愛を感じる一瞥体験
この数か月で体験したり感じたことを
書いていこうと思うのですが
本当は時系列で書いた方がいいんだろうなと
思いつつ
そう思うと一気に書く気が失せるのを感じるので 苦笑
思いつくままに書いていこうと思います。
今回は自動思考を止めるためのワークというより
面白そうだから試した
「愛を感じる」をやってみたら
軽い一瞥体験が起きた話を
書いてみようと思います。
(この話は私のインスタライブで話しています。)
数か月前に
ぴょんと上がってきたAkaneさんのインスタ
全然知らない方だったのですが
アーカイブをみたら結構好きなキャラの人だったので
いくつか過去動画を見ていると
このライブがめちゃくちゃ分かりやすかったんです。
「愛を感じるだけなの。
感じられないとかじゃないの。
いま、愛を感じようとするの。」
そっか、愛を感じるだけか。と
すとんと腑に落ちたのでした。
これってネドじゅんさんが
自動思考が収まって右脳優位になると
幸せだなあという感覚に
どぼーーんと浸かっている感覚
みたいなことをおっしゃってたのと
同じことだなと思い
あー、やっぱりみんな同じこと言ってる
シンプルなんだ。きっと。
難しいこと考えないで
ただ
愛を感じる。愛を感じる。
そう意識してみることにしました。
そうやっていると
私は自分に意識がすごく向くのを感じました。
そうやってたある日
ふと本棚に会った本に手が伸びて
久しぶりに読み返していると
【インナーボディの瞑想】というものが紹介されていました。
一番感じやすい指先の感覚に意識をむけ
その感覚を全体で感じていくというワークなのですが
愛を感じる。をより具体的に身体感覚で
捉えやすいなあと思い
私のインスタでもこの瞑想をとりいれてみました。
よかったらやってみてください♪
この瞑想が終わった後
この感覚のまま過ごしていると
ふと、芦屋にあるパン屋さんのことを思い出しました。
有機小麦など材料にこだわっているお店で
私の好きなドイツパンのお店です。
人気のお店でちょっと遅くなると完売して閉店してる。
なんてことも多くて
足が遠のいていました。
調べてみると
「あ、今日はやってる」
面倒くさいなあとか
わざわざ行かなくてもいいんじゃないかなとか
想いが頭をかすめつつ
浮かんだらやる。ことにしてるので
そそくさと準備をして出かけました。
お昼前には着きましたが
さすがに人気のお店で数人並んでいらっしゃいました。
久しぶりなのが嬉しくて
嫌だなという感覚は全くなく
ワクワクして待っていると
あっという間に私の番になり
お店の中に入りました。
わあ、私が買いたかった懐かしのパン。
しかも最後の1個。
あー、うれしい。
もう少し早く来てたらたくさん残ってて
沢山買ってしまったかもしれないし
ありがたみが薄れたかもしれません。
きっと、本体さんの粋な計らい。
なんだかそう、ふと思えたのでした。
愛を感じるってこういうことなのかも
そのあと
せっかく芦屋まできたのだからと
川沿いをお散歩して駅に着きました。
そのまま帰ろうかと思ったのですが
もう少しここにいたいなあと感じて
お茶でもしようと
駅前のモールを歩いていると
ミスタードーナツがありました。
以前、義理の両親が芦屋に住んでいて
お義父さんと駅に来た時
「お母さんに食べちゃダメっていわれてるんだけど
せっかく来たからドーナツ食べて帰ろう」と
いつも寄って、そのお店で食べていたのを思い出しました。
お義父さんは数年前に亡くなり
もうこの世にはいないけど
そのお店が同じ場所に同じようにあるのをみて
そこだけは時間が止まっているような
そこからあの時にふっと入っていけるような
そんな不思議な感覚になりました。
お義父さんは
歳を重ねるにつれ
頑固になりイライラしていることがふえて
だんだん疎遠になり
離婚してからは会うこともなくなり
最後にあったのはいつだったんだろう。。
そんなことを思いながら
近くのお店に入りました。
お茶を飲んでいると
お隣の老夫婦が気になり始めました。
お互い話したいけど話せない。
チラチラ相手をみつつ
でも、会話を切り出そうとはしない。
そんなソワソワしている雰囲気が伝わって
私もソワソワし始めました。
愛を感じる。愛を感じる。
そう心の中で呟いて
愛を感じていると
私の内側からじわーーっと
もっと愛したい。
そう聞こえました。
同時に
温かい感覚がじゅわーーと湧いてきて
お隣のご夫婦が愛おしくてたまらない。
そんな気持ちになって
涙があふれてきてしまいました。
恥ずかしくて
まるで読んでいる本に感動して泣いている
そんなふりをしました。
そんな私も愛おしくてたまらなくて
また泣けてきました。
その場にいる
ただレジを待っているサラリーマンの人も
アルバイトの女の子も
窓の外にみえるバスを待っている人も
蒸気をしゅーーっと出す音も
コーヒーの香りも
差し込む光も
全部が全部、愛おしかった。
さっき、ふと思い出したお義父さんも
愛おしかった。
あ。。もっともっと愛したいんだ。
これじゃあ愛せないって条件をつけて
愛さないと決めていたのは
私だった。
なんてケチだったんだろう。
条件なんか気にしないで
愛したらいい
愛していいんだよ
愛を感じていい
愛の大解放
そんなことを感じていたら
隣のご夫婦が立ち上がり
席を離れるときに奥さまが
笑顔で
「ごめんなさいね。ありがとう」と
声をかけてくださったんです。
なぜ私にそんなことを話しかけてくれたのかは
頭では全く分かりません。
でも
なぜだかすごくホッとして、すごく嬉しかった。
それでいいんだよっていう
サインなんじゃないかな。
それから
もっと「愛を感じる」が
濃く感じられるようになりました。
愛するって
愛を表現することなのかな
特定の誰かを愛する愛情ではなくて
この愛しいという気持ちを
言葉や行動やなにかに込めていくこと
感じていくこと
そう思うと
戸棚の扉を閉めるとか
紅茶を飲むカップを持つとか
キャンドルの火をみるとか
日常の小さなことも
すごく愛おしいなあと
感じるようになりました。
イラっとする人も
その時はイラっとするんだけれど
気づくとそのイラっとは消えて
愛だけがのこる
ネドじゅんさんのこの記事
そのままだなぁと思います
愛を感じる
この感覚を深めていきたい
この感覚を広めていきたい
そう思ってます。
Love&Joy
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