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モノローグ

『私があなただったころ』
その瞬間は確実に存在しているのだけれども、どこか現実味がなくて。

人は忘れていく生き物だから。あの日分かったようなふりをして呟いたのは言い訳をしたかったからだと思う。それは私にも、彼女にも。
ずるいことをしたなと思う。言葉や場所を盾にした。自分を守るためと見せかけて、本当は自分の思うように事を進めたかった。利用したのだ。

彼女が懸命に生きてきたということを誰かに伝えたいわけではない。これはそんなに大それた話じゃない。
私だけが彼女を理解していればいいと思う。彼女という存在の認知もだ。
剥き出しにして言ってしまえば他人に同調されたくない。彼女のことは私が一番知っていると思っていたいから。

だけど皮肉なことに、本人には決して言えないけれども、彼女の日々を無機質的に忘れていっているということもまた事実だ。

だから私はこうして記しているのだと思う。


忘れていくことは悪いことじゃない。
時の流れは悪ではないけど残酷であるとは思う。


正直彼女にすがって生きてるよ。
手放したら私という存在が何もなくなってしまう気がするから。

私は彼女を辿らなければいけない。それは私が私であるために。本当はそうしなければいけないだなんて、そんな必要はないって分かってはいるけど。私という道を進んで真っ新な道を歩むこともできるのだけど。
自分を縛って自分に縛られることがそんなに心地良いのかね。影法師を追いかけた先に何があるのだろうか。

必死だよ。哀れなものだとも思う。いつも頭の中で彼女を追っている。
彼女の存在を手放すことが怖い。かといって囚われたままなのもどうかと思うけど。

「何でもいいか」と「状況を打破したい」と「すがっていたい」が、混ざったりそれぞれが強く出たり、日々や時々で入れ代わり立ち代わりだ。そのうちわけがわからなくなって結果現状維持。これの繰り返し。
変わることはエネルギーを使うし何より勇気がいる。それでも恐ろしいことは、私が離れようとしても今度は彼女が付き纏う可能性があるということ。そんなもの地獄以外の何物でもない。いや過去にそういったこともあったのかもしれないが。そんなことももう忘れた。


彼女は神出鬼没で、あらわれたりあらわれなかったりする。
最近は彼女にあまり会えていない。
だから私があなただったころを追いかけようとした。これはモノローグ。

最近の私は、壮大なジグソーパズルの中からピースを探すのと同じように、彼女を探している。ピースにはダミーが含まれていて、本来の彼女がどうしても見つからない。
パズルに当てはめてみてもどうしてもぴたりとはまるものがない。

ああ、気がつけば知らぬ間に、彼女に理想というフィルターをかけていた。

私が彼女の首を絞めてしまってどうするのだ。
彼女にとって一番で唯一の理解者でありたかったのに。
たった一人の味方であったのに。

私は彼女をどうしたいのだろう。
彼女は私をどうしたいのだろう。


書き進めてはみたけれど堂々巡りだ。不甲斐ないな。
あの時どこからか聞こえた「意気地なし」という言葉が、頭の中を延々と繰り返している。
私でも彼女でもない存在が最近、全部受け入れればいいじゃんって言う。そんなことは私が一番分かってんだよ。誰よりも私は私と彼女を受け入れている。
今すぐ何かを導き出す必要はないし、こういう時だってきっと必要なんだろう。ぐるぐるもやもやも愛して然るべきだ。
分かってる。


梅雨は春なのか夏なのか?それとも独立しているのか?
日本には四季があるけれど、六季という言葉もあるし。
梅雨はじめじめしていて髪の毛は湿気でめちゃくちゃになるしぼんやりどんやりしているし兎にも角にも過ごしにくい。
だけど梅雨は好きだ。匂いとか空気とか、結構好き。いろんな好きなところがある。梅雨の陰鬱な様が好きだ。愛したい。


綺麗である必要はない。
整っている必要はない。


そういう季節だと思ってる。



夏に、また。



読んでくださりありがとうございます!! ちなみにサポートは私の幸せに直接つながります(訳:おいしいもの食べます)