出きった、

親を、特に母を憎み続け、ネットに悪口書き続けてきました。2年。
最後に、大きな大きな「どうしようもなさ」の波が襲ってきて、しばらく過食が止まらなかった。

感情を直視したら死んでしまうと思って、毎晩、ひたすら胃に食べ物を押し込んだ。わたしの脳内で、胃の血管がむらさきの怒りマークになるほどグロテスクにふくれあがり、血を流しているところが想像できた。体じゅうの臓器が血の涙をながしている。わたしは見えないリストカットをしていたのだ。思えば、ずっと自分を責め続けてきた。それはスパイウェアみたいに、意識を起動した瞬間から走りつづけていて、しかもそれがあることが当たり前だったから、ずっと意識されてこなかった。

幸せになったら、母を裏切ることになる。

不幸の中で共依存してきた母と娘は、二人でひとりの生き物だったから。
わたしが意識のうえで幸せを望めば望むほど、無意識で"母”がわたしを連れ戻しにくる。

「わたしは自分のために生きたい」
(わたしは自分のために生きてはいけない)

「わたしはしあわせになりたい」
(わたしはしあわせになってはいけない)

「わたしはありのままの自分でいたい」
(ありのままの自分では許されない)

願いと無意識が、2つに別れていて、さみしくて苦しくて、どうすることもできなくて、身動き一つとれなかったわたしは、いてもたってもいられなくて、ただひたすら、ものを口にいれるしかなかった。


ある夜、過食して、カエルみたいなお腹で横たわっていたら、猛烈な「さみしい!!!!」がやってきてしまって、わんわん泣いた。逃げてたのに。

ずっと、生きてる実感がなかった。
自分をユーレイみたいだと思っていた。自動ドアのセンサーに反応しないと、わたしは本当にこの世に生きているのか不安になった。一人旅で、冬の貴船神社に行った時、雪が降ってきて、あまりにも空気が静まり返っていたので、わたしはこのまま山に吸収されるんじゃないかと不安になった。

そのぐらい、わたしはいつも存在が希薄だった。怖いぐらい透明だった。
「風がふいて飛ばされそうな 軽いタマシイで 人と同じような幸せを信じていたのに」スピッツの「楓」のフレーズみたいな人生。
ぎゅっと肉体に詰まった人と、わたしは、一体どこがちがうのだろう?
いつだったか、わたしはそんなことを考えていた。
それは、愛だと思うのだ。人(母)からもらった愛。
ひとは、母親からの愛情で、自分の存在の形を得る。のではないか。


もっと、わたしを見てよ!!!!見ろ!!!!!
どうして母はわたしを見てくれなかったのだろう?
忙しかったから? 育児が面倒で、余裕がなかったから?
母は子供の面倒を見ていたはずだ。衣食住にはこと足りるように、必死で子供の世話をしていた。でも、私にとっては圧倒的に、愛情が足りなかった。空っぽだった。そして母から愛されようと、空っぽのまま、自分自身を捧げ続けてしまった。いくらでも自分をすり減らした。

そして、自分をすり減らし続けて、気がついたときには渇望感だけがあった。
自分がいない。どこにもいないの。世界のどこにも。
生きてるのに、いない。ご飯をたべても、肉体は作られない。正しくは、肉体はここにあるのに、意識が肉体に降りていない、とでもいおうか。体は生きている。私の体は生きているのに、それなのに、わたしは一体、どこにいるの? わたしがどこにもいない。

心が、わたしのものじゃなかったのだ。
おかあさんに取られた。
こころ。
夏目漱石、これがほしかったんじゃないのか。
漱石、子供のころ、お母さんが年取ってからの子供だったので、恥ずかしくて親戚じゅうをたらい回しにされて、愛着障害だったと本で読んだ。
こころ。
わたしいま、心、取り戻したぞ。たぶん。
これから、空っぽの心を、自分で埋めよう。
愛でいっぱいにしよう。そう思う。



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