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【禅寺紹介その4】江戸幕府京都本社〜南禅寺金地院〜

おはようございます。くんくんです。今日は、南禅寺塔頭の金地院について。
絵・茶室・建築・庭・さらに東照宮、間近で重要文化財ばかり。ここひとつでだいぶお腹いっぱいになります。そんな金地院について解説します。


◆徳川家康の遺言→江戸幕府の京での最高機関『金地院』


“久能山に納め、御法会を江戸増上寺、靈牌は三州大樹寺、御周忌終て下野国日光山へ小堂を營造、京都には金地院に小堂をいとなみ所司代はじめ武家の輩進拜せしむべし。— 徳川実紀(台徳院殿御実紀四十二巻)”    Wikiより

京都でも江戸幕府が権力を握れるように!!との徳川家康の遺言
それに、従ってこの金地院が整備された。
以後、江戸時代を通して、
京都の五山十刹以下全ての住職の任命権を持つ事実上の最高機関であった。
それが、金地院。

江戸幕府の京都本社みたいなもの。

というわけで、ここは、それほど大きくはないのですがとても貴重なものばかり。近い距離で貴重なものを見ることができます。
みんな、南禅寺→湯豆腐。
そのため、金地院は混んでおりません。


◆金地院の文化財

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重文 方丈(伏見城の遺構)
重文 小堀遠州の茶室
重文 東照宮
重文 長谷川等伯の絵
特別名称 小堀遠州の庭

すごい…。


◆東照宮について

東照宮は、徳川家康を神様として祀る神社。
家康の遺言で、静岡の久能山、栃木の日光、そしてこの金地院に堂を建てた。

東照宮は、独自の建築様式“権現造”になっている。

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権現造りとは、
三つの建物、拝殿(お祈りする場)・石の間(一段下がる廊下)・本殿(お祀りする場)がくっついている東照宮にしか見られない造り。

●正面からの金地院東照宮(拝殿)

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●側面から金地院東照宮

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左(拝殿)・真ん中(石の間)・右(本殿)とくっついているのがお分かりいただけると思います。日光も久能山もこのようになっています。

東照宮は、家康への忠誠の意味合いもありその後、全国各地に建てられました。


◆小堀遠州の庭

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◆伏見城の遺構の方丈

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◆明智光秀の門?!

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なんと天正10年(1582年)に明智光秀が、母親を弔うためにお金をだして作った。元々は別のお寺にあったもの。
それが明治のころに金地院に移築されました。

桃山時代の様式をよく表す素晴らしい唐門ですね。

そういえば、天正10年(1582年)って明智光秀が本能寺の変で信長を討ちや山崎の戦いで秀吉に討たれた年ですね。母を弔うために門を建てたのは、その決意の表れだったのか?!


◆まとめ

金地院の場所は、南禅寺の敷地内にあります。すぐ隣。
内部の絵や茶室などの文化財は、撮影禁止のものございます。

金地院は、京都で徳川家康の権力を感じることができる場所。

入館料はかかりますが、高い思わずに
ぜひ、一度おとずれてみてくださいませ。

行く価値あり。


ご一読いただきありがとうございました。

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