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悲しみきれない大人は「よくある話」で前を向く

フィクションの考案が苦手な割に、夢の中で架空のドラマが紡がれることがしばしばある。この前は20代半ばの男女の恋愛ドラマだった。事前にお伝えすると、このnoteは恋愛についてと見せかけて、心に関するひとりごとであります。ではまず、夢の回想から。

夢の中で、主人公の女性目線でのナレーションが入った。

こんなの”よくある話”でしょう、と言うことにした。

夢なのにここまで鮮明に言葉が残っているのが不気味だったので、朝起きてすぐにiPhoneのメモにナレーションの全文を入れた。

あなたは"よくある話"にしたかった、でも、わたしは"よくある話"にはしたくなかった。ただ、それだけの違いなのだ。

ここでナレーションも物語も終わり。短かった。

シーンとしては、男性がばつが悪そうにもう会えないだのなんだの言って、それに対して女性が”気にしないで、よくある話だし”と軽く受け止めてそのまま別れる描写。夢の主のわたしですら2人の関係性がよくわかっていないが、いっときの恋愛関係にあって交際関係に無いとか、おおかたそんなところだと思う。その関係が破綻するのは、たしかに「よくある話」だ。

もしこれが実際に存在する作品であれば、女性の強がりな気持ちが切ない、という評価になるのだろうか。

2人の感情にギャップがあることも、グレーな関係なことも、さして珍しくない…どころか陳腐化するくらい「よくある話」だ。それでも記憶に残ったのは、女性側の微妙な心理が印象的というか、自分に重なるところだったからなのか、と考えている。

「よくある話」で済ませるか、わんわん泣くか

ドラマはこのワンシーンのみの上映だったので、彼女の心理の深いところまではわからない。けれど、1人の人間に対してどうしようもなく没入したい気持ちよりも、「よくある話」の1つとして処理して、穏やかに眠ることを優先させたんだろうな、というなんとなくの分析。
その人のためにわんわん泣く選択が、彼女ももう心理的にできないのかもしれない。この”できない”が自分に重なる部分。

わたしたちは、だんだんと悲しめなくなっていく

経験する事柄が多くなるからなのか、歳を重ねれば重ねるほど、悲しみに割く時間も、悲しむための能力も目減りしていく傾向にあると個人的に思う。いや、能力の目減りは嘘だな。どちらかといえばその能力に「蓋」をする、というイメージ。

この女性も、実際は「よくある話」で処理できないほどの思い入れが相手にあるのに、大きく悲しむことができない。その様子は単なる「強がり」より、もう少し細かい感情があるように見えた。

大人になると、自分の得手不得手もなんとなく把握できているし、効率よく自分を守ることもできるようになる。悲しまない方法も、敢えて鈍くなる方法も、いつの間にか生活の中でコントロールできるようになる。これが「蓋」になる。

女性は悲しみの予感を察知して、「”よくある話”でしょう。」の一言で蓋をして、前を向いた。

愛し切って悲しみ切るための受け皿をもう持ち合わせていないから、「よくある話」で前を向く。

この夢を見たのは3ヶ月ほど前。多くのことにおいて、自分も主人公の女性と同じ感情の処理をしている自覚があるから、ずっと引っかかってたんじゃないかと思う。それが良いとか悪いとかではないけれど。

整理させてもらいました。また書きます。

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