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読み終えた直後の感覚と、数日経ってからの感想が異なる本。読み返すたびに気持ちが揺さぶられる。『ザリガニの鳴くところ』。ネタバレあります。



「えええっ!? I didn’t see that coming!」。この本を読み終えた時、最初に漏らした言葉。予想だにしなかった結末に思わず声が出た。

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これは楽しみ!!リース・ウェザースプーンのプロダクションカンパニーで、映画化が決定しています。『ノーマル・ピープル』のマリアン役で素晴らしい演技をした、デイジー・エドガー=ジョーンズが主人公カイア役とのこと。映画の前に絶対に本を読んでおくことを強くお勧めします!!!

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ディーリア・オーエンズの小説デビュー作『ザリガニの鳴くところ』は、アメリカ南部、ノースカロライナの湿地帯が舞台。私は、この湿地帯というのがどういうところなのかなかなか想像がつかず、物語の舞台をイメージするのに苦労した。潟湖?湿原?移動はボート?

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時は戦後の1952年、主人公は、この地に生まれ育った少女カイア。彼女が7歳の時、母親が家を去り、その後次々に兄姉たちも家を出る。唯一残された父親は軍人年金をもらっているが、酒とポーカーに溺れる日々。暴力も日常的だ。そして、その父親もカイアが10歳の時に家を出た後、二度と戻ってくることはなかった。「湿地の少女」と呼ばれ、たった一人で生きていくしかなかった孤独な少女は、差別と偏見に苛まれながらも、強く逞しく生きていく。しかし、1969年のある日、村の富裕家族の息子、チェイス・アンドルースが死体で発見される。不審死の要素が多く、殺人事件であると判断した保安官は犯人特定を急ぐ。

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子供が毒親に虐げられる設定の物語は、読んでいて辛くなるので、正直読み進めるのがしんどかった。物語は、1952年からのカイアの生い立ちの様子と、1969年の殺人事件からが並行して語られており、時間軸が交互に移動するのだが、登場人物も舞台もそのままなので、非常に読みやすい。そして、本筋の内容は、この殺人事件の「whodunnit?」であり、誰が殺ったのか、を追う流れになっている。

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以下、ネタバレあります。

犯人を特定していますので、まだ本を読んでない方は、ここから先は読まないでください。っていうか、本当にいい本だから、読んで~~!!


まずは、ざっとあらすじから。

家族が皆去った後、カイアは社会と完全に断絶され、学校にも行かず、たった一人で生きていくことになる。湿地には小さな店を経営するジャンピンという黒人男性がおり、ジャンピンはカイアの父親のことも知っていたが、一人きりになったカイアを気遣ってくれている。ジャンピンは、生活のために早朝から貝を捕獲するカイアからそれを購入し、少しばかりの生活費を払う。またジャンピンの妻メイベルも知り合いからいらなくなった服を集めて、カイアに渡す。ある日、テイトという年上の少年がカイアの元を訪れ、彼女に読み書きを教え始める。二人は湿地帯に生息する動植物を観察し、時間を共にする。瞬く間に読み書きを習得したカイアだが、テイトは大学進学と共に村を去ってしまう。必ず戻ってくる、と約束したにも関わらず、テイトは二度とカイアの元には現れなかった。

信じて待っていたカイアは激しく打ちひしがれるが、そんな折、村の裕福な青年、チェイス・アンドルーズがカイアに近づく。チェイスはアメリカン・フットボールのクオーターバックも務める運動選手で、好色魔でいけ好かない男だったが、カイアは孤独からチェイスを信じるようになり、関係を持つ。4年の関係の間にチェイスは結婚をほのめかし、二人の家を購入する計画なども上がり、カイアはチェイスとの未来を想像する。

ところが、彼がほかの女性と婚約したというニュースを新聞で見たカイアは全てが嘘であったと気付き、チェイスとの関係を断ち切ろうとする。しかし、チェイスは度々カイアの元を訪れては関係を迫り、激しく抵抗するカイアを力でねじ伏せ、「お前は俺のものだ」と暴力で思い通りにしようとする。

そして1969年10月30日、沼地、火の見櫓でチェイスの死体が発見されるのである。転落死であったが、村の保安官による現場検証では、指紋も足跡もチェイスのもの以外は残っておらず、謎は深まるばかりだ。

カイアは、チェイスと関係があったことから、当初から被疑者として名が挙がっていた。チェイスに捨てられた女として動機は十分だったし、カイアがチェイスにプレゼントした貝のペンダントが首から無くなっていた。またチェイスが殺された夜にカイアのボートが殺害現場近くで漁師たちに目撃されていたことも有力な証拠だと思われた。そして決定的だったのは、チェイスの服に付着していた赤い繊維が、カイアの帽子のものと一致していたことだった。

カイアは逮捕される。2か月間の拘留の後、殺人容疑での陪審員裁判となる。

カイアには、隠居生活をしていたトム・ミルトンが無償で弁護についてくれた。法廷は「湿地の少女」が裁かれるのを観るための野次馬たちで一杯になる。

争点は、チェイス・アンドルーズ殺害当時のカイアのアリバイだった。というのも、その2日間、カイアは自分の出版した本の編集者に会うため、村を離れていたのだ。(注:カイアはテイトの勧めで、自分の収集した動植物を標本にし、自ら描いたスケッチや文章と共に本として出版していた。湿地の生態系を詳しく紹介していることから、本は人気を博していた)。遠距離バスに乗り込み村を出発し、二日後に村に戻るところを、カイアを幼い時から見ている女性に目撃されている。しかし、検察側は、その間にこっそり村に戻り、チェイスを殺害して、再びバスに乗り、村を離れることは可能だと主張する。実際にその夜に殺害現場の火の見櫓近くでカイアのボートが目撃されている。しかし、弁護側はバスで戻って来たのであれば、バスの運転手はカイアに会っているはずなのに確たる証拠はなく、そもそもそのボートに乗っていたのもカイアなのかどうか疑わしい、と反論。赤い繊維も二人の関係が4年も続いていたことを鑑みれば、殺害の日に付着したとは考えにくく、確たる証拠は何一つない、と結論付けた。

そして審議の後、陪審員の下した評決は「無罪」だった。

カイアは釈放され自由の身となる。その後カイアはテイトと人生を共にし、二度と湿地を出る事はなかった。チェイス・アンドルーズ殺害事件に関しては、もう誰も口にするものはいなかったし、そもそも殺人ではなかったのかも、とまで言われるくらいになっていた。長い年月が過ぎ、カイアは64歳でこの世を去る。

カイアが死んだ後もテイトは湿地の家に留まった。葬儀も終わったある日、テイトは自宅の合板の床に不自然な上げ蓋があることに気付き、それを開けてみる。すると中から封筒が出てきた。その中にはカイアの自作の詩「ホタル」があった(カイアは、アマンダ・ハミルトンというペンネームで自作の詩を新聞に投稿していた)。その詩を読んで、テイトは確信する。誰がチェイスを殺したのかを。そして、共に隠されていた小さな箱の中あったのは貝のペンダントだった。

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〈感想〉

読み終えた直後に私が感じたのは、何故これを復讐劇としたのだろうか、という疑問だった。確かにチェイスは最悪の男だが、そんな男に対する最高の復讐とは、自分が幸せになることではないのか、と。
しかし、悶々としながらこの作品に関するいくつかの資料を読んで、気付かされた。

これは、復讐ではなく、自己防衛だったのだ、と。

作者ディーリア・オーエンズは野生動物研究者とのことで、この湿地帯に関する描写とそこに生息する動植物の生態系の叙述が素晴らしい。それは、独りで生活するカイアの周りに常にある、美しくも時に残酷な自然であり、カイアにしてみれば、自分はそこに生息する野生動物と何ら変わりはなく、彼らの姿を教材に生き抜く知恵を着けていったのだ。

チェイスがカイアを捨て、他の女性と結婚した後も彼女の元にやってきて、関係を求め、抵抗した際に受けた暴力で大けがを負わされた後、カイアは母親がなぜ出ていかないといけなかったのか、を理解する。❝カイアは父親から何度となく学ばされていた。ああいう男たちは、自分が殴って終わらないと気が済まないのだ❞。しかしカイアは自分にこう宣言する。❝私はそんな生き方はしないーーいつかまた拳が飛んでくるかびくびくしながら生きる何で、そんな人生はごめんだわ❞。

そして、カイアはその夜、カマキリの交尾を目にする。雌が交尾の最中に雄の頭を食いちぎったかと思うと、そのまま彼の胸部から羽根までかじり取り、交尾が終わるころには頭も心臓もない下半身だけの姿になっていた。また、雌のホタルは偽りの信号を送って別種の雄を誘った後、彼を食べてしまう。❝昆虫の雌たちは恋の相手とどう付き合うべきか、ちゃんと心得ているのだ、とカイアは思った❞。

カイアにはモラルやコモンセンスが通用しなかったのだ。自然界から学んだ法則に従い、自分を守るために取った行動は、やられる前にやる、という誠にシンプルな自己防衛だったのだ。

私は、これに気付かなかった自分にひどく落胆した。"最高の復讐は自分が幸せになること"、だなんて、なんと安易な考えだったのだろう。カイアが起こした行動は、復讐どころではなく、純粋に自分の身を守るための唯一の方法だったのだ。

「善悪の判断など無用で、そこに悪意はなく、あるのはただ拍動する命だけなのだ」とカイアは言う。そう思えば、カイアは裁判の最中に無実を訴えたことなど一度もなかったな、というのも合点がいく。

裁判の焦点となっていた、"一晩で村の外から湿地に戻り、チェイスを殺害した後、再び村の外に出ることは可能か"というところだが、結局法廷では、弁護側の、それを遂行するにはあと20分必要だ、という主張が聞き入れられ、評決に影響を及ぼしたように思われる。長距離バスの離発着の時間からボートに乗り換えて、火の見櫓まで行く時間、そしてまた戻る時間を考えたら不可能だ、(よってカイアにチェイスを殺せたはずはない)という結論だったが、結局カイアはこれをやってのけたわけである。これは彼女だったからできたことなのだろう。

そして、今思えば、カイアが犯人でよかった、という安堵感があるから不思議である。

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訳者あとがきに、友廣純さんも書かれていたが、非常にカテゴライズしにくい内容の本だと思う。「whodunnit?」系のミステリーではあるが、そこに終始しているわけではなく、1950~60年代のアメリカ南部におけるホワイトトラッシュへの偏見と黒人差別の描写もあれば、DVや貧困の社会問題にも触れられており、また、湿地というあまり知られていない土地を舞台にすることにより、特別な生態系と動物の行動学を紹介するという役割も果たしている。

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テイトは、薪ストーブを起こすと、そこにカイアの書いた詩とペンダントの革ひもを放り込んだ。そして、貝殻を海岸の砂の上に放った。

カイアはずっとこの大地や海のものだった。
彼らがいま、彼女を取り返しにきたのだ。
彼女の秘密も抱え込んで。

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(終わり)


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