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CDとジャズミュージシャン pt 1:因果な関係

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ジャズ・ミュージシャンの作品(アルバム)は、メジャーレーベルから出ていることの方が少ない。と言うとびっくりされる方もおられるかもしれないが、大手レーベルの中にインディーズレーベルを作って制作する形式のものから、one artist, one label的な個人的な規模のものまで、とにかくインディーズ主体で回っている。あの全世界の音楽売り上げ中の1.1%のシェアの中に、ほんの一握りの大手レーベルと、様々な規模のインディーズレーベルがひしめきあいながら、その1.1%のシェアを支える、言わばマイナーな嗜好を持つ音楽リスナー達の取り合いをしているわけだ。筋金いりのニッチ!

たとえジャズが世界の音楽シェアの1%+を彷徨っていたとしても、ジャズ・ファンは、アルバム=CDという選択肢ががあって当然と考えている人が多い。それは、仮に「私、実はストリーミング・サービスをバンバン利用してます」って人でも、そのように考えている人が大多数と思ってほぼ間違いない。CD=アーティストの名刺のような存在だと言われて久しいが、これ、意味合いは変化したが、今でも的を得ていると思う。その当時は、録音技術とCD制作の低コスト化を受けて、誰でもCD作品を制作、持てる時代だ!という意味で名刺を引き合いに出したわけだが、今はきっと、CDは名刺のように重宝する存在にもなり得るし、名刺のようにデータを取り込んだらポイ捨てされることもあるよ、という意味での名刺。CDというものの存在の儚さがよく出ている(のが悲しい)じゃないか?

名刺としてのCD。アーティストのツールとして見てみると、例えばライブをすれば、お客様からCDはありますか?と聞かれるのはデフォルトだし、アメリカの場合、新譜情報などを載せる紙ベースのジャズ雑誌も、自分の知る限りラジオプロモ盤、あるいは完成したアルバムCDで提出するのが未だメイン*。また、新譜のプロモーションの要であるジャズ専門のカレッジラジオ局や公共ラジオ局(NPR, National Public Radioの略)に関しては、やはりラジオプロモ盤CDが主流だし、またミュージシャンの大半がアルバムはCD、ダウンロード、そしてストリーミングの三揃えでアルバムはカットするもものだと認識していると思う。金銭的に余裕のあるアーティストはラジオプロモ盤もプレスする。

結局、今日現在、CDというフォーマットの存在は、マーケットのサイズとは関係なく使われているわけだ。ここで時代に沿っていないとか、化石だなんだと言われても、現実としてCDが必要とされている以上、ジャズ・ミュージシャンは、それが仮に最小のロット数であっても、レコーディングをしたらCDをプレスしなくてはいけない状況にある。もちろんこれも、Post-Covid-19にどうなっていくのかは未知の部分なわけだが、ただ、CDの、というよりCDに限らず形のあるもの全てにおける、aesthetic valueというか、視覚的な価値っていうのは否定できない魅力があって、アーティスト自身の持つ拘りに加え、特定の人、特にディープなコア・ファンが求めることを考えると完全否定をしづらい。そこをバッサリと切って完全なデジタルへの移行というのは、未だ先のような気もするし、いや、時間の問題だとする人もいるだろう。ただ、そういう時代になってしまったら、作り手としても正直なところ悲しい。

*紙ベースの媒体の新譜紹介で、ダウンロード形式で発表されたアルバムのレビューを掲載しているケースはかなり少ないのが現状。当たり前ながら、オンラインベースのジャズ批評系のサイトは、どちらも扱っているが、この辺りに関しては、レビューを書く側であったり、編集をする側の年齢層や、ダウンロードオンリーのレーベルの認知度と関係していそうな気もしている。

(CDとジャズミュージシャン part 2へ続く)

追記:ちなみに、今この文章を書きながら聴いているのは、古谷淳の新譜、Piano Solo。全編インプロビゼーション、9つのストーリー、楽曲が詰まっている。八戸のインディーズレーベル、Zodiac Independent Recordings/saule branche shincho制作の作品だ。完全なる自主制作、自主販売、大手流通を介さず、ストリーミング、ダウンロードは一切なしのCDでの販売という形態をとっている。モノづくりへの拘りと心意気が直球で伝わり、ぐっとくる。音楽はもちろん、ピアノど直球、素晴らしい仕上がり。ご興味のある方は、ぜひコチラをチェックされて下さい。

https://junfuruya.thebase.in/


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