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データと人間の未来 / #読書雑記

本書を読んで思う事が2つ。
一つ目は一文ごとの内容の濃さです。
ハラリ氏は、色んなジャンルの史実を元に、多くの視点から文章を構成しているため、一文ずつ理解しながら読もうとすると、内容は理解出来るが、その背景まで自分の知識が及ばない部分も多く、改めて内容が濃いなと思ました。
そして2つ目に思うのが「希望」です。
ハラリ氏は”虚構”というテーマを元に自分に絶望を与えてくれました。
自分たちは、あくまでも正しい事をしてきたつもりですが、それは本当に全てにとって正しいかは分からないという事を提示してくれました。
ですが”著者が絶望していたら、そもそも本書を書いていないよね”
というところから、どの様にして希望を作り出そうかと、新たな気づきを与えてくれる一冊だなと思いました。

▶︎ 今日の一冊 / ホモ・デウス(下)

サピエンス全史、ホモ・デウスに共通するテーマは「虚構」の中で、本書は史実を元に過去を振り返りながらも「未来」に重点を置かれています。
前書のサピエンス全史では、どの様にして他の動物を支配出来る「人間」という存在になれたのかを紐解いているのですが、
本書では「サピエンス(賢い人類)」から「デウス(神)」へとアップグレードをしていく中で、かえってこの人間至上主義が墓穴を掘ってしまう、掘り始めている可能性がある中で、
掘っている墓穴は本当に墓穴になるのか、この先人間は人間であり続けられるのか、これらに対して歴史による気付きから、過去の固定概念から開放し、他の様々な運命を想像し、違う選択肢を考えさせてくれる一冊です。

▶︎ ピックアップ

人間至上主義の宗派はみな、人間の経験こそ、権威と意味の至高の源泉だと信じているものの、人間に経験の解釈の仕方が異なる。(p,64)

科学の台頭により人間は宗教ではなく、資本主義や科学などを信じて生きる事が自分たちの社会を良くし、人生を豊かにすると考え始めた。
これによって、神や宗教からの呪縛から解け晴れて自由となり、人間こそが特別な存在と思える様になったのだが、世界には多くの個人がいて、多様な事を感じ考えるので、矛盾を抱える事が増えて行った。

人間が良くあるという普遍の考え方に対して色んな事を考え、お互い自分が一番だと主張して、矛盾を抱えて争う様になるとは、まさに宗教と同じ様に、何かを掲げるとその解釈の違う人同士が争い、中から分裂を起こしていくんだと感じました。

でもその中で、とりあえず人間個人の欲望を元に自由意志を主体とした自由主義が正義としてきたが、この自由意志とは本当に存在するのか、筆者は問いている。

私たちの科学的理解が及ぶ限りでは、決定論とランダム性がケーキを山分けしてしまい、「自由」の取り分はひとかけらも残っていない様だ。
実は、「自由」という単語は、まさに「魂」と同じく、具体的な意味など全く含まない空虚な言葉だった。
(p,105)

ここで「自由」というのは貨幣などと同じで、想像上の物語だと、科学的な面から言っている。
資本主義という科学的な宗教により、科学は宗教よりも良いとなったのにも関わらず、資本主義にあるとする「個人の自由な意思」は、科学によってないと言われてしまった。

つまり自分の欲望に即した行動は存在しないと。
欲望に添った行動ではなく、その欲望を選ぶかどうかだと。
なので、唯一無二の自己はなく、環境やタイミングによって感情を選択している。

なので、生き物とはアルゴリズムであり、感情とは内なる経験からではなく、刺激による反応で、内なる自分に添った行動をしているつもりでも、何かしらに動かされていると。

じゃ個人によって同じ事からでも感情は異なるとあるが、
それは根底へと辿れば、遺伝子のアルゴリズムの違いに過ぎないと科学は言うだろう。
反対に科学に言わせれば、経験から感じる感情も、それをどう見るかもいじれると言う事である。

つまり人間至上主義に基づいて、人間が良くあろうとするなら、
内なる声に基づいた個人の「自由意志を参考にする」のではなく、
科学に基づくデータを信じる事の方が、効率的で理にかなっているのではないのかと。

今まで信じてきた宗教や人間至上主義などの物語は、もう何も意味をなさないという事なのか。
もっと言うと、個人個人の感情には何も意味を持たないくなるという事なのか。

私を完璧に知っていて絶対にミスを犯さない外部のアルゴリズムは必要ない。私の事を私以上に知っていて、私よりも犯すミスの数が少ないアルゴリズムがあれば十分だ。(p,162)

人間よりも情報やデータの方が優先されるようになった時、人間はどうすれば良いのであろか。

これを止めさせるために、これを主導してる人を吊し上げて叩けば良いかもしれない。
これをやっていそうな人は、生命科学の学者だと思うかもしれないが、彼らを駆動させているのは、さらなる豊かさを望む人間である。

欲望が物語を作り、物語が新たなテクノロジーを生み出し、人間の可能性を拡大するモノを作る。
満たされれば、満たされるほど、次を望み時代は進む。

データ優先を止めたければ、人間が望む事をやめないといけない。
今と過去を比較すると、「人間」という定義が狭くなっているのに気付く。

人間至上主義が「汝の感情に耳を傾けよ」と命じたのに対して、データ至上主義は今や「アルゴリズムに耳を傾けよ」と命令する。

こんな難しく言わなくとも、苦痛を取り除くには、瞑想や祈るのではなく、ロキソニンや精神安定剤を飲むべきなのである。

▶︎ 所感

豊かになるほど人間的なモノを失っている様な八方塞がりの様に感じましたが、最初でも述べたように、
絶望させるために書いたのではなく、視野を広げて現状を理解し、希望を持つために書いたと。

そのために筆者は本文の最後に、重要な3つの問いを残してくれました。

①生き物は本当にアルゴリズムに過ぎないのか?そして、生命は本当にデータ処理に過ぎないのか?

②知能と意識(感情)のどちらの方が価値があるのか?

③意識は持たないもの高度な知能を兼ね備えたアルゴリズムが、私たちが自分自身を知るよりも私たちのことを知る様になった時、社会や政治や日常生活はどうなるのか?

本書でも未来は予想出来ないという前提のもと、このまま行くと可能性が高いとされているモノについて書かれています。

物語自体は、ただの時代の流れによって導かれるのではなくて、自分たちがそう思うからこそ、人々がそれに合った様にモノを作る事で、その時代にしていきました。

かつて日本は、テレビを中心としたメディアという情報を伝えるによって、良いと思われる時代を作ってきました。
ですがこのように、素直に良いと言えない時代が来る事を知った時に、今までとは違った行動を取るのではないのかと。

みんな一生懸命になって阻止する様になった時に、
本書の予想とは違った方向に動くんだと。

データ至上主義に駆動させたからこそ、感情がなくデータのみの社会にならない様に駆動するのではと。

そのためには、
データ至上主義へと進んでいるというのを知る事。
そして、データ至上主義に変わる新しい考えや物語を作る事
の2つが大事だと。

ある意味、データ至上主義と違う宗教を信じているだけかもしれないですが、
この3つの問いを考えいかないといけないなと思いました。

●余談
今までテレビというのは一番新しい情報を流してくれて、よく機能してきた時代がありましたが、今ではテレビの情報のスピードはスマホを下回る様になりました。
そのため人それぞれ見ている情報が違うので、気付く人と気付かない人が出てくると。
そうなると、今まで皆んな救おうと功利主義を掲げていたのですが、これからは情報拡散によって、貧富の拡散も広がるなと。

本当は救いたくても、違う事を信じていて否定されるため救えなくなる。
多様な正義が渦巻き統制が取りづらい社会で、どの様にしてデータ至上主義とは違う方向性に向かえるのか、情報が社会を変えているなと思いました。

▶︎ ホモ・デウス上巻


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