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2回目の(社会的)臍の緒は自分から切る

健全な幼い頃の人間関係は、存在しない

「健全な幼い頃の人間関係は、存在しない」

「吉福伸逸の言葉」p.95


トランスパーソナル心理学を日本に持ち込み、様々な本を翻訳したり、自らも執筆したり、ワークショップを行っていた吉福伸逸は、上記のような言葉を残しているそうだ。

私の幼い頃の人間関係もやはり健全とは言えず、よくある話だが、母との関係性が最も深く、大人になってからも自分の生き方、人とのコミュニケーションのあり方に影響を与えていたと思う。

1回目の(生物としての)臍の緒は親から切ってもらう

私たちは、十月十日、母親と臍の緒でつながり、子宮の中で保護され、栄養を与えられ、外に出る準備ができると、母と力を合わせて産道を通ってくる。そして、子宮の中にいた時のつながり(=臍の緒)を、多くの場合は医者だが、それでも親の意志で切ってもらうのだ。

母と子が個体として分離すると、生物的なつながりから、今度は社会的なつながりに移行して行く。泣いたら乳を与えられ、おむつを変えてもらい、笑ったら、笑い返してもらい、心と体に栄養を得て、成長して行く。

親との関わりの傷がその人のパターンをつくりやすい

お腹の中にいた時は、母と自分との閉じられた関係性の中にあるから、比較的単純な関わりで済むが、外に出ると「社会」という要素が入ってくるため、関わりが複雑になってくる。子供のために良かれと思って、勉強をさせたり、習い事をさせること、親の社会的エゴなど、親の社会との関わりが、子供に投影され、それが傷となり、子ども自身の社会との関わりにも影響を及ぼすようになる。

「人の顔色をうかがう」「高圧的な態度を取る」「人を信じることが困難になる」「人との適当な距離感を掴みにくい」「関係性を育てて行くのが苦手」などなど。

親が子どもを手放せない

そうした関係性のパターンはどこかで行き詰まる。そこで、子どもは、ふと気がつく、「このパターンは幼児期の親との関係性によって作られたものだ」。

そして、毒親という言葉に表されるように、親を責めるようになるのも、よくあることだ。実際、私も、大学時代と、大人になって同居を始めた時の2回、母親の支配を感じて、なんという毒親なんだとなじりたい状態になったことがある。

どんな親も完璧ではないし、意図せずとも、子どもが傷ついてしまうことがある。だから、傷があったっていいんだ。問題なのは、もう心身ともに成長して自分の足で立てるのに、社会的臍の緒が切れていないことだ。

1回目の臍の緒は親の意志で切った。親も子どもに会いたいし、何しろお腹の中に居続けたら、いずれ、栄養も酸素も足らなくなり、死んでしまう。しかし、2回目の臍の緒を切れない親が多い。明らかにそのまま行けば、窒息死してしまうにも関わらず。

2回目の(社会的)臍の緒は自分から切る

だから、2回目の(社会的)臍の緒は子どもから切るんだ。

もちろん、子どもの成長を見て、痛みを感じつつも、自ら手を離せる親もいる。子どもの成長を見ていれば、手を離すべき瞬間はなんとなくわかる。そして、それは親としての感覚でいうと、意外と早く来るので、親と子双方に分離の痛みは走るが、切れて見ると、風通しがよくなっているのも感じられて、実は心地がいい(私は今16歳の娘がいるのだが、中学〜現在にかけて、社会的な分離がもう起こっている)。

でも、一般的には切れない親、特に母親から切ることは難しいと思うので、自分が窒息してしまう前に、自分から切りに行くしかないことも多い。そして、切るタイミングが遅くなったり、切っていることに自覚がないと、痛みでのたうち回ることになる。私もそうだったが。

別れるためには、しっかりと出会わなければならない

別れるためには、しっかりと出会わなければならない

「吉福伸逸の言葉」p.111

そして、子どもから臍の緒を切るときに大切なのが「しっかり出会うこと」。別れるためには、しっかりと出会わなければならない。

私が、母と2回目の(社会的な)臍の緒を切ったのは、ほんの2年前くらいのこと。40代になってからだ。対話を学び、プログラムを超えて、日常生活で実践することの延長線上に、母親との対話があった。そこで、彼女が幼少期から結婚出産子育ての間、どのような思いで生きてきたかをしみじみ聴いたのが、決定的なきっかけだった。

1人の人間として、どういう経過をたどって今があるのかに耳を傾けたとき、親である、子であることを超えて、人間としての深い共感を感じ、手を離すことができたのだった。

そして、新しい関係が始まる

冒頭の写真は、ファイティングポーズを取っている私と母。そして、どんな表情をしているかと言うと、、、

背格好は同じだけど、雰囲気がまったく違う2人が、目をしっかり見て、笑いながら、向き合っている。一時は毒親と思っていたけれども、自分から2回目の臍の緒を切って、風通しを良くすると、なんとも可愛い女性が現れた。

ここから、新しい関係性が始まる。この親子のセットである必然を思い、感謝しつつ、それぞれの足で立って行くんだ。さあ、お互いどんな世界を創造していけるのか、楽しみだ。

(写真:藤原遼太郎)

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