光の十字架が教えてくれたこと
私が育った家族はクリスチャン
ではありません。
父は生物・無生物を問わず
瞬間的にものまねするのが上手で
例えば菩提寺の和尚さん達の
まねをして、一人で読経と太鼓と
ほら貝をやっちゃう人でしたが、
それを見ると母はいつも
「ふざけないで!!」と怒って
いたのに、
自分では
「アーメンソーメンひやソーメン
おしたじかーけてつーるつる」
とよく言っていました。
おしたじっておしょうゆのこと。
読経のまねはだめだけど
アーメンでふざけてもいいのか?
と子ども心に思ったものです。
そんな家族の中で育って
18歳の時、
初めて真剣に聖書を読み、
自分を拷問して殺す人達のために
祈るイエスを知って、
「イエスという人は真実だ!」
と直感したのでした。
そこからいろいろありました。
結婚してDVを受けて
娘を連れて家を出て、
夫たちも自分の身内も敵になって
想定をはるかに超えたバッシング。
弁護士も頼りにならず、
裁判所は娘の心を踏みにじり
兄嫁が私の自宅に侵入して室内の
写真を撮って言いがかりの訴えを
しても、
身内のしわざなので、
刑事事件ではないから
警察は何もできず。
移り住んだ地域の子ども達は
娘を受け入れない。
不登校。
認知症の母の在宅介護は難しく
荒れる母に驚いて
娘と抱き合ったことも。
その母も亡くなり、兄たちの
バッシングがいっそう激化するも
カウンセラーさんでさえ
私達の状況を理解できず。
裁判所からは、私が娘を虐待して
健康な娘を発達障碍者にしたから
(100%嘘) 離婚しない、という
夫の分厚い訴えが届き続ける。
この広い世の中にこれ程たくさん
の人がいても何の関わりもなく、
娘と私はふたりぼっちでした。
そんな時、リビングのドアの
くもりガラスに、十字架の形の
光が輝いているのを発見。
二人で家中のローソクを灯して
床に座り、くもりガラスが
輝く十字架でいっぱいになるのを
「きれいねぇ」って眺めました。
普通のガラスが突然十字架の形に
輝くようになったのは、
キリストの贈り物だと
信じています。
あぁ、やっぱり。
魂は他の存在と一体だから
キリストとも一体で、
彼は私達の苦しみを常に知り、
「見守っているよ」って
知らせてくれたんだ、と。
魂の存在と見守る方々への
確信を深めたのでした。
この二つを確信できたことが
難病を抱えた私の命を救いました。
そんなふうに生かされた命だから
残りの人生は、理解されない人の
味方になりたい。
不当に攻撃されたり
自分でも自分を責めてたり
恐怖で動けなくなっていたり。
トラウマのせいで病気。
間違った診断で薬に依存。
だまされたり
なんとかしたいけど
やり方がわからなかったり。
才能はあるのに発揮できなくて
自分には価値が無いと思ったり
そもそも才能ないと思ってたり。
パートナーとも家族とも
うまくいかなくて苦しんでいる人
の力になりたい。
魂の力は最強だから。
ひとりぼっちが辛い人には、
ほんとうは大勢の方によって
見守られているって
知らせたい。
そんな思いで、今も十字架に光る
ガラスを見つめて、
一人クリスマスを過ごしました。
今日もお読みいただき
ありがとうございましたm(__)m
工藤まみ