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円安がなんだ、忘れるまいデフレ自殺者十数万人の下手人

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■「デフレ死」はなぜ等閑に付されたか

 何でもいいです。ウォール・ストリートのマーケット情報を扱うニュース番組を見てください。毎月の月初めに、第一金曜日を「●●はアメリカ雇用統計の発表日です」といった予告ニュースをよく目にします。これだけでニュースとして成立しているのです。発表される失業率に市場が敏感に反応するからです。

 実に不思議だと思いませんか。だって日本では雇用統計の発表がこのように扱われることはありません。アメリカでは、雇用統計は最も重要な経済指標の一つであると言います。その理由は、連邦準備制度理事会(FRB)が公開市場委員会で金融政策を決定する際、重要視する数字だからです。言い換えれば、アメリカの中央銀行は物価だけでなく失業率に責任を持っていると言うことです。これに対し、わが日本銀行は伝統的に「物価の安定」のみが最重要でありつつけました。

 なぜこんなことを今さら持ち出すのか。今年(2024年)3月の日銀政策決定会合では、2012年以来続いていた異次元緩和政策からの出口が模索されそうで世間には早くも「デフレは終わった」ムードも漂っています(ちなみに執筆時は3月中旬、実際、ゼロ金利、YCCが解除されました)。ですがデフレがここまで長く深刻なものになった病根が深掘りされないままというのは何とも納得できません。今回のデフレのもっとも深刻な傷が、この失業率に対する金融政策のあり方に関わっていることが忘れられていると思うからです。

 その傷が自殺です。日本の年間自殺者数は80年代から90年代半ばまで20000人台の前半で推移してきました。それが金融機関の破綻処理に失敗し正真正銘のクレジットクランチを引き起こしてしまった1997年、いきなり約32000人となり、その後も30000人以上を続けます。年末に安倍政権が発足する2012年にようやく約27000人に下がり、異次元緩和の始まった翌13年以降は明確な減少傾向に入り、10年代の終盤には20000人強と80年代初頭の水準にまで低下します。30000人を超えていた期間だけでも、通常を十数万人上回る自殺者数。一方、異次元緩和以降、ピークから現在までの減少累計も十数万人。

 1970年から2017年までの自殺動態を分析した竹中正治・龍谷大学教授によると、この間の数字の変動は、ほぼ男性自殺者数の変化によるもので、男性の自殺率の高さは、失業率の高さと非常に高い正の相関関係があり相関係数(R)は0.93と最大値の1近くです。十数万人の自殺者数の増減分は文字通り「デフレ死」となります。

 自殺は人間の死の中でもっとも苦痛に満ちたものです。その死は周囲にも暗い影を落とします。また潜在的な自殺予備軍はその何倍も存在します。これがデフレマインドの深淵です。数世代にわたる日本人がこのような暗く湿った抑圧の下で生き続けたのです。

 しかし、この悲惨な状況を早急に乗り越えることを最優先すべきであるという世論の政策転換圧力は簡単にはかかりませんでした。なぜか。報道が最悪のデフレの中でも、インフレを警戒して金融、財政の規律を叫ぶものだったからです。

 その典型が1年少し前の、異次元緩和大批判大会です。曰く、黒田バズーカは失敗で、円安は国力低下が原因で、日銀は国債を過大に抱え込んだおかげで債務超過リスクがあり、日本は破綻するというものでした。しかし、黒田バズーカの失敗は、2年という短期間で物価上昇を実現できるかのような幻想を振りまいたことだけ。

 円安はものの見事に日米金利差にだけ相関したもので、アメリカの急激な利上げで大きくドル高による円安に振れたことで市場がおたつき、不安を煽り立て利得を得ようとする騒ぎ屋たちの跋扈を見たものの、中央銀行の自国通貨建て国債は基本的に簿価評価、償還期までの持ち切りなので、金利が上がったとしても、植田和男日銀総裁が就任時に説明したように、リスクは押さえ込んでいます。

 時間はかかりましたが異次元緩和政策の効果で、ようやくではありますが、どう見ても長期停滞からの脱出軌道に乗りました。

 あのキャンペーンは、日銀総裁交代期に、安倍政権批判をやりたい勢力を巻き込んで、10年前からの日銀敗残組が乾坤一擲、自己弁護と人事上の逆転を狙ったものでした。が、日経の日銀総裁人事記事は見事に誤報。3期連続で日銀職員出身者は、日銀のトップから外れました。ただ単に安倍政権嫌いの大勢力が根拠なく好き勝手な罵詈雑言わめき散らしただけでした。もし、2022年末のあのメディアスクラムによる異次元緩和批判が通っていたら、再び「失われた●十年」に舞い戻っていたでしょう。

 そもそも恐慌時、経済危機時に中央銀行が資産を大量に買い入れて大規模緩和を行う手法は、リーマンショック後にバーナンキ元FRB議長が、ユーロ危機に際しドラギ前ECB総裁が行っています。また、大恐慌後のアメリカでは国債の大量発行、FRBによる「金利釘付け政策」つまりYCCを1950年代半ばまで行いました。

 現在、日本銀行審議委員となっている高田創氏が20年以上前から主張しているように、日本の今回のデフレは、規模の面から比較できるのはアメリカの大恐慌のみで、その対策も大恐慌の経験以外参考に出来るものはありません。つまり国家のGDPを遙かに上回る規模の国債発行と財政出動を、金融政策の全面的なサポートの下、長期に続けることです。アメリカは「金利釘付け政策」終了まで恐慌発生から4半世紀かかりました。

 非常時の金融政策とはかくあるべきなのです。それが終わって平時への復帰という段になって始めて、財政当局と中央銀行とのアコード(協定)が結ばれるのです。非常時の最中にリーマンショック時の日本銀行のように平時型の中央銀行のみ政府の政策方向と独立して「健全化」政策を採るなど、そして、非常時に直面しているのにメディアが「アコード」の大合唱で対策の邪魔をするなど、全く狂気の沙汰です。たとえそれが政権交代を狙い当時の政権への嫌がらせを企図した野党(後に政権党)の後押し人事の結果だとしてもです。

 さすがにこのことは、戦後、「法王庁」日本銀行に腫れ物を触るように接してきた日本政府も身に染みたようです。バーナンキ、ドラギ両氏と同じく、MITで金融政策の雇用拡大効果を説くスタンレー・フィッシャー教授の門下生だった植田和男氏を現日銀総裁に選んだことでも政府の現状認識は明確です。言うまでもないことですが、アメリカの経済研究は大恐慌の教訓分析が根元にあり、この点、日本とはまるでかけ離れた存在です。

 しかし、そんなことは少しも報道されません。

■1940年体制共同体

 後発国としてスタートした日本は、もともと上からお仕着せの近代でした。先の大戦で戦時経済体制に入ることで、さらに強力な中央統制システムとなりました。戦後になってもこの統制システムは継続し、特に、戦時財政の破綻、インフレを収束させるためにGHQが求めた超緊縮政策を担い、復興期、高度成長期の資金の配分権を握った大蔵省と日銀の権力と権威は、とんでもない高みに。GHQ、ドッジの優等生だった池田勇人・大蔵大臣は後に総理大臣に就任し自らの派閥は自民党の本流に、一萬田尚登・日銀総裁は「法王」の異名で経済界を支配することになりました。野口悠紀雄氏のいう1940年体制という奴です。

 もちろん、いったん絶大な権威を持ってしまった組織で職員から年功序列で上り詰めたトップが、それまでの流儀や手法から逸脱できるかといえば、難しいでしょう。だからといってそのままでいいわけではありません。

 ただ、政府が大胆に方向転換してもメディアは冷や水を浴びせ続けました。なぜかといえば、日本の報道機関、特に全国紙はそれ自体、1940年体制の強力な構成要素であるから、としか言い様がありません。つまり「1940年体制共同体」として日本を支配し続けてきたのです。

 日本の大新聞は、先の大戦中、軍部の広報機関化して部数を数倍に伸ばし、全国紙となりました。敗戦後、ドイツなどでは主要報道機関はすべて潰されたのですが、日本の場合、なぜか知りませんが、ほとんどが残存。ようするに世論統制機関あがりのメディアです。多くの戦後メディアが、臆面もなく自分たちが世論を左右すると口にする有様なのです。

 統制型のメディアの常として、世の中にある情報ギャップを埋めることで読者に評価されるのではなく、他を選択することができないほどのボリュームと権威を餌に情報源を独占し、影響力を行使し太っていきます。自ら事実関係を調べ、考え、発信し、その内容によって影響力を行使するのではなく、情報源に近寄ることで影響の最大化に走ります。情報源が権威筋なら自らもエリート気分を味わえます。

 よく批判される全国紙の政治部記者の生態に見られるように、特定の情報源との過度の依存関係の原因となります。情報源の専門性が高い金融・財政の世界ではその依存関係が甚だしいようです。

 長年の既得権としての「変わらなくてもふんぞり返っていられる」権限を「暴力的な政権に犯されている」態を装った戦後の隠然たる権威に無反省に擦り寄ることで、異次元緩和一斉批判の諸氏は「反政府」と「エリート」の2大気分を満喫しました。この構造が、長く政策転換を遅らせ、氷河期の被害をここまで大きくする原因となりました。

 いまでも日本が最終的に異次元緩和に転換したことを非難する人々が絶えません。確かに日本銀行のバランスシートは偏った形で膨れ上がりました。解消には相当時間がかかるでしょう。しかし、それが何だというのでしょう。別に日本銀行も日本国も破綻するわけではないのです。その程度のことが10万人単位の日本人の生命より重要だったのでしょうか。この1940年体制共同体がもつ害毒に正面から向き合うことが、十数万人の犠牲者に顔向けする方法だと思いますがいかがでしょうか。

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