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わたしは母です、って自己認識してよかったんだ
244日目。
昨日、Instagramを見ていたら、フォローしている方がストーリーズでこの記事をシェアしてくれていました。
徳瑠里香さんが取材・執筆なさった記事。
この記事をシェアして下さってた方も書いておられたのですが、「ペリネイタル・ロス」という言葉、初めて聞きました。
流産、死産、新生児死、人工妊娠中絶など、周産期の死別による喪失を「ペリネイタル・ロス」と呼びます。
実は、わたしは経験者です。
9週で稽留流産を経験しました。
だから、ここに書かれていることは、わたしの物語でもあります。
この記事を読んで、自分でも意外なことに気づいたので、今日はそれを書いてみようかな、と思いました。
わたし、これを読み終わった後に、ふと湧き上がってきた思いがありました。
わたしは母です、って、言っていいんだ。
生まれてこれなかった小さないのちだったけど、あなたはたしかに母になったよ、って、自分で自分のことを認めてあげていいんだ。
ということでした。
実際に生まれてないから、わたしは母になった、という自己認識はできませんでした。
実際に子どもがいないから、他の人からも、あなたはお母さんです、っていう扱いも受けません。
でも、たしかにいたんですよね。
ほんの短い時間だったけれど、わたしには子どもがいた。
流産の経験を「なかったこと」にしてきたわけでは、決してないんです。
でも、実際に生まれてないから、わたしは母になりました、って、わたし本人でさえ認識できなかった。
そのことが、意外にも、わたし自身をとても悲しませていたんだと思います。
ちなみに、従来の社会的な価値観で「女性は結婚したら母になるのがふつう」ということにこだわっていて、「わたしは母というアイデンティティがほしかった」ということではなくて、なんというのかな、もっとプリミティブな意味で、「母になったわたし」をわたし自身は受け入れて、自分の一部として認識して、母になったわたしを祝福して、愛したかったのだと思います。
「悲しみのラベリングをしないこと」という、徳さんの言葉にも救われました。
きっと、この悲しみを抱えている人たちに必要なのは、ただただまっさらな気持ちで話を聞いてくれる存在。
そして、安心して話せる相手に、ただただ、今の自分の気持ちを話すこと。
それだけだと思います。
同じ悲しみを抱えている人にも、ちがうことで忘れられない悲しみを抱えている人にも、自分自身にも伝えたい気持ちがあります。
話したくなったら、いつでも話していいんだよ。
時間が解決してくれるって言葉があるし、それはある意味ほんとうだと思う。今だって、ふつうに元気に楽しく毎日を過ごしてる。
でも、時間が経っても、悲しいものは悲しいんだよね。
いろんなことで整理したり、昇華したりはできるかもしれないけれど、悲しみの濃度は変わらない気がする。
だから、いつまでもこのことで悲しんでいるわたしって…って思わないで、また話したくなったら、いつでも話していいんだよ。
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ライティング・ライフ・プロジェクト第7期、満席にて受付終了いたしました。ありがとうございました。
「話す」ことで、もっと自分自身を知っていくための対話の時間です。
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