見出し画像

コミュニケーションにはコストがかかる

こんにちは、まみです。今日は、アメリカでもクリスマスイブ。明日は、クリスマス本番でこちらは根こそぎお店がClosedになります。意外と不便ですが、頑張らないのがアメリカ流。

さて、今日も平常運転でいきます。ダイバーシティ社会が進むということは今まで配慮される側だった私たちマイノリティが配慮する側にもならなければいけない、というお話。

コミュニケーションにはコストがかかる

今まで私がお話してきたダイバーシティ社会を生き抜く方法というのは、あくまで発達障害ホルダー=マイノリティである視点だったわけです。従来の日本のコミュニケーションは「ハイコンテクスト文化」を基盤に成り立っていると説明しました。このハイコンテクスト文化というのは、極めてコミュニケーションのコストをかけないスタイルなのです。つまり、コミュニケーションには何かを主張して理解してもらおうとする労力、言っていることを理解する労力が必要なのですが、今まではその労力=コストをかけずコミュニケーションを取ろうとするからマイノリティが排除される結果となっていました。でもこの後の社会はそうはいきません。マイノリティ側にも権利を同等に与える、ということは、今までマジョリティ側だった人たちにも、かけなくてすんでいたコストがかかることになります。「資本主義の原則は多数決」、確かにその通りです。やはり多いものが勝ちますが、少数派の意見に希少価値があるのが2020年代なのだろうなと肝に銘じておかなければなりません。

心はバランスを取りたがる

先日、Twitterでどこかの採用担当者の方が「発達障害でなければ誰でもいい」という類のことをつぶやいていました。まぁ、そんなこと公に言えないので、匿名のつぶやきという形でつぶやいているのでしょうけども、なんとも言えない気持ちになりましたね。だって「その迷惑な発達障害ホルダー」当事者なので。

上記で説明したようなコストをかけることに非常に皆さん敏感なんですよね。「普通」はかけなくて良いから、何で少数派のためにこちらが頑張らなければいけないんだ!という理屈だと思いますが、その理不尽さをマイノリティは感じていたわけです。そんなこんなですが、ダイバーシティが進むとそんなこと言ってられなくなるのです。何故なら、人種差別が問題になりやすいアメリカなんかはチームに人種別の割合が法律で指定されていたりするのですよ。そういったマイノリティの人権を守る何かがあちこちで起こってきます。この理解、おそらく現段階の日本ではできないかもしれませんが、理解しなければ自分が生きていけなくなるんですね。いくら定型発達でも。

そうなると、なかなか受け入れることができない人も出てくるでしょうが、そのうち「受け入れられない自分」はダメだとレッテルばりしてしまうのです。それは自分がしてしまうケースもありますし、社会からラベリングされるケースもあると思います。この場合、何が起こるかわかりますでしょうか。心がバランスを取るために「何か」を攻撃するようになるのです。それは時に自分に対して、時に他人に対して、そして時に社会に対して。これは差別行動を受けた側の心の動きと同じことだと思います。私のケースですと、仕事がうまくできなかったときに何か月も「ほとんど食事をとらない」という自罰を与えることで自分を許していたことがあります。これだけ罰を受けているなら、と。他から見ると全く意味のない行動ですが、ただバランスを取るためのもので、本人にとっては必要な行動だったのです。

相互理解でコストを分割する

私が言いたいのは、定型発達の人(マジョリティ側)の人たちがこれからはコストをしっかり払え、ということではありません。このコミュニケーションにおける労力=コストは双方が負担することで、結果的に生きやすい世の中になります。発達障害は障害者だから申し訳なく思え、というのも定型の人たちがマイノリティに対して配慮しろ、というのも違います。どちらも生きやすい世の中にするためには、相互理解というコストの分割で、お互い生きやすい世の中を実現してみませんか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?