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【未来の仲間ナティーアに向けた日記2021/9/9】これからの時代に必要な「保留しつつ選択する筋力」について〜

2021年の日本は、COVID-19の流行の中にあり、これまでのパラダイムでは立ち行かないところにいるように思う。今だから書き残せること、在野の特に名も無い人間だからこそ置ける言葉があるのではないか。ある日、未来の人類について考えていた時、「ナティーア」という女の子の名前が思い浮かんだ。この日記は未来の仲間「ナティーア」を思いながら書く日記である。


おはよう。最後にこの日記を書いてから、もう3週間くらい経ってしまっている。日記だから、1日の終わりに書こうとしていたけれど、そうすると家事や急に対応しなければならなくなったあれこれに紛れてしまう。だから、朝書くことにしてみた。

以前の私であれば、続かなくなったから、もう辞めてしまおうかと思ったかもしれない。でも、対話をするようになって、結論づけないで「保留する」ことができるようになったから、「辞めた」とならずに、こうして戻ることができる。

そう、「保留する筋力」というのは、これからの時代を生きるためにとても大事だ。自分のこれまでの人生を振り返ってみて、短期的に「測ることができる」成果を上げることは、得意だったと思う。学校でのお勉強にしても、仕事にしても。目標を決めて、そこに向かって一心不乱に努力し、目に見える結果を出し、周囲からも称賛される、そんなことをずっと繰り返して来た。それは、「速い」し、「わかりやすい」。でも、何かしら、自分の根っことつながっていない、地に足がついていない感じが拭えず、いつも最後は行き詰まる。

どっちつかずの状態であることは、モヤモヤする。自分にも他者にも自分の状態を説明しにくく、力の入れどころがわからない。決めてしまいたくなる。しかし、速くは進めても、腑に落ちていない状況で決めて突っ走ってしまうことは、目隠しして全速力で走るようなものだ。気がついたら、自分の全体性が望む方向と真逆の地点に来てしまうことだってある。

これまでの社会は自分にも他者にも「わかりやすさ≒測りやすさ/白黒つけること」を求めすぎていたように思う。「いい学校に入り、いい会社に入り、いい伴侶を見つける」「テストでいい点数を取る」「営業成績を上げる」「より物質的に豊かになる」ストーリーは、とてもわかりやすい。でも、それが行き着いた先はどこだったか。

コロナの流行もあり、世界は大きな転換の時を迎えている。これまでのものの考え方が根本から問われる中で、物事を簡単に、わかりやすく決めることを手放すところに来ている。しかし同時に、私たちは日々生き、小さな選択を重ねていかなければならない。だから、目を見開いて、毎日毎日自分の位置確認をしよう。短期的なわかりやすい目標に盲目的になるのではなく、植物が太陽に向かって葉を伸ばすように、自分の生命が生きる大きな方向に、光が差す方に全身を向けながら、「どこに向かっているのか」「どう生きるのか」という問いを持ち続け、決定の保留と選択を同時に繰り返して行くんだ。そのあり方に慣れていないから、最初は大変かもしれない。ちょっとのことでゼーゼーしたり、毎日筋肉痛になったりする。でも、繰り返して行くうちに、きっと筋力はつく。

ねえ、ナティーア、私たちがこうして「保留しつつ選択する筋力」をつけて行った先の世界で、あなたたちはその筋力が当たり前にあって、光が差す方向に顔を向け、あるがままの生命を生き生きと生きていることをイメージするよ。




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