見出し画像

ロックダウン中、連絡を取っていない友人たちのことを考えながら、バービーボーイズを聴き、涙する

※最後に『ノーマル・ピープル』の内容が書かれており、ネタバレを含みます。


18歳の時、「マミちゃんて「最近どう?」っていう、用事のない電話ができない人だよね」と友人の一人に言われた。この時初めて「用事のない電話」という言葉を聞いたと思う。大学1年生だったので、青春真っ盛りだったし、夢もあったし、バイトもしててそれなりに忙しかったので、用もないのに電話ってするものなのか?と納得のいかないまま、黙って彼女の話を聞いた。

仲の良いグループの友人たちは、高校卒業後、皆地元を出ていった。私は地元の大学に通ったので(本意ではなかったが)、皆がいつでも帰ってくる場所におり、ある意味ハブのような役割を果たしていた。それもあってか、みんなとはお互いちゃんと繋がっているし、と、とりわけ連絡事項のない限り、電話をかけなきゃいけない必要性を感じなかった。

この話を、後に同じグループの別の友人にすると、「アンタは実家暮らしやから、親となんかかんか毎日話するやろ?でも一人暮らしをすると、あ、今日は一日誰とも話してないわ、っていう日もあるとよね。」と言った。一日誰とも話さない日がある、という概念(境遇?)が存在することを初めて知った日である。

あれから、私の態度は変わったか?と訊かれると、変わってない、と答えるしかないほど私は今でも友人に連絡をしない。たぶんこれは、「便りのないのは元気な証拠」というのを本気で信じているせいもあるし、電話をかけるタイミングが分からない、というのも本音だ。(昔タモリが「電話してくる前に、いまから電話する、ってあらかじめ電話してくれ」というネタを、笑っていいとも!でよく披露していたが(言葉はこの通りではないが、こういう内容の事を言っていた)、電話って本当に勇気いるよな、と感じたのを覚えている。

ありがたいことに、現在は友人たちにも恵まれており、その中の何人かは、そろそろ話したいな、というこちらの願望をまるで見透かしたかのように、ジャストな、それは見事なタイミングでWhatsApp やZoom飲み会のお誘いをかけてくれる。そして、少しずつではあるが、ロックダウンの規制緩和とともに、対面での飲み会のお誘いも予定に入ってきている。

中学時代、真っ黒に日焼けしながら練習し、夏の中体連では準優勝するほど軟式テニスにのめり込んでいた。その仲間の何人かは今でも私が地元に戻ると集まってくれ、食事会をする。同じ目標に向かって辛い練習を乗り越えたので、長く会っていなくても昔話には事欠かないが、一つだけしんみりする事実がある。

この時の仲間だった友人の一人が17才でこの世を去ったことだ。先天性の病気だった。

亡くなった友人と私はとりわけ仲が良かった。彼女の2つ上のお姉さんがバービー・ボーイズの大ファンで、私に紹介してくれたのがきっかけだったと思う。CDを借りてカセットテープに録音させてもらった。エロティックな歌詞にイマサの創る不文律なメロディ、そしてコンタと杏子の重なり合うが決して交わらないボーカル。13歳だった私には、このバンドのすべてが新鮮で、バービーの曲を彼女と一緒に私の狭い部屋で聞くだけで幸せだった。

残念ながら同じ高校には進まなかったが、学校が別れてからも、月に1~2回の頻度で週末を中心に会い続けた。

画像1

多分一番よく聴いたのは、セカンドアルバムの「FREEBEE」。「私は"midnight peepin’"が一番好きだ」と言うと、彼女は、「私は"負けるもんか”が一番好き」と言った。彼女らしい(笑)。


15歳で米米クラブのファンとなった私は、地元の米米ファンのお姉さんたちが「ダブルドリブル饅頭」を取り寄せると聞いて、是非私にも一つ、とお願いして小さな饅頭の入った箱を手に入れた。たしか500円をお姉さんたちに払った記憶がある。大好きなてっぺいちゃんの実家の饅頭。4個入り。これを手にした途端、私は誰とこの饅頭を食べたいかもう決めていた。彼女に電話すると、すぐに自転車で家まで来てくれた。恐ろしく暑い日だった。汗でびっしょりの彼女にとりあえず麦茶を出し、2人で箱をそっと開けた。当たり前だが、饅頭が入っていた。皮は薄く、こしあんがたっぷり入っていた気がする。実は私は味はほとんど覚えていない。しかし、彼女が「私を呼んでくれて、ありがとう」と言ったのは鮮明に覚えている。彼女は特別だったので、迷いはなかったから、この言葉には少し驚いた。


彼女の葬式の日、棺のところまで行くと、彼女のお母さんが私の手を取って泣いた。この時に私も彼女にとってスペシャルだったんだな、と気付いた。棺に納められた彼女は本当に美しかった。言い忘れていたが、彼女は美人だった。美人薄命って本当にあるんだな、と思った。

あれから30年。うちの母もいまだに「もし彼女が生きていたら、今でもあんたたちは大の仲良しやったやろうね」と言う。

彼女との思い出はここには書ききれないくらいたくさんあるのだが、このところ、彼女のことを思い出すことが多くなった。

実は、理由ははっきり分かっている。『ノーマル・ピープル』(BBC/Hulu)で、コノールが高校時代の友人ロブが自殺した後、うつ状態になってしまい、セラピーを受けるのだが、コノールがロブのメッセージに返信しなかったことがあった、という良心の呵責に苛まれる告白をしているシーンが、とても気になっていた(今でも気になっている)からだ。

私の場合、友人の死に関しては、後悔というものはなく、どちらかというと悲哀だ。彼女が生きていたら、彼女は(私たちは)今頃こうしていただろうな、と考えることが未だにある。30年も経つのに。
いい思い出が多い分、描けなかった未来予想図も素晴らしく出来上がっているのだ。

これを書きながら、ふと今気づいたのだが、これって『ナポリの物語』のエレナのリラに対する感情に似てないか?
先述したように、彼女は美人だった。手足がすらりと長く細身で、中学時代、髪を刈り上げていた。ショートカットとかいうレベルではなく、本気で刈っていた。その髪型は当時かなり斬新だったが、顔が小さく頭の形が良かったので、彼女によく似合っていた。私たちの通った中学では、女子の髪は肩についてはいけない、という校則があったが(ちなみに男子は全員坊主)、刈り上げ禁止とは言っていない。しかし、先生たちは彼女に注意を促した。彼女は言った「何に関する注意だよ。髪?すぐ伸びるって」。そんなカッコイイ彼女には下級生から作られるファンクラブもあった。中学最後のお別れ遠足の日、一緒に写真撮ってください、サインください、とねだる下級生女子達の顔も見ず「嫌や」と一蹴していた彼女。ああ、彼女はリラだった…。

ロックダウン中『ナポリの物語』を読みながら(現在第4巻、最終章)、「ノーマル・ピープル」を観て、友人関係について考える。

もしかして、私からの連絡を欲している友人がいる?
どうすればそのタイミングが分かる?
「何かあったら連絡して」じゃ、不十分?っていうか他力本願過ぎ?


頭の中でぐるぐる。「用のない電話」は私にはまだまだハードルが高い。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?