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映画【天気の子】をもう一度観た話。【メモ】

「【天気の子】今から観いひん?」と昨日の夕食後に夫からお誘いがあった。

二つ返事で快諾すると、予想外の返事だったようで、「ほな、洗いもんしよ!」と夫自らスポンジを手に取り、あっという間に洗ってくれた。

実は、昨年夏に映画館で同作品を観たのだが、後半戦の主人公による数々の社会のルール破りのオンパレードに激しい頭痛を訴えた私は、映画の記憶がほとんどなく、周囲が称賛するほど良い映画だとは思えなかったのだ。映画を観て頭痛になったのは後にも先にもあの時だけである。

ちなみに夫はというと、映画館に2度足を運び、一人で観た時はクライマックスで号泣したくらい好きな映画の一つだそうだ。「2度目を観に行かないか?」と誘われた時はとてもそんな気分になれず断ったのだが、夫の哀しそうな背中は忘れない。笑

さてさて、食後の映画は久しぶりなので、たまたま冷蔵庫で冷やしていたゼリーと麦チョコを用意してソファにスタンバイをすると、夫は映画に集中すべく部屋の電気を消してまわる。(本気だ……。)と私は思った。

〜映画を見終わった〜

結論から言うと、前回のような頭痛は発現しなかった。(成長)

それだけでなく、クライマックスでは少し涙するまでに感受性が豊かになっていたのだ。(またまた成長)

〜考えたことのメモ〜

各人の正義が様々にぶつかり、混ざり合う様がなんとも真っ直ぐに描かれているなあ、、、と感じた。

なぜ前回は頭が痛くなったのか。
→私の中の正義が、主人公の正義・信念と相容れることなく、映画が後半になるに連れ大きく乖離することで、どう頑張っても理解し難い出来事の数々に脳が追いつかなかったのだろう。

今回のポイント
→映画を観る前に「主人公の目線で観てな。」と夫に念を押されたのが良かったのかもしれない。主人公の純粋な望みと彼の正義が、大人たちの正義を相手に真っ向からぶつかる様は、大人になった私には眩しすぎた。子どもたちが奮闘することで、大人たちの心を揺り動かしていくのも純粋さを取り戻すきっかけになるのだろうか、、、とか考えていた。

本当はもっと丁寧にまとめたいのだが、取り急ぎ【メモ】として記録に残しておく。

口頭ではもう少しマシな語りができると思うので、興味があればこの話題をふってください。笑

日曜日の夜に、夫とデトックスできてなかなか良い時間だったので、たまには部屋を暗くして映画を観てみるのはいかがでしょうか?

「note」を書くための糖分に変わります。