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書くということの意味

私は書くことが好きだ。
今はしていないが、若い頃は20年近く日記を書くことを習慣にしていた。
恋をしているときは、不思議と書くことが多く、1日の分量も長文となったものだ。
長男が生まれてしばらくは、育児日記を書いていた。
しかし、睡眠不足や産後の体力の衰えなどで、日記をつけている時間があるなら、1分1秒でも眠りたかったと思うほど疲れる日々を送っていた。そして文字を書くと言うことからどんどんと遠のいていった。

日記は今も習慣にはなっていないが、記録として手帳にメモしたり、ツイッターに備忘録として残してはいる。
ツイッターは文字を入力するので手書きではないけれど、文章を書くと言う点では好きな事の一つだ。

でも、やっぱり手書きが好きだ。
綺麗な文字に憧れて、ペン字の練習なども時折している。
いらなくなったプリントや、チラシ、月の終わったカレンダーなどを、綺麗に切ってメモ用紙にして、落書きやら殴り書きを楽しんでいる。

今、最もやりたいことは、手帳をきちんと活用すること。
市販の手帳も活用したいけれど、自分で工夫して、自分用にノートに枠を書いたり、システム手帳のレフィルを自作したりして楽しみながら記録を残したい。
とりあえずやってみればいいのだろうけど、学生時代からノートは綺麗に書きたい性格なので、納得いくようなフォームが自分の中で固まらないと始められない。そんなこんなで、ぼちぼちとしか進まず、一進一退の手帳ライフ。
失敗しても綺麗な見た目じゃなくても、とにかく始めて続けるのが今の目標。
こう言うのって、やっぱり見栄っ張りなんだろうなぁ。私の悪い部分の性格が邪魔をする。
手帳なんて、人に見せなくてもいいんだから、多少汚くても自分がわかればいいのにね…。

ここ最近、メモ魔になっていろいろ書き散らかしたり、こうしてnoteにいろいろ書くようになって、自分のしたいこと、好きな事を改めて思い出してきた。書くことで自分の潜在的な意識を目で確認することが出来、目標や夢、将来どうしていきたいか?自分にとっての理想の生活は何かが、少しずつ自分の中で形になり始め、それを目視することによって自覚出来るようになってきた。

書くことは楽しい。書くことは感情のはけ口。書くことは理性を保つ一つの手段。書くことは記録。

これからも、いろいろ書き散らし、書き殴り、自分の感情を整理し、置かれた状況と折り合いをつけて過ごしていきたい。
怒っても、悲しんでも、喜んでも、書くことで高揚し冷静になり、自分の人生の思い出と記録を残して行きたいと思う。

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