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無償の愛は、「子から親」でしょ

初めての子どもを育てている時に、自分が自分でなくなる感覚が多々あった。

わたしは温和で、頭の切れが良く、ユニークで、強いメンタルを持っていると思っていた。たいていのことには動じないし、度胸もある。子どもが好きだし、暴力的な気持ちになる理由がわからないから、虐待なんてしないだろうと自信があった独身時代。

それが、第一子を生んでからは、自分のことがわからなくなった。何一つ、自信がない。「だめな母親」と思われているのかも。「だめな母親に育てられてこの子はかわいそう」と思われているのかも。

育児の正解がわからない。娘のことを、どう扱ったらいいのか。生まれてすぐ、「かわいい、かわいい」と言うのも、違うように思われた。いや、というよりは、子どもを「かわいい」と思う余裕すらなかった。ひたすら、「これでいいの?」と戸惑い続ける毎日。

しかし子どもは、すくすく育った。生後半年も過ぎれば、わたしの姿が見えなくなれば大きな声で泣いた。トイレにまで後追いをして、外に出れば人見知りをして、鳩が飛び立てば驚いてわたしにしがみついた。

1歳過ぎたら、事あるごとにわたしに抱き着いた。朝起きれば、横になっているわたしのお腹に乗って、ニコニコ笑い、全身で「だいすき」を表現した。2歳にもなれば「ママだいすき」と言えるようになり、年中になると同じ内容を手紙で渡すようになった。

正直、わたしは、感情に支配されそうになる時があった。子どもをかわいく思えないときもあった。イライラして、顔も見たくない、触りたくない、優しい言葉をかけたくない時もあった。

一方、子どもはどうだろう。子どもは、常に真剣に、まっすぐに、わたしを愛していた。わたしの愛を得なければ生存にかかわるという危機をはらんだ本能であるにしても、「ママが大好き!」という気持ちに、一抹の疑念も持たずにわたしに接してくれた。

世の中で言う「無償の愛は、親の愛」という言葉は、嘘だなと思った。逆だ。無償の愛は、子どもから親への愛だ。わたしは、大人として、この愛に報いる義務がある。それは何も知らない、神様からの預かりもののような子どもに対して、この世はそんなに悪くない、信頼できるものだよと教えてあげる行為と言い換えることができる。

いま、母親になって6年が経つ。上の子は年長になった。下の子は1歳半、まだ文句なしに相思相愛だが、上の子は、「ママが気に食わない」と感じるシーンが増えてきたように思う。それでいい。わたしは、もう、上の子からは、無償の愛情はもらい終えたんだ。わたしは、ただ、親としての責任を果たす。この世はそんなに悪くない。信頼に足る、美しい世界だと。

#子どもに教えられたこと

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