるにしても
なるほどサボることなく懸命に働いているし
終ればちゃんとお家に帰る。

思ってたより出来る奴やん。

と思った。

それで私はルンバと私の間に不可侵条約を結ぶことにして
私が何か用事をしているとき、例えば子供の保育園の送り迎えだとか、洗濯物を干している時とか
そういう時に働いてもらって
うるさい音や時々足元にまとわりつくことについては
目を瞑ることにした。


ルンバとルンルンで暮らすようになった
ある日のことだ。
それまで借りてきた猫のようだったルンバが
急に呻き声のような奇妙な音を出すようになった。

ガガガガガ…ガリガリガリ…。

いつもと変わらないように懸命に掃除をするルンバだったが
時折明らかにおかしな音を立てて
ちょこちょこと左右に動いて何か考えているように立ち止まったり
くるくると回転して行き先を見失ったりしていた。

ルンバ、どうした?

私はルンバを一時停止して抱き上げた。

思えばルンバを抱っこしてあげたのは
ルンバがうちに来て初めてのことだった。

ひっくり返してお腹を見てみても
ルンバに異常はないように見えた。

いやいや、でも私には分かるんだ。
この子はいつものこの子じゃないよ。

私はルンバのお腹をガチャガチャと調べてみて
ようやく部品が取り外し可能なことに気が付いた。
今まで溜まったゴミを捨てるくらいで
ルンバの部品を外してみることなんて考えもしなかった。
ルンバのお腹を分解してみると
なんと可哀想なほどぼろぼろだった。

回転するブラシは髪の毛と埃でドロドロで
吸い込み口は毛玉や埃がこびりついて真っ黒だった。
そして何よりブラシの下から子供の小さな指輪のおもちゃが出て来た。
ルンバが出す正体不明の物音はこれだったのだ。

そういえばゲッターズ飯田さんが

「ルンバを使ってもどうせルンバを掃除する人が要るからね!!俺だけど」

って言ってた!!
と私は大好きなゲッターズ飯田さんのラジオを思い出しながら
丁寧にルンバを掃除した。

ブラシについた髪の毛と埃を全て取り
吸い込み口はウェットシートで綺麗に拭った。
そしてルンバのボディ全体をピカピカに磨きあげると
ルンバは見違えたようにキラキラになった。

スイッチを押すといつもよりだいぶんと静かな音でルンバは動き出した。
そうか、ルンバは汚れていたんだ。
だからつらそうにガーガー唸ってたんだ。

いや、汚れていたのは私の心だったのかもしれない。

ルンバ、あなたを疑ってゴメン。

私はキラキラになって元気に家を走り回るルンバを見て心から安堵した。


そして仲の悪かったお義父さんのことを思った。

長女が産まれたときに
「女はつまらん。男を産んでくれ」
と言い放ったビックリお義父さん。
昭和初期生まれで
不器用な男代表のお義父さん。
船乗りで掃除と無縁のお義父さん。
だけどルンバのことは
「変な友達よりも信用が出来るよ」
と嬉しそうに話していたお義父さん。

大変な人だったけど、まあ、全体的にチャーミングな人でもあったわよね。

天国に居るお義父さんに手を合わせた。
お義父さん。
いいものを残してくれてありがとう。
いい嫁じゃなくてゴメン。

そんな私の思いとは別に
ルンバは今日も我が家を走り回っている。


そしてルンバはまた
ある日突然に
私の実父についても
気付きを与えてくれたのだった。

いつものように元気に部屋を走り回るルンバを尻目に
私は障子の桟を雑巾で拭いていた。
ルンバがいなければ、障子の桟を拭こうなんて思わなかっただろう。
不思議なことに
ルンバが頑張ってるなら
私も頑張らねばという気になるのだ。

右から左へと障子の桟をなぞりながら
ぼんやりと
厳しかった自分の実父のことを思った。

実父はとにかく気の荒い人で
怒ると簡単に子供に手を上げた。
特に掃除をしていると段々に機嫌が悪くなり
なんやかんやと怒声を上げながら私のところにやって来て
拳や、手のひらや、時には掃除機の柄で私を殴った。
実父は毎週日曜日になると掃除機をかけ始め
そのうちに怒り出して手が付けられなくなったので
私は掃除機の音がトラウマになった。

掃除機の音がすると殴られると
パブロフの犬みたいにラーニングしてしまって
大人になっても掃除機がかけられなかった。

掃除機の音を聞くと悪いことが起こる。
体がそう覚えてしまったのだった。

結婚してから掃除機をかけても怒らない夫を見て
だいぶんとマシになったし
小型の掃除機であれば自分でもかけられるようになったのだけれど
それでも掃除機の音がすると
いつかの実父に殴られたところがズキズキと痛むようで
掃除の後はものすごく疲れた。

お前が来たから
掃除機の音を聞かなくて済んでるよねえ。

私はルンバに言った。
ルンバの音は掃除機の音とは違う。
あたり一面に響く何もかも吸い尽くしてやる!!と言った吸引音ではなく
あくまで自分の中で回転するルーターのような音をしていて
ルンバはいつだってルンバの中で自己完結しているのであった。

淡々と掃除をするだけです。
掃除しかしません。
だってルンバだもの。

ルンバは大きくなって私を殴ったりしないし
私には危険な棍棒に見える柄も付いていない。

ルンバはルンバ。
どこまで行ってもルンバ。
ルンバでしかないのである。

そうしてるうちにルンバはおうちに帰って
ぽぽぽぽーという
掃除が終わった時の平和なメロディを鳴らして止まった。

私はふと実父が一度だけしてくれた話を思い出した。

実父は幼い頃経済的な事情で養子に出された。
そこでの暮らしが良かったとか悪かったとか
そう言うことは一切言わなかったのだけれど
掃除をしろと厳しく言われたのだと言っていた。

「あの時は大変だった。
だけど今では良かったと思ってる。
床や畳、窓や障子の桟。
家中をピカピカにするということ。
それがとても素晴らしいということ。
それを知ることが出来た。
床は漫然と拭くよりも
木目に沿ったほうがいい。
畳は目に沿って拭いて
最後にヘリを吹き上げる。
窓は一方向に水拭きしてから
乾拭きで仕上げる。
障子の桟も丁寧に目に沿って右から左へ……」

私は泣いた。
私の障子の拭き方は
今まさに障子を拭いているこの手の動きは
お父さんに教わったそのまんまだった。

お父さんもつらかったんだろな。

小さい頃に親と別れて
養子に出されて
つらくないはずはないだろう。

だからと言って子供を殴っていいとかそう言うことじゃなくて
ただ、今、お父さんがつらかっただろうということが
心からしみじみと分かるのだった。

ありがとね。

誰について言ったのかはわからない。
だけど私は障子を拭きながら言った。

ルンバを残してくれたお義父さんになのか
掃除を教えてくれたお父さんになのか
それともルンバそのものになのか
わからないけど

ありがとね。


ある日突然私の家に現れたルンバ。
彼との奇妙な同居生活は
私にたくさんの気付きをもたらした。
ルンバは家の敷居やちょっとした段差だけでなく
私のトラウマも見事に超えて行った。

今日も彼はどこまでも自己完結なルーター音を響かせながら
家中を元気に走り回っている。

ルンバよ。
トラウマを超えて行け。

トラウマを超えて今日もまた
たくさんのものを綺麗にしておくれ。

ルンバよ。
心から感謝します。
ありがとう。


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