マスク否定派の人をみて思ったギモン。"価値観"の扱い方って?
コロナが流行してからというもの、友人や仕事関係の人の間でもコロナに対する見解が様々で、気疲れしてしまうことが多くなった。
私はゆるめのナチュラリストで、20年前からムリのない範囲で環境によい暮らし、からだによい食べ物を意識してきた。
そのおかげか、自然派の友人も多く、必然的にワクチン否定派、マスク否定派の方々がまわりに多いのだけれど、なかにはマスク反対の署名活動までしている人もいるときいて驚いた。
私もワクチンについては思うところがあって今は受けるつもりはないけれど、その代わりマスクをつけ、人混みを避けるなど(といっても、もともと出かける用事といえば徒歩5分のスーパーのみ)、予防はしっかりしたいと思っている。
マスク否定派の方々の持論はこんな感じ。
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・コロナはインフルと同じようなもの。やみくもに怖がらずに、自己免疫力をあげればよい。
・マスクをするかしないかは個人の意思であって、強要するのはおかしい。
・暑い時期までマスクをすることは、息苦しいし健康に悪く不自然だ。
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彼らはとにかく、不自然なことを嫌う。うん…言いたいことは、わかる。わかるのだけれども。
なんか、日本特有のものなのか分からないけど、白か黒かっていう議論が多いよなあって気がしてしまう。
単に「気にしない人同士が集まったときだけ、お互いの了承のうえでマスクをつけない」で完結する話では…。
"価値観"は、生きる指針であって、主張するものではないヨネ
自分の価値観は素晴らしいもので大事にすべきものだけれど、
それって、他人に押し付けたり、わざわざアピールするものではないよね?って気がしてしまうのです。
社会人だし、大人だし。
公共の場では、コロナに不安な人もいたり、病気で免疫力が下がっている人、子どもやご高齢の方、それぞれの事情を抱えているわけで。
そのなかで、自分の価値観を押し通してまで、マスクをつけない!と言い張るのは
(言い方がアレかもしれないけれど)厳しい校則に反発し髪を染める中学生にみえてしまうのは私だけだろうか…。
きっと、なにかしら理不尽な圧力を感じて、屈したくないという思いがあるのかもしれないけれど。
そもそも、日本ではマスクは法律で義務化されておらず、個人のマナー意識にゆだねられている。
では、マナーってなに??
ルールやマナーというものに目くじらを立てて、「守るべき!」という人もいるけれど、
結局はマナーの正体って、やはりなにを置いても「思いやり」ではないかと思う。
マナーが必要とされるのは
様々な立場、感覚や価値観の違い、身体的・精神的な障害を抱えた人、老若男女が入り乱れる公共の場などで、だれもが苦痛や我慢を強いられず快適に過ごせるように、という配慮から。
それを思えば、おのずと想像力が働くんじゃないだろうか。
重症化しやすいリスクを抱えているご高齢の方や疾病をもつ方、免疫力が下がっている妊婦さん…。
若くて健康な自分はコロナが怖いと思わなくても、そういった方々が、どれだけ不安な気持ちを抱えているか。
「自分自身を守るため」という理由もあるけれど、やはり私は、そのだれかのためにもマスクをつけたいと思うのだ。
年齢を重ねると、価値観やこだわりがでてきて、ものを見る目が偏ってしまったり、ガンコになってしまうこともある。
でも、「白か黒か」ではないところを、私は目指したい。
想像力と思いやりをもって、グレーという選択ができる人でありたいなあ。
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