見出し画像

目に見えない全体性を意識して生きる:天動説、褥瘡措置、コロナ対策

F・カプラのタオ自然学に冒頭の図がある。二次元に目を向けると、切断面は完全に切り離された2つの円板だけれども、三次元に目を向けると、この2つの円板は同一の物体と認識される。2つの円板であることはある局面であることが間違っていないが、違う局面ではまた別の真実が現れる。

こういうことは、私たちの生活のあちこちで見られる。

ある時代までは天動説が信じられていたが、今では地動説がとられている。「天動説が間違っていた」という見方もあるけれど、私は現時点ではそうは思わない。天動説は、その時代の世界の記述方法であって、それで機能していたんだろうと思う。でも、それでは説明できない何かがあって、別の記述方法が探索されたということなのではないか。

私は大学で看護の勉強もしたが、昔は褥瘡(床ずれ)ができた時、褥瘡部分を日に当てて、看護師がドライヤーで乾かしていたと聞く。それが、今では、自分の褥瘡部分を覆って、自分の体液で湿潤状態を作り、治療するという、全く真逆の対処方法が取られている。その時の医療で正しいと思われていたことが、真実の全体像を示しているわけではない。

とするとコロナ対策はどうなのか。医療も含めたこれまでの社会のあり方では息詰まって来ているのではないか。"新しい"ウィルスが出て来たら、その度に同じパラダイムに則った対処をして行くのだろうか。誰かが間違っているということではなく、天動説では説明できない何かが起きていて、地動説に転換するようなものの見方が必要とされているのではないか。

私が答えを持ち合わせているわけではないけれど、今までのフレームからものを見るのではなく、見えていない全体性に意識を向け、それをもって、「今ここ」でも起きていることに目を向けることが求められていることだけは体が感じている。だから、それをみんなと共に考えたいんだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?