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6月16日 行って帰ってくる、とはどういうことか。

今日の体重は66Kg,体脂肪は10.2%であった。すこし重めではあるが、トレーニングをして効いている感じがあると、体重増がポジティブに捉えられる気もする。無理やり体重を落とすのではなく、摂りすぎないようにしながらしっかりタンパク質と野菜を食べ、そして痴ほう予防のためにもある程度糖質も食べていきたい。

ということで、昨日はイオン系のマイバスケットへ行った。私は最近スムージーに凝っており、帰宅時にはバナナ1本と牛乳、そしてプロテイン20gを入れたものを飲むのが楽しみだ。そしてバナナの入手にはやはりマイバスケットがいい。

118円で5本入りが購入できた。暑くなるとバナナの傷みは早いのだが、毎日朝起きて1本、帰宅して1本、と計2本消費する(糖質としても食べやすい)ので、ここはやはりセブンよりもマイバスケットとなるだろう。

最近はカボチャをあまり見かけない。カロチンという意味ではトマトと共に食べたいのだが、とりあえずキノコを購入した。

そして胸肉1kgを購入。700円弱だったと思うので、100G70円程度だろうか。150Gほどを食べて残りは冷凍しておいた。これがあると安心である。先週キャンドウで鯖缶もある程度買っているので、20日までは持たせたい。

現世に死し、現世を超脱して永遠の生命を味識するプラトン的哲人は、澄譚の如き忘我静観の秘境を後にして、またふたたび現世に帰り、其処に牧々として永遠の世界を建設せねばならぬ。

井筒俊彦 神秘哲学 岩波文庫 p.74

池田晶子さんは、4聖を論じるとき、「行って帰って来た人は信頼できる」とおっしゃっている。この「行って帰る」という語が印象的で深く心に残っているのだが、では「行って帰る」とはどういうことなのだろうか。

オルフェウスであったか(うろ覚え、違ってたらすみません)、冥界に「生きて」妻を奪回しにいき、振り返ってはいけないのに振り返って失敗する、という寓話的神話を思い出す。これはどちらかというと事象というよりなんらかの心構えを説いているようにも感じられる。

一方で冥界より愛する人を同じく奪回するために自らも死して冥界に行って成功する、という話もあるという。まあ、「現実的」感覚で見てしまうと、自身も死ねば冥界から帰れないわけだから、いわゆる追って自死する、ということになるのだろうが、もともと奪還のために死す、という発想は実はあまり聞いたことがない。

話の出どころは忘れてしまったが、これも神話であったろうか。

オルフェウスは「不遜にも」生きて冥界に降りようとした(まあ、ギリシャ神話での神と人の近しさを思えば違和感はないのですが)のに対し、よりリスクをとった(真心が深かった、という解釈ができるだろう)ので成功した、ということなのだろう。

そしてここでまたおもうのは、現実に(神話的)肉体が冥界に移動する、という寓話を通して、もしかすると精神や魂の面での「行って帰ること」をもなにかを伝えようとしているのでは、ということだ。

まあ、普通はそうは思わない。だが、井筒氏や池田さんがいう「行って帰る」は基本、精神、あるいは魂の「彷徨」と「帰還」である。赴いたところは基本「理想郷」であるので、そこからこの「娑婆」に還るのは難しい、という前提があるのだろう。そしてそこに還ってくる理由はただ一つ、「利他」あるいは「一」、「あなたは私で全である」といったところであろう、と個人的には感じているのだ。

理想郷をなげうって、汚濁にまみれていることを知悉したうえで敢えて帰って来た人だから信頼できる。

いまのところの池田さんや井筒氏の言葉の、個人的解釈は、こんなところである。

(そしてそれは非常に稀なことである、ということも理解できる気がします)



お志本当に嬉しく思います。インプットに努めよきアウトプットが出来るように努力致します。