「瀬戸内セレナーデ」と宇高連絡船と母とうどん
幼少の頃、四国に行った。父と母が香川県出身だった。行きと帰りに乗ったフェリーを覚えている。座席ではなく絨毯の敷かれた広間のようなところにぺたっと座り、ゆったりした揺れに体をあずけた。
救命用具が壁にかかっていた。取り付け方の説明に女性の写真が使われていて、それが母親にそっくりだった。「これ、おかあさんににてるよね?」と僕が言うと、「ママだ」と弟が言った。姉も「お母さんにしか見えない」と言った。父も似ていると笑っていた。母本人も笑いながら、「あれ?いつ撮ったんだったかな」と、とぼけた。弟が「やっぱりママなんだ」と言った。
何年か前にそのことを思い出し、ネットで調べたことがあった。本当に母親に似ていたのかどうか、確認したくなったのだった。なかなかみつからなかたけれど、どなたかのブログにそのフェリーのことが書かれていた。日本からフィジーに移住したという方のブログで、かつては瀬戸内海で運行していたフェリーに現地で乗ったということだった。日本で務めを終えた船体は、海外に売られていたのだ。
今はそのブログもなくなってしまったようだ。ヤフーブログのサービス終了とともに消えてしまった。個人的に保存しておいたブログの写真と文章をを、ここに勝手に載せてしまってもいいものだろうか?と思いつつ、無断転載ごめんなさい。
今でも船が取り壊されずに利用されているのはうれしいことだったが、そうか、幽霊船のような状態になってしまったんだなあ。母親に似た人の写真も、すっかり汚れてしまって、、、
子どものときは瓜二つだと思ったけど、今見ると、そんなに似ていないような気もする。
香川県出身なので家族はもちろんみんなうどんが大好きで、母は「連絡船で食べたうどんが、今まで食べたうどんの中で一番美味しかった」といつも、今でも言っている。僕はフェリーに乗った記憶はあっても、うどんを食べた記憶はなくて、それを残念に思っている。
先日読んだ片岡義男さんのエッセイにもそのフェリーのうどんのことが書かれていた。「後にも先にも、宇高連絡船で食べたうどんほど美味しいうどんを食べたことがない、何十回も食べに通った」と書いてあって、母だけじゃないんだなと思った。
2019年に連絡船の運行がなくなり、連絡船内でうどんを食べることはできなくなったが、同じお店が、高松駅にあるらしい。
今、調べ直してみて驚いたのだが、同じチェーンのお店が東京にもあるらしい。
よく行く、池袋、上野、秋葉原にある。
しかも秋葉原のお店は駅構内のフードコートのようなところにあるのだが、何年も前からそこで食べていた。連絡船うどんを食べたい食べたいと思っていたが、味としては同じものを知らずにもう食べていたのだった。母に教えよう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?