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過去にとらわれない考え方

こんにちは 奥村まみ子です
前回の記事で、「とらえ直し」してみましょう〜!の投げかけで
終わっていましたので、どう具体的にとらえ直すのか、一緒に考察を深めてくださると嬉しいです。

大切な人に言われたら、絶対守らなくちゃ!その人が正しいんだ
そう考えているうちは、最終的な責任を「人任せ」にしています。
そのことに、気づくための出来事、だとも言えますね。

考え方の幅を広げる

私は大学時代、心理学を学んでいました。なぜ、心理学科に入ったのかと申しますと、「人はなぜ生まれてきたの?なんのために?」ということを高校生の時から考えていて、心理学科ならその答えが見つかりそう!と思ったからです。実際には、そういう学びではなく(要素としては入っていましたが論議をする内容ではなかった)、答えは簡単には、見つかりませんでした。

その後、アドラー心理学がテーマとなっている「嫌われる勇気」が2013年にリリースされてからは、その内容に衝撃を受け、それ以降アドラーの考え方を一つの指針にしています。

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厳しい部分がありつつも、本質的には、それを知っていれば、安心できる、ホッとする、考え直すことができる、という要素のある本です。

ここで出てくる、過去に対しての考え方が、声のとらえ直しにも有効だと思っていますので、この辺りも踏まえながら、お伝えしますね。

過去を、どうとらえるのか?

嫌だった過去をどうとらえるか?

私は子供の頃、母に「良い子と付き合いなさい」と言われたことがありました。子供ながらに、私が思ったのは、「良い子って何?決められないじゃん!」と、強い反抗心が生まれました。
そして、あまりにも腹が立ったので、泣いて反抗しました。
「良い子ってどんな人のこと?頭がいいとか、スポーツできるとか、そういうこと?別にそんなの関係ないじゃん!」
最後には言葉にならず、ただ涙だけが溢れました。

この思い出をそのままピックアップすると、ひどい母親
そして、この母だから、今の私になっちゃった、というストーリーになる。
これが、「過去にひどいことがあったから、今の私がこうなんです」という
心理学者フロイトの「原因論」という考え方になります。


この現象をとらえなおすと・・・
アドラーの「目的論」として考えると

この出来事は、
「私はみんなと平等に付き合いたい!」という強い気持ちを呼び起こすために起きた出来事。自分の大切にしたいこと、に触れた瞬間でもある、と解釈しました。

また、母の立場になれば、「良い子と付き合いなさいよ〜」というのは、深い真意があって、というよりは、世間話的な感じで(ドラマでも見た後に)話していたことなのかな、と思います。
なぜなら、本人に聞いてみると全く覚えていない、と言っているので。

となると、受け取った私が、その母の言葉をある意味、真剣に受け止めて
「なんで!!!」とひっかっかった、と言えますね。
私が母のその言葉を、人生で大切なポイントとして採用した、
言葉に反応したということなのかな、と考えます。

自分の大切にしたいことに気づくために、この母の「言葉」を利用して
怒りたかった!のかもしれません。
世間のそうした風潮に(学校にいくと、ヒシヒシと感じますよね)
子供ながらに「怒り」を感じたのかもしれない。
それを母にぶつけてしまった、ということ。

と、ここまでが私の新しい過去のとらえ方です。

ある意味、事実はもうわからないし、その時の過去の出来事を客観的に明確に伝えられる人はいない。

となると
過去の出来事に意味付けし、それを大事に抱えながら、「だから、仕方ない」と進んでいく、のではなくて、
「どうして、そうとらえる必要があったのだろう?今の私にとって」
と思ってみる。
ただ、究極的には、正確な過去はわからないので、今を生きるために、どう考えていくのか?まで進めると良いのかな、と思います。


・過去は確定できない。なぜなら、その過去を完全に正確に客観的に判断できるものは何もないから
・過去に起きたことは(苦しいこともあるけれど)、起きたこととして受け止めながら、「じゃあ、どうするか?」と考える
を、私はしてきました。

そして、ここは読んでおいてください。
もう一つ大切なこと
どうしても手放せない、とらえ直しなんてできない!と思うことに関しては、自分の気持ちをじっくり見つめ、その気持ちを味わい、「嫌だったね、辛かったね、それは悲しいね」と過去の自分に寄り添い、光をあてること
それを私は、しました。

苦しみが深ければ深いほど、それはすぐ解消されないので、
本当に少しづつ、少しづつ
溶けていくような感覚(溶かすというより、溶けていくな〜と自然観察するようなイメージ)で光を当ててください。

そのままの自分を受け取る、というのはとても大事なので。

ダメな自分も、嫌な自分も、卑怯で不真面目で、ネガティブな自分も、
すべて受け取って、ウンウン、そうそう、それもあり!と
そのままを認める(自己承認)
をしていきましょう。

「とらえ直しが苦しい」と思う方は、まずそちらから、してくださいね。
無理にポジティブにとらえ直す必要は、まったくないですから。

どんな自分でも受け取れるようになれば、
どんな他人でも受け取れるようになります
その価値に同意する、という意味ではなく、「そう思うんだね〜、そう考えるんだね〜」とただ受け取る

自分も人も、聖人君主ではないので、良いところも、嫌なところもあります。

だからこその個性だし、価値観です。

そして、そして 大前提として
今ここに存在していることは、素晴らしいんです!私たち。
こんなに高性能な人体を持っていることが奇跡的、ですよね。

だから、全員誰もが価値があります。

私がこちらの記事を書いているのは、「考え方の幅が広がれば、人生の選択の幅が広がる」と実感済みだから。

なので、上記が絶対の考え方ではないですけれど
誰かの「そっかあ〜!それで良いんだ♪」に繋がると嬉しいです。

それを、声から言葉から開拓するのが、私のレッスンです
ご興味あれば、是非

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