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わたしは美人だった件

昨日の労働の帰り、お金もないのになんとなく化粧品売り場をうろついた。化粧品に興味がわいたのは久しぶりだった。コンタクトだったから、自分の顔がよく見えて、鏡の前で、テスターから自分に似合うような茶色のアイシャドウを塗ったりしていたら、なんだか大人のまねをしてメイクの練習をしている子供のような気持になって、わくわくしてきた。

クレヨンタイプの、鮮やかな色のアイライナーがほしかったんだけどなかったから、茶色がかったレッドのリップライナーをにまぶたのきわにのせたら、めちゃくちゃ可愛くて、とてもわたしに似合ってた。
「mami先生!まさかリップライナーをアイライナーに使うとは!さすが!常識にとらわれませんね!」
「まあ…そうですね、型に捕らわれるより、あるものを使って自分を表現することがだいじなので…」
わたしの脳内で、徹子の部屋風の椅子に座った、“インタビュアーのわたし”と“表現者のわたし”がやりとりをしていた。

そして一通りやり終えて満足してから、同じフロアに、しまむら的なカジュアルな洋服のお店があったので、またなんとなく入った。服を見るのも久しぶりだった。わたしは原付バイクで移動してるから、上は風を通さない素材の黒っぽいパーカーで、いままでそれは「必要最低限のもの」だったけれど、もう寒くなってきたから下も同じような素材の防寒ズボンをはくと、いかにもジャージジャージしていて、これまでやたらとダサいっていわれないかと人目を気にしていたのは、本当はわたしはそれを気に入っていないからなのだった。
なんとかしなきゃなあと思いながら、全然別の仕事用の服を試着室で着た。それはあまりよくなくて、(どうしても買いたい!っていう気合が足りなかったのかもしれない)試着室から出てきた時、前の太い柱が、全面鏡になっていた。ふと、自分と目が合う。
「……!!!」
驚いた。
えっ?!美人!! えっ?!わたし美人じゃない?なんで????

衝撃だった。べつにテスターで使ったアイシャドウが最高に似合っていただとか、そんなんじゃなくて、わたしは、自分が思っているより全然美人なお姉さんだったのだ。
これまで、わたしはじぶんのことを、ゲロから生まれ出た肥溜めの妖怪(メンヘラ)と思ってた。頭と顔がでかくてバランスが悪いと思ってた! それは、『悪いところしか見ない』という目(というか意識)の使い方をしていたからなのだ。


かつて、わたしがもっと、自覚すらできないぐらいに悪意が激しく、抑圧した憎しみと怒りで体中がギトギトだったころ、スピリチュアルカウンセラーの人のところに相談に行き、そこのおばちゃんに、「自分が恥ずかしい、わたしはブスなんです」と話した。おばちゃんは、「あなたはどこに出しても恥ずかしくない女の子よ」といってくれた。落ち着いた、やさしい声だった。
しかしその時わたしはあろうことか、愛に満ちた言葉をかけてくれたこのおばちゃんの顔をしげしげと眺め、(えっ…それはおばちゃんも一重やからやろ…おばちゃんの美の基準、低すぎん? おばちゃんもまあ言うたらブスやんけ)と、最低のジャッジをしていた。わたしは人の“ブスなところしか見えない”世界に住んでいる、ブス界の住人、いわばブスの女王なのであった。
人の顔に限らない。わたしはこれまで、人の嫌なところ、ダメなところ、足りない部分、ムカつく部分ばかりにフォーカスして生きてきた。そして、ずっと、自分自身に対してもダメ出しばかりしてきた。「あれができてない」「これができてない」「お前は頭が弱い」「無能」「ブス」そうすると、不思議といつも人からそういう扱いを受けた。

わたしはこれまで、どんなに人から褒められても、愛されてても、何ひとつ受け取ってこなかった。「またなんか言うてるな」ぐらいで、全部スルーしてきた。自分を、何もできない、頭の弱い、無能なブスだと決めつけ、信じ込んできた。それは呪いだった。
自己肯定感があり、健全な人は、むしろ逆なのだ。
「自分はこれができる、これも得意、これも上手!」「わたしって頭いいな!」「わたしって可愛い♪」(人と競争した美ではなく、自分が持っている唯一の美しさを認める)など、自分に素敵な言葉をかけ、批判や悪口に対しては「ああ、わたしのこと知らない人がなんか言ってるな」と聞き流す。そうやって、自分を守り、大切にする術が自然と身についている。
親や環境から、知らぬ間に受け取り、無意識の中に根を張った「自分がどんな人間なのか」というセルフイメージが、一生その人に付きまとって、その人の生き方、もしくはパートナー選びまで、影響するのだ。


わたしはほんとに最近、少しづつ少しづつ、自分を大切にすることに目覚め始めた。鏡の前で、ブスなところを数え、(…整形したい)と思うのを止めて、自分の顔の素敵なパーツを探し、褒めることにした。「あなた、髪の毛サラサラね!すっごく素敵よ!」とキャサリン(外国人の女性)で言ってみたり、ロバート(DJの男性)になってナンパしてみたりした。笑
そうやっていると、母(毒親としての母ではなく、ここでは友達としての母)が、わたしを美人だと褒めてくれていた。でも、わたしは受け取らなかった。身内をほめているだけだと思っていたのだ。そうこうしているところに、突然、しまむらの鏡の中の自分と目が合ったのだ。
本当に、衝撃だった。今までの30年は一体、何だったのか?
帰って、(友達としての)母にそのことを言うと、「そうよ、今まで自分をなんだと思っていたの? あなたはもっと自信持っていいのよ。『わたしは美人よ』って態度で生きてっていいのよ」と言われた。

お前の(無意識の)!!せいだろっ!!! とわたしは思ったが、言わないでおいた。
とにかくわたしは、本当に最近、どれだけ自分を低く、価値のないゴミのように扱っていたかを思い知らされる毎日です。現実を生きるとは、こういうことなのか。
わたしは美人で、価値があるのだ。自分を愛して、ようやく、人の愛を受け取れる。スピリチュアルカウンセラーのおばちゃん、ごめん。ブスなのはわたしの心根だった。愛を受け取れなくて、ごめんなさい。といまは思う。

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