見出し画像

なぜ人間が人間になれたのか。

本当は「ホモ・デウス(下)」を書こうと思ったのですが、ちゃんと読もうとすると内容が理解反面、各1行が濃過ぎて読み進まなかったので、以前読んだこちらについて書きます。

▶︎ 今日の一冊 / サピエンス全史(上)

サピエンス全史、ホモ・デウスに共通するテーマは「虚構」です。
その中でこのサピエンス全史の役割は、
「人類史を元に現代の思考を理解する」だと感じます。
人類の誕生から振り返る事で、まず自分たちは物事に対して一定の考え方をしている事に気付き、そして考え直す様なキッカケを持たせている様に感じます。

この2つの本は似ているところもあるのですが、
サピエンス全史の方は「ホモ・サピエンスによって統一されていく過程とその手段を考えていく」と”神の意識”を持つ前の話を中心にについて書かれています。
その中でこの上巻の方は、なぜ・どの様に”統一(グローバル化)”へと向かって行ったのかと「歴史×虚構」を中心にについて書かれてある一冊です。

▶︎ ピックアップ

最もありふれた答えは、私たちの言語は驚くほど柔軟である、というものだ。私たちは限られてた数の音声や記号をつなげて、それぞれが異なる意味を持った文をいくらでも生み出せる。(p,37)

人間だけではなく、動物全ては人間と同じ様にコミュニケーションをとる。
それぞれの動物の言語を用いて会話するのだが、他の動物よりも攻撃力が劣るにも関わらず、他の動物を支配下におき、この様な発展を遂げられた要因は、この柔軟な言語によって、細かく・膨大な情報のやり取りが出来たからだとある。
これを本書では「認知革命」と言っている。

力・腕力よりも協力出来る方が遥かに勝る。それがホモ・サピエンスにとって普遍の事の様に思える。

人間は日の出から日の入りまで、種をまき、作物に水をやり、雑草を抜き、青々とした草地に羊を連れて行った。こうして働けば、より多くの果物や穀物、にくが手に入るだろうと考えての事だ。(p,104)

認知革命以降、ホモ・サピエンスは、この広大な領域の中で、虚構を発明する能力のおかげで、次第に複雑なゲームを編み出して、より社会を発展させる、このキッカケになったのがこの「農業革命」です。

狩猟民族時代の簡素、かつ危険な生活を捨てて定住した方が、より良い暮らしを手に入れられると思ったが、むしろ人口爆発と飽食を招き、満足度の低い生活を余儀なくされたとあった。

この結果、ホモ・デウス(上)でも書いた様に、人が増え集り、食物を獲得しより生活を豊にする思想、常識の元、「飢餓・疫病・戦争」が起こる様になったと。
では昔の狩猟民族に戻るかと言えば、戻りはしない。なぜなら今の方が安心・安全・便利だから。
これは人間をリスクから遠ざける方法である分、リスクを取りずらくなると思う。
今コロナによる”stay home"の習慣によって、よりリスクを取れない人間になってきていると思うが、この一番最初は「農耕」が始まった紀元前約1万年前からだったとは。
ますます進んで行った先には、何があるのだろうか。

「想像上の秩序」は邪悪な陰謀や無用の幻想ではない。むしろ、多数の人間が効果的に協力するための、唯一つの方法なのだ。(p,143)

本能として他人と協力出来るのは本能ではなく、彼らが共通で信じているものが同じだからこそ、協力し、社会が存続し続けるのです。
協力し合える事で人間社会は大きく複雑になり、「文化」という虚構に基づいた規則・習慣の人工的なネットワークを生み出した。

だがそれぞれの文化の信じているものの違いによって矛盾が生まれる事がある。その結果対立構造などが生まれる様になったのが、それを超越する存在が現れた。
それは「貨幣」である。現代でも貨幣の前では”ビジネスパートナー”と呼ばれる様に、お互いを繋げる事が出来る存在になっている。
この様に、ネットワークを大きくしていく「帝国」とお互いを繋ぐ「貨幣」によって、人類は統一の方向へと進んでいると。

今ならそれは国ではなく、「GAFA」という一企業が存在しているのかと思う。この優しい支配は一部のエリート層によって行われているが、その支配は増加傾向にあるらしい。
その前に、もちろん現実社会であろうと、自分たちは「虚構」という想像上の秩序があるというのを忘れてはいけい、と思いました。

▶︎ 所感

改めて本書を見返すと、人間が人間になれた理由が分かりました。
まず全体を通して思うのが、何かを犠牲にしたり過剰に生む事で、自ら不自由を作り、それに気付かず、自由や豊かさを目指し、日々何かを失い続けているのかなと。

でもこれは人類の9割以上が信じているために、虚構が普遍な真実となってしまっているため、
これからはSDGsを遵守しながらも、人口が増加する事で、より地球や環境を破壊しつつも、将来的に世界の人口増加が落ち着いていく中で経済成長をしないといけない、という非常に難しいゲームに突入している事を自覚しないとな、と思いました。

全体がより「安心・安全・便利」に加え”更なる快楽”に進めば進むほど、反対にこれは成立しなくなってくる可能性が高い様に思いました。
なぜならそこに対して追えるスピードが、人によって違うからこそ、徐々に格差が開いてくると。

つまり、世の中の常識を追えば追うほど、豊かになりずらい社会になっているのではないのか。

本当は何か1つでも止めれば良いのに、色んな社会的な事情でやめられない。

そんな事情によって、社会の常識が形作られているからこそ、本当の正しいはないんだと。
自分が周りを見ながら、リスクを取りつつ、どう進むかを正確に自分で判断し、ブルーオーシャンな自分のポジションを築くのみなのかなと。

少なくとも、みんなの「安心・安全・便利・表面上の快楽」のレッドオーシャンから片足だけでも抜かないといけない、とかそんな事を思いました。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?