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ウイ文研の仕事納めの日に会津若松の天鏡蒸留所を取材で訪れる…

 昨年は27日の水曜日に社内で簡単なお疲れ様会、忘年会をやり、28日の木曜は福島県の会津地方にできた天鏡蒸留所に急遽取材に行くことに。東北新幹線と磐越西線を乗り継ぎ磐梯町駅に着いたのは1時過ぎ。駅は無人でタクシーも拾えず、天鏡のAさんに電話して車で迎えに来てもらうことに。天気が良く、駅前には会津の名峰、磐梯山が雪を山頂付近にまとって、その美しい姿を見せていた。

 蒸留所は駅から車で10分ほどの榮川酒造の敷地内にあった。榮川酒造は福島などでスーパーを展開するリオンドールの傘下企業で、蒸留所はそのボトリング工場の中に設えられている。写真などで見て、新しく建てたものだと思っていたが、そうではなく、ボトリング工場内のスペースを使って蒸留所をオープンしたのだ。

 私がリオンドールのウイスキー事業について聞いたのは、今から6~7年前のこと。事業を推進した、若き専務の小池駿介さんが、お父さんたちを伴ってウイ文研にやってきた時だった。イギリスに留学していてスコッチに出会い、一人でスコッチの蒸留所を回っていた。ぜひ日本で、いや福島で本格的なウイスキー造りをしてみたいと、熱く語っていたのを昨日のことのように思い出す。「どんなことでも言ってください。お手伝いできることがあれば、何でもしますよ」と、私のほうでも申し上げたが、小池さんはそれから何度もスコットランドに通い、プランを練っていたようだ。
 その後コロナ禍となり、気にはなっていたが、こちらからの連絡は控えていた。そもそもコロナで、それどころではなかったからだ。それでも私たちがフェスを再開すると、直接ではないが、何度かコンタクトをもらった。いよいよプロジェクトが動き出す…そう思っていた矢先に飛び込んできたのが、2022年4月の知床の遊覧船事故だった。まったく酷いことがあるものだと、普通にニュースを見ていたが、その後しばらくしてその船に小池さんが乗っていたことを知った。仕事で北海道へ行った際に、たまたま時間ができ、一人でその船に乗ったということだったが、知っている人が犠牲者の一人だったこと、よりによってそれが小池さんだったと知って、愕然としてしまった。
 それから1年半、いや2年近くたって今回蒸留所が竣工したことをニュースで知り、どうしても年内に訪れたいと天鏡の人に無理を言って、取材をさせてもらうことになった。まずは役員のOさんはじめ、製造部長のAさんらに話を聞き、それから蒸留所を案内してもらった。天鏡のワンバッチは麦芽1トン。設備はすべてフォーサイスで、ミルだけはポーティアスの中古だが、それ以外は木製の発酵槽もステンレス発酵槽も、もちろんマッシュタンもスチルもすべてフォーサイスで、プラン作り、設計は亡くなった小池さんが、自らフォーサイスに何度も出向き、決めたものだったという。書き直した設計図は19枚!細部まで小池さんのこだわりと、造るなら会津の地から世界に通用するウイスキーをという想いがヒシヒシと伝わってくる。

 発酵槽は木桶5基、ステンレス5基の計10基。スチルは驚いたことに初留2基、再留2基の計4基。しかも初留の2基は直火焚きである。さらに初留2基のスチルの冷却装置は1つはワームタブ、もう1つはシェル&チューブとあえて変えている。これは再留釜も同様で、これによって、直火・シェル&チューブと直火・ワームタブが、それぞれ再留シェル&チューブ、再留ワームタブの2つの選択が可能になり、計4タイプの造り分けがスチルだけでも可能になっているのだ。こんな蒸留所はスコッチを探しても恐らくなく、ましてやクラフトとしては破格の蒸留所ということができるかもしれない。これを考え出したのも、もちろん小池さんなのだ。

 訪れた時は、まだ蒸留免許がおりていなかったが、若き小池さんが夢見た、会津から世界を驚かす本格的なジャパニーズウイスキー。それがどんなものになるのか、私自身も今から楽しみにしている。

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