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藤本嶺さん(上山口在住/6年目)【ひとから観える葉山#2】

藤本嶺 / 上山口在住。横須賀市田浦生まれ。移住6年目。
葉山町の隣、横須賀市田浦生まれ育ち。幼少期から葉山で海水浴をしたり、高校は逗葉高校と、子どもの頃から葉山町に親しむ。高校卒業後、大工修行に入り、2017年に葉山の上山口を拠点に独立。
株式会社藤本工務店・一般社団法人葉山の森保全センター(HFC)・株式会社森のサラダ(いずれも代表)

 2021年、竹灯りのイベントに必要な竹を提供してくれたことがきっかけで出会った伝統大工の藤本嶺くん。竹のこと、道具のこと、相談に行っても、とにかく決断が早い。6年前の株式会社藤本工務店の立ち上げから始まって、3年前には一般社団法人葉山の森保全センター、そして、昨年には株式会社森のサラダを設立。間違いなく、現在、葉山町で最も実行力がある若手の1人です。そんな嶺くんを、2月葉山町一色にオープン予定のフィットネスクラブ「&フォレスト」工事現場に訪ね、コワーキングスペースになる予定のテラス席で話を伺いました。

解体したら全部土に還る「環境にいい家づくり」

大澤 忙しいところ、ありがとう。最初に竹のことで相談に行った時も、新築の戸建ての建築現場だったね。今日は、嶺くん自身のことと、葉山との関わりについて聞いていきたいんだけど、まずは、今している活動と、それに至るまでの経緯について話してもらえる?

藤本 その前にちょっといいですか?(目の前のテーブルをさしながら)これ葉山の木なんですよ。木下通りの危険木だったタブノキなんですけど、製材しただけで、仕上げも何もしてません。テーブルの足の方は、5年前に作ったんですけど、高さをちょっと失敗しちゃって、ずーっと作業場に放っておいたものです。それを持ってきて、このタブの木を乗せて、椅子を2つ置いただけなんですけど、よくないですか?

危険木だったタブノキでできたテラスのテーブル
路上に覆いかぶさるタブノキを仲間と伐採

大澤 いやあ、誂えたようで、すごく素敵だね。

藤本 ここも、向こうの駐車場も、会員用のコワーキングスペースになる予定なんですが、月1~2回は地域のものを販売するマルシェとかにして、街の人と交流する機会を作れたらなと思ってます。
 なんか、タブノキで嬉しくなっちゃいましたけど、話を戻しましょうか。生まれたのは、葉山の隣の横須賀市の田浦(梅林で有名)で、山の中で生まれ育ちました。会社のある上山口から一山越えれば、もう田浦で、夏の海水浴とか素潜りするので、結構葉山に来てましたね。高校は、逗子と葉山の境にある逗葉高校だったし、葉山はほぼ地元です。
 子どもの頃から、ものづくりが好きで、体を動かすのが好きで、小学校の卒業文集にはもう「大工になりたい」って書いてました。高校卒業後に、すぐに大工の道に入って、それ以来15年以上「環境にいい家づくり」してます。「環境にいい家づくり」っていうのは、ひとことで言うと、解体したら全部土に還るってこと。今の普通の建築って、化学物質をたくさん使っているし、全然、土には還らないじゃないですか。それだけじゃなくて、家の素材を作っている段階から、石油を使って、CO2を輩出して、ものすごいエネルギーを使うことになります。そういう大規模工場での大量生産じゃなくて、目の前にある木を製材したり、竹を組んで、土をつけてみたいな、身近な素材を使って、家をつくるという昔の人たちが当たり前にやっていたことをやっているだけなんですけど。

日本の伝統建築を学び、実践し、継承するということ

大澤 大工さん、しかも自然のことを考えた伝統大工さんになるっていうのは、何かご両親の影響とかあるの?

藤本 両親は大工とは全然関係ないけど、父も母も割とオーガニック寄りのライフスタイルだったことは関係あるかもしれませんね。母親は生ゴミを庭に埋めてたし、オムツも紙じゃなくて、必ず布で、食べ物も農薬のこととか気にしてたし。そういうものが潜在意識にあったから、「自然環境にいい大工になる」という考えにつながったのかもしれません。向かいたい方向が、最初から明確だったから、卒業後は、国家プロジェクトの大工志塾に入って、3年間釘や金具を使わない日本の伝統工法を学んだし、就職先もそういうところを選んでます。この大工志塾は、全校規模で、前身も含めると20年近く続いているのかな。もう大工をしていない人もいるけど、毎年卒業生がいて、横のつながりもあるから、お互いにいい刺激になるし、僕らみたいな修行を終えた人が、工務店立ち上げたり、一人親方になったり、建築家になったりして、活動を共にすることも多いです。そんな関係で、藤本工務店も平均年齢30歳くらいの若いチームになってますね。独立したのが、6年前で、最初は友達と2人で始めたけど、現在は15人くらいの仲間がいます。今の伝統大工の多くが60代ということもあって、技術の継承も考えて、若手の育成にも力を入れてますね。この工務店の事業が本業です。

伝統工法でつくる新築現場

川下の建築から川上の林業まで:すべてを通して自然と共存

大澤 以前に新築の戸建ての現場を見せてもらった時にも、大学生が見学に来てたり、海外から来てる方もいたもんね。
 本業が工務店で日本の素材を使って環境にいい伝統建築とすると、葉山の森保全センターは、どういう経緯で始めたの?

藤本 最初のきっかけは、林業に興味を持ったことですかね。ずっと材木屋から木を仕入れてたんですけど、製材所が少なくなってきたから、製材機を買って、自分たちで製材もはじめたんです。川上の林業、川中の製材業、川下の建築という流れがあって、1つの家が建つわけじゃないですか。寿司屋も同じで、川上の漁業、川中の仲買人、川下の寿司屋があって成り立つ。その全部を見たいなって思ったんですよね。そうやって近づいてみると、林業の問題が見えてきました。林業は、世界的に言うと成長産業だけど、日本の場合は、海外と比べて小規模でコストが高いから、経済が優先される現状では衰退の一途。戦後まもなくは、焼け野原に針葉樹を植える拡大造林が国策で植えられたり、葉山にも三軒くらい製材所があったらしく、林業は花形産業でしたけど、今は一軒もないわけです。最初は、もちろん、葉山の木を使って家を建てられないかと思いました。でも、実際に山に入ってみると、ここにあるのは広葉樹で、燃料に使われる木炭としての使用が主だったことがわかって。じゃあ、何もしなくていいのかと言うと、人の手が入っていた山が放置されると土砂崩れとか自然災害の問題もあるから、適度に間伐したり、下草を刈って整備したり、山と関わることが必要なんですよね。それで、林業って、木を育てて、切って売るだけじゃないって視点に立って、葉山の森保全センター(HFC)を立ち上げることにしました。
 人の手が加わると山にスペースができて、そこで人が自然と共存する色んな活動ができますよね。畑やっても、田んぼやってもいいし、山菜採ったりとか、HFCでもワークショップやったみたいなグリーンリースを作ってもいいし。森に人が入ることで、道ができて、関わり代が増えるんです。HFCでは、いくつかの場所を買い上げて整備してますけど、近くの幼稚園のお散歩コースにもなってたり、山に手が入る前はなかった活動ができてます。林業って、家をつくるための生産林を扱うだけじゃないもっと多面的なものだってことが、実際に関わることで見えてきた感じです。

竹の間伐材でつくる巨大な流しそうめん

資源を地域内で循環させるプラットフォーム

大澤 私もHFCに入らせてもらってるけど、踏査や整備はもちろん、薪割り、バイオマストイレ作り、土壁左官体験とか、森を使った色んな活動が盛り沢山だよね。葉山って海の印象が強いけど、街から山がすごく近いし、木々の間に入って活動するだけで、自然から受け取るものがすごく多いなって思う。
 大工の仕事から、林業への興味がきっかけで地域の森に入るようになって、HFCが始まったわけだけど、株式会社森のサラダは、どんな流れで生まれたの?

藤本 工務店はリフォームや家づくり、HFCでは、森を守る活動をしているわけですけど、そうすると、ものすごい量の木質資源が出てくるんですよね。木を切って売ろうと思っているのではないんだけど、管理をすると、結果、木が出てきます。さっき話したタブノキだって、危険木を倒すことがきっかけで、テーブルをつくろうと思ってたわけではないじゃないですか。その大量の木を活かすプラットフォームをつくろうと思って、森のサラダを立ち上げたんです。地域の資源を地域内で循環させるっていうことを目指しているのと、同時に人々の健康も大切にしたいと思って、最初の事業がこの「&フォレスト葉山」っていうフィットネスジムになりました。
 このジムでは、一部葉山の木も含めて、木材はもちろん日本のものを使っているし、できるだけ無垢材(化学物質を使用しない無加工のもの)を利用するようにしています。それと、地域の商品も販売しようと思ってて。1つは逗子・葉山の松や夏みかんを使った洗剤やシャンプーなんですが、すすぎが要らなくて、海にそのまま流せるものです。大量に作れるわけではないから、「地元の材料を使って、地元の人のために、地元でつくる」そういう小さい循環ですね。こういう地域毎の循環が、全国に広がったらいいなと思います。ここは、ただ体を動かすだけじゃなくて、環境にいい選択肢を提示する発信源にしたいですね。そうすることで、よりよい選択の連鎖が生まれるといいなと思ってます。

国産の無垢材を使ったフィットネスジム「&フォレスト葉山」

地域貢献や社会問題の解決に直結する事業しかしない

大澤 ここまで聞いてきて全ての事業には、一つの筋が通っているような感じがするね。

藤本 そうですね。3つの事業には共通している必須項目があります。それは、それぞれが地域貢献や社会問題の解決に直結しているということ。むしろ、それに関わらないことはやりません。だから、この事業をどんどん展開して行くっていうことが、地域や環境をよくして行くことにつながると思っています。
 例えば、工務店では日本の木材を使って伝統建築をしてますが、「木を選択する」時点で、環境への負荷を下げることにつながります。アルミサッシ1㎥を製造するのに、200ℓのドラム缶の石油を100本くらい使うんですよね。でも、木のサッシの場合、チェーンソーとかで石油は使うけど、ドラム缶1/6で済むんです。それから、なるべく無垢で使うっていうことも大事にしてます。化学物質を揮発する建材と、加工されていない無垢の木に囲まれているのでは、健康面でも全然違いますよね。
 HFCの活動でいうと、森林の整備が終わったら、通常は所有者以外は入れないけれど、そういう風にはしないで、人が入るようにしておきます。そして、そこに避難所を作ることもできるなと思っているんです。最近バイオマストイレをつくりましたが、薪ボイラー、薪ストーブ、薪棚、ちょっと作業できる小屋を作っておけば、葉山には湧き水や川もあるから、電気・ガス・水道が止まっても、煮炊きもできるし、暖も取れるし。そういう場所が葉山の山の中に何十箇所かあれば、仮に津波が来たとしても、生活できるじゃないですか。普段は、子どもたちの遊び場で、いざとなったら、避難できる場所になる。森に入って行くと、そういういろんなことが可能になるわけです。HFCは、いま会員は160名ですが、仲間が増えて行けば、地域の人が自分たちの力で森を整備して、そこから様々な恵みを得ることができるかもしれません。
 独立するときは、どうしても葉山を拠点にしたいと思ったわけではありませんが、ご縁があって、子どもの頃から慣れ親しんだこの土地に根を下ろすことになりました。3つの事業とも、所在地は上山口だし、ここから出て行くつもりもありません。選んだわけではないけれど、振り返ってみれば必然だったのかなとも思います。葉山は、もともと、農村、漁村のまちで、自然が豊か。これを守って行きたいですね。経済的な発展をして欲しいとも思わないし、駅ができて欲しいとも思わない。自然と人が共存できる場所であって欲しいし、そのためにも、事業を継続させて行きたいです。

こどもたちも一緒にバイオマストイレを森に作成

(2023.1.21)

藤本工務店

葉山の森保全センター(HFC)

「&フォレスト葉山」森のサラダの初事業(2023.01.31までクラファン中)


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