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私の持病についてのおはなし。

※一部センシティブな内容を含みます。
苦手な方はバックブラウザなど自衛をお願いいたします。

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みなさんこんばんは、○○ちゃんです。
今回は私の持病についてのお話と、どう向き合い付き合ってきたかをお話できればと思います。
同じような疾患に悩まされている方や、苦しんでいる方、身近で見守ってくださっている方に届きますように。

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私の抱えている疾患は、適応障害という精神疾患です。
適応障害とは、ストレスによって気分の落ち込みや意欲の低下、不眠などの症状が現れる病気です。
私は現在、それに付随して不安障害・神経症を患っています。
不安障害とは、日常生活に支障が出るほど強い不安や恐怖を感じてしまうことの総称です。
神経症は、これらとは少し違い、今までノイローゼと言われてきたものとイメージしていただければわかりやすいと思います。

発症は16歳、高校1年生の頃でした。
無気力感と腹痛、ひどいときは嘔吐も繰り返していました。
学校にも行けなくなり、見かねた母に連れられ心療内科を受診しました。
診断名は思春期適応障害
思春期という多感な時期に、変化していく周りの環境に適応できず発症したのだろうと言われました。
漢方薬に近い安定剤を処方され、通院していましたが病状はよくならず、むしろ悪化していきました。
今思えば、薬物療法というよりカウンセリングに近かったように思います。
当時も不眠や不安障害のような症状は出ていましたが、それにアプローチする薬の処方やカウンセリングはありませんでした。
カウンセリングとひと口に言っても、カウンセラーさんとの相性もありますし、どこまで自己開示していいのかわからなかった私にとってはあまり効果はなかったように思います。

ご存じの方もいらっしゃると思いますが、心療内科と精神科の違いを軽く説明します。
心理的なストレスやきっかけがあり、腹痛や頭痛など身体に症状が現れる方が受診するのが心療内科。
対して、心の症状や病気を専門として、心の病気そのものの治療を行うのが精神科です。
このように私は認識しています。

この違いを知った私は、身体的な症状が治まっていたのもあり、精神科を受診することにしました。
そこで下された診断名は神経症性障害でした。
当時の診断書を見返すと、抑うつ状態はもちろん、躁状態幻覚妄想状態にもチェックが入っており、解離性同一性障害の診断も受けました。
ここでは薬物療法が主で、睡眠導入剤や安定剤を処方されました。

この時期が1番辛かったように思います。
ごはんを食べても美味しく感じなかったり、嘔吐してしまうこともあった私は食事を取るという行為がとても苦痛でした。
食卓につくことを想像するだけで呼吸がしづらくなるくらいに。
ですが安定剤は食後に処方されていました。
ごはんを少しでも食べさせて薬を飲んでほしい母 vs ごはんを食べたくない私の構図が毎日のように繰り広げられていました。
結局根負けしてごはんを嫌々食べ、安定剤を飲み、戻してしまう。
母方の実家が農家ということもあり、食材が私たちの手元に提供されるまでの大変さを知っている私にとって、せっかく農家の方々が手塩にかけて育ててくださった食材を無駄にしてしまったという事実が耐えられないほど辛く苦しかったです。
そして、ごはんを作ってくれた母に対しての申し訳なさもありました。

そもそも認識のズレがあったのです。
母は当時、薬をきちんと飲んでいれば風邪や胃炎のように病気は完治すると思っていました。
ですが私は、周りの同じく精神疾患を患っている人たちからの情報や、インターネットでの情報を受け、精神疾患は完治しない。
症状を少しでも緩和させ、日常生活を送れるようにずっと付き合っていくものだと認識していました。

あとから知った話ですが、母はママ友に相談したり、活字が苦手なのに精神疾患についての本を買って読んでみたり、子どもの精神疾患がトピックにあがっている番組を録画して繰り返し観たりしていてくれたようです。
今まで縁もゆかりもなかった精神疾患に触れ、理解し、我が子と向き合うことはとても大変で時には苦しい思いもしたと思います。
それでも母は私や病気と向き合い続けてくれました。

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2つ目の、神経症性障害と診断された病院に通院し始めて2年が経った頃、自立支援医療制度というものの存在を知りました。
簡単に説明すると、2年以上通っている特定の病院・薬局で適応され、医療費の自己負担額が軽減されるというものです。
統合失調症やうつ病などの精神疾患のために、継続した通院治療を受ける方のための制度です。
もちろん条件はありますが、役所で手続きをすることで交付されます。
もし、この記事を読んでくださっている方の中で、当てはまる方がいらっしゃれば、ぜひ主治医の先生に相談してみてください。

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そして事件は起こります。
いつも通り通院し診察を受けていたときのことでした。
初診の頃から主治医の先生はあまり得意なタイプではなかったのですが、この日、先生から「ちゃんと薬は飲んでいるのか」「ちゃんと私の指示に従って生活しているか」などと強い口調で問い詰められました。
大げさに感じる方もいらっしゃるかもしれません。
ですが、精神的な不調が続いていた私にとってそれらは尋問のように感じ、恐怖に襲われました。
本能が逃げなきゃと強く感じたのでしょう。
過呼吸を起こし、診察中にも関わらず病院から逃げ出しました。
駐車場で涙を流しながら強い恐怖を受け止めるように、止まらない過呼吸と戦っていました。
しばらくして母が駆けつけてくれて、少し落ち着いたあと帰路につきました。
そして母が「怖かったね。病院変えようか」と。
そうして私は現在の病院に転院することになります。

この頃の私にとって1番辛かったのは、常用の安定剤を飲む度に『お前は普通じゃない』と言われている気分になることでした。
学校も毎日行けているわけじゃない。
起き上がることすら辛くてただ天井を見つめることしかできない。
食事や入浴といった人間として必要な行為すら行えない。
私はなんなんだろう。なんのために生きているんだろう。
そんなことを毎日考えていました。
母を悩ませ、迷惑をかけている私に生きている価値はあるのか。
希死念慮を抱くようになりました。

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今までの先生たちに対しても、カウンセラーさんに対しても懐疑的になり、病院という場所や先生という存在が嫌いになりました。
ですが当時も今も、不眠は改善されていないので、睡眠導入剤は私にとって必要不可欠なものです。
病院を受診しないと手に入れられないのです。
嫌々受診した病院で病状を説明したあと、半ば投げやりに先生に言いました。
「私、安定剤嫌いです」
だって飲む度に嫌な気持ちにならないといけないし、飲み続けていたって何も安定している感じしないし。
先生は「そうですか」と言ったあとこう続けました。
「じゃあ一応、常用として出しておくけど飲みたくなかったら飲まなくていいよ」と。
衝撃でした。隣で一緒に話を聞いてくれていた母もぽかんとした顔をしていました。
今までどの病院でもどの先生にも飲みなさいと言われ、強要されていると感じていたのに。
少し淡々とした様子の先生でしたが、このひと言でこの先生になら素直に症状のことも薬のことも相談できるかもしれないと思いました。

この病院で私は前述の通り、適応障害を主とし、不安障害・神経症を患っていると診断されました。
毎月通院し、軽く状態を説明し、薬を処方してもらう。
淡々とした流れ作業のようですが、変に深入りされないので私には合っているなと思い、現在もこの病院にお世話になっています。

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そして、時間や母の支え、友人らの支えを受け、自身の病気や処方されている薬に対しての考え方が変わっていきました。

最初は知人に精神疾患を持っている旨を伝えるために使っていた言葉でした。
「私にとって薬は、目が悪い人にとってのめがねやコンタクト、足が悪い人にとっての杖。私が私らしく生活するために必要なものなの」

言霊が本当に存在するのかわかりませんが、数年かけて本当に心の底からこのように思えるようになりました。
今現在も私はそのように捉えています。
希死念慮もいつしか薄まり、調子が悪いときに抱くことはあっても随分ましになりました。

今でも得体の知れない不安に駆られ、眠れない夜もあります。
不安障害に対しては薬物療法ではなく、認知行動療法という、私は今何が不安なんだろうと問いかけ、不安に感じる必要のないことはごみ箱に捨てるという行為を繰り返しています。
それでも不安に感じてしまう場合は、実際その状況になったときどうするか行動パターンをいくつか考え、もし起こってしまったとしても大丈夫と思えるまで考え続けるようにしています。
そうすることで、ネガティブな思考から現実的な思考にシフトすることができ、不安が和らぎます。

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最後に、冒頭でもお伝えした通り、同じように精神疾患に悩まされている方や、苦しんでいる方、身近で見守ってくださっている方に届けばいいなと、そして少しでも役に立てればと思い、今回この記事を投稿することにしました。

同じ病名だからといって症状も全く同じわけではないですし、受け止め方も人それぞれです。
ご自身に合う病院や先生に巡り合うことも難しい方もいらっしゃると思います。
念のためお伝えしておきますが、あくまで私の場合はこうでしたというお話なので、これがすべてとは思わないでください。
ひとりひとりに合った治療や生活が見つかることを心から願っています。

そして、数年前から"メンヘラ"という言葉をよく聞くようになりましたが、私は個人的にこの言葉にいい印象を抱いていません。
実際、精神疾患を持っている旨を伝えた際に「メンヘラじゃん」というひと言で片づけられ傷ついたこともあります。
この記事は精神疾患を持っている方やその周りにいる方へ向けたものになっていますが、精神疾患を持っていない方にも読んでいただきたいです。
人の苦しみは測れるものではありません。
人それぞれ受け皿も違います。
たった4文字で片づけられるものではないと思います。
決して特別扱いをしてほしいという話ではありません。
むしろ腫れ物を扱うような態度ではなく、ごく普通に接していただければと思います。
戸惑うことやわからないこともあると思います。
ただ、この人は目が悪いんだな、この人は足が悪いんだな、それらと同じような気持ちで、この人は心の調子が優れないんだなと思っていただければ十分です。
大変恐縮ですが私からのお願いです。

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長くなってしまいましたが、私の持病と、向き合い方や付き合い方についてのお話でした。
少しでもみなさんの参考になればうれしいです。

最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。
またね。


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