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夢を描く前提となるもの、それは…。

いつか、できたらいいな…。
そう思い描く「夢」はありますか?

願っているのに、全然叶わない…。
そう思っていること、ありますか?

願いが叶ったけれども、そんなにいいもんじゃなかった…。
そう思ったことは、ありますか?

本当の願いでないと、叶わないことが多い、叶っても満足できない!

人ならこうすべき、という周りの常識や声に流されて、「目指さなくちゃいけないのかな?」と悩み、達成できない自分に悲しくなる経験を今までたくさんしてきました。
(大学受験とか、家庭を作るとか)

誰かに「絶対にいい」と言われたものが、自分にとってはそれほど良くなかったと後から感じた経験もあります。
(この美容液で肌が確実にきれいになれる、と紹介されたものを肌につけてみたら、逆に肌が荒れちゃったとか)

そもそも、自分の頭でちゃんと考えもせずに、人から言われたことを鵜呑みにすることが誤りの元。

誰かの言う「人ならこうすべき」「これは絶対にいいもの」が、自分にとって合っているものなのか、それは自分にしかわからない。
それらが叶ったとして、本当に自分が満足できるものなのか、それも自分にしかわからない。

どこかに「普遍的な正解」があるわけではなく、自分の正解は自分の中にしかないのです。

で、自分の正解にそぐわないものは、進めないようにできているし、がんばって達成したとしても、幸せになれないようになっているのだと思います。

どうして人の言うことを鵜呑みにしちゃうの?

「自分の正解は、自分にしかわからない」

これに気づくまでは、周りの人の、
「これいいよ」=「これがあると幸せになれる」
「こうすべき」=「人生の正解」
だと思い込んでいました。

なぜそう思い込んでしまったのか?

自分の考えに自信がなかったからです。
自分が思っていること、間違いなんじゃないの?もっといい正解がどこかにあるかもしれない…。
だから、周りの人の意見を聞いてしまう、周りの人の機嫌を見て自分の態度を決めてしまう、ということを繰り返していました。

もっと言えば、
✔実物以上に自分を良く見せようとしてしまう。
✔何かやらかした時に言い訳をしてしまう。
✔言い訳を言えるように、誰かの意見を丸ごと取り入れてしまう。自分の意見はそもそも言わない。考えもしない。

こんな行動の癖を持っていました。
それもこれも、自分に自信がなかったから。

自分に自信がないと、周りの人、特にカリスマと言われている人の意見に従う癖がついてしまいます。
子供の頃に、親の言いなりになり、進路選択から住む場所まで決めてもらってしまう、という例がわかりやすいかもしれません。

そしてこれを続けていくと、
「願っているのに(本当の自分から発したものでないから)叶わない」
「叶っても(本当に自分を幸せにするものじゃないから)満足できない、幸せになれない」
に繋がっていってしまうのです。

自信のなさの原因は…。

ではなぜ、こんな行動の癖を持ってしまうことになったのか。

言い訳を言えるように、自分の意見を持たず、人の意見を丸ごと取り入れる」
ここにヒントがありそうです。

もし、自分の意見を押し通して失敗した場合、どんな気持ちになるでしょうか。
自分のやったことが他人に迷惑をかけてしまったら、どう感じますか?

”悪いこと”をしてしまった時に、言い訳が出るのはなぜなのでしょうか?

自分自身を観察して気づいたのですが、言い訳をするということは、とどのつまり、
「自分自身がやったことを自分で受け入れていない」
ということなのかなと。
一言で言うと、「自己受容が足りない」ということ。

言い訳をするということは、自分のやったことが心の底で信じられずに、
「○○のせいで、やらざるを得なかった」
と主張することです。
それをやったのは、紛れもなくお前だろ!と迷惑を受けた側は言いたくもなりますし、だからこそ言い訳は見苦しさだけを残すことになります。

ここで、自己受容ができている人なら、言い訳などしません。
「あ~やらかしちゃったな。感情が高ぶってしまってやっちゃったことなんだから、抑えられなかったんだよね、仕方ないよね」
という会話を自分自身の中でした後に、ちゃんと謝るとか、補償するとか、建設的な解決策を考え出せます。
仕方なかったにせよ、自分自身がやったことを、ちゃんと認めているから。

自己受容が本当の夢を発掘する前提となる

言い訳をしなくなるということは、自分の考えに自分で責任が取れるようになるということです。
自分の考えがちゃんと出せるようになると、本当に幸せになれるもの、本当の夢や願いが出てくるようになります。

「この人はこう言っているけれども、それって本当かな?」
という視点で物事を考えることもできるようになります。

では、どうしたら自己受容ができるようになるのでしょうか?

欠点も、やらかしちゃったことも、ありのまま、
「あ~やっちゃったね」「そういうところ、あるよね」
と、ただ認めることがスタートだと思います。

そこで、「だからダメなんだよ」と判断をしないことがポイント。
ただ、風景を眺めるように、ありのままを見る。
周りの目を伺いながら生きてきた私が自分の考えを持てるようになったのも、ありのままを見るようになったから。

風景を見るようにありのままを見た後、
「何が原因だったんだろう?」
と冷静に考えると、自分の行動パターンが見えてきます。
これが次のステップであり、「自分を知る」ことに繋がります。

ありのままの自分を認めた後にする、最後の大事な質問。
「じゃあ、これからどうしたい?どうなりたい?」
ここで、本物の夢や願いが出てきます。
達成する方法を考えるのは、それから。

さいごに

常識や正解がまかり通る社会(学校教育なんてその最たるものですね)で生きてきて、「自分の正解は自分で作る」という考えに至るまでに数十年を要しました。
できないところも、やらかしちゃうところも含めて(もちろん、長所もね)ありのままの自分を受容すること。
これが、本当に幸せな人生を歩む最初のステップであると、今は思っています。
ただ、これも、時が経てばまた変わってくるものかもしれませんね。



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