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コミュニケーションを哲学的にガクモンすることと「ハラスメント」の距離は近い?

いや、こういう噂は十二分にあった…あったので「表に出てきたのね」くらいの感覚しかない。 

そもそも大学の「共生なんたら」の類って、一般大衆には何やってるかわかりにくいんだよな。


「哲学」と「社会学」のごちゃまぜみたいな感じで、災害復興とか医療・福祉やら教育や社会風潮やらをネタにフィールドワークとかインタビューやらで屁理屈こさえる分野だろ…くらいにしか思えない。

似たようなプログラムとか組織ってデカい大学にいくつかあったよなあ…。

阪大だと「哲学」が表に出てないので、それがなにやらよくわからん感じだけど、あまり変わらないよなって印象。


だいたい、そーいう分野って理屈or屁理屈の達人が多いんだから、悪用すると阿呆がでたら、職位等よるヒエラルキーの悪用も起こりやすい。 

元々パワハラ、セクハラの温床ができやすい土壌なんじゃないかしら?  「哲学カフェ」とかなんかも、ちょっとなあ…という話も聞くしw。

延々と「ガクモン」でマウントとりながら、うまいこと口説く奴もいるだろうし、うっかりバレるとスキャンダルになるだけではないだろうか。


一般社会と隔絶した独自のコミュニケーション観(男女関係含めて)を主張される先生方は、うっかり学生を「巻き込む」リスクは高いのかもしれない。

早稲田大学を辞められたW先生、京都大学をお辞めになったO先生など、この手の話は結構転がっている。

まあ、好いた惚れたは、どうにもならない部分もあるので、男女関係のことについてとやかく言うのは野暮な話でもあるが、一般社会から見れば「無責任」にも見える。

それにしても不思議なのは、これまで、この手の話題において、フェミニスト思想家の先生達があまり騒ぎ立ててこなかったことである。

まあ、騒ぎ立てられなかったのかもしれない。
なにしろご都合主義の多い世界である。

その学問や思想への尊敬が、恋に、愛に、たまには略奪愛に変わることも…あるのかもしれない。

しかし、こと、「コミュニケーションの倫理」を「ガクモン」する場合、本人の矛盾は即座に「学問の矛盾」に繋がりかねない。

まあ、「世間一般の倫理」の軸や、「倫理的であること」そのものの価値を疑うというやりかたも、あるにはあるが、その場合は、基本、論理トレーニング途上の学生さんに関係ないところでやってほしいと思うし、うっかり一般社会のリアル、こと福祉や教育の世界に安易にそれを持ち込まないでほしいとおもうのである。

 



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