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過去の人がつくってくれた「今」の風景〜未来は自分たちの選択から〜(ヌエボ葉山丸航海日誌)

この「ヌエボ葉山丸」航海日誌は、2023年1月1日に出港し、2024年秋分に葉山町制100周年(2025.1.1)記念出版を目指す航路おいて、企画者であるまみーた(大澤真美)が記すものです。

 葉山の歴史を調べようと、町立図書館に行って色んな本を開いている。葉山の郷土史家で、町長でもあった田中富さんの「ふるさと歳時記(一)」もその1つ。

 1984年(S59)に出版されたその本の中に、今の葉山をつくっている人の営みが刻まれている。

 1966年(S41)町民一丸となってメッキ工場の進出を排除したから、葉山を「煙突のない町」にできたこと、1971年(S46)全焼した御用邸の再建運動に有権者97%が署名して、今も御用邸の街であり続けていること。

 葉山町役場横の花の木公園は、毎年GW連休頃、満開のつつじで私たちの目を楽しませてくれるけど、きっかけはあるお父さんのつぶやきだったらしい。田中さんが若いお父さんと立ち話をしている時、「GWに出かけるとお金がかかって大変だから、葉山内で過ごせる場所があったら」との声をもらい、あれこれ考えて、連休中に花が咲く公園をつくることになったということだった。
 しかも、財政が豊かではないから、一番安い「おおむらつつじ」を頼んだところ、手違いで値段が3倍もする「きりしま系つつじ」が到着。でも、運賃が高いからそのまま引き取って欲しいというミラクルが起こったらしい。その後も、町民からのつつじの寄贈があって、今の花の木公園になっているということだ。

 メッキ工場のない葉山も、御用邸がある葉山も、つつじが美しい花の木公園のある葉山も、過去に生きた人の思いと、その時の偶然が重なってできている。

 ならば、今を生きる私たちの思いが、いつか誰かの風景をつくることにつながるかもしれない。葉山にご縁がある人への縦横無尽インタビュー2人目は、藤本嶺さん。伝統建築の大工、森林保全、地域資源の循環を通して、今ある社会課題を解決する事業を展開。ここで刻まれることが、明日の葉山をつくって行く。

藤本嶺さんのインタビュー

インタビューをまとめていくマガジン

葉山日記




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