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6月25日  本を買った。鶴見俊輔、埴谷雄高、夢野久作、池田晶子(あ、全部買ったわけではありません。。)。徹底的に内省的であることにより、真実は量ではなく一挙に与えられること。

今朝の体重64.7KG、体脂肪10.1%。昨日朝が64.9kgだったので、0.2g減ったことになる。昨日は久方ぶりにジムに行けた。やはり自宅よりジムに行くと気分転換ができるのを実感した。

最近時計を左手にしている。ずっと右手にしていたが、金属アレルギーらしき症状が出てやむなく左手に代えた。まあ、アレルギーならそのうち左手にも症状が出るかもしれない。その時はあきらめてNATO ベルトかチタン時計中心にするしかないと思っている。

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鶴見俊輔さんは、いわゆる神秘哲学系から私はアプローチさせていただいたが、別に神秘哲学系の方ではなく、リベラル哲学者、というような位置づけなのだろう。
そして埴谷雄高さん(本名般若豊)、こちらは勿論我が敬愛する池田晶子さんの自ら絶版された処女作、”最後からひとりめの埴谷雄高論”がその存在を知った(笑)きっかけになる。
池田さんがこの本を上梓されたときは、まだ埴谷さんはご存命だった。その最後の時期、池田さんはなにかとお世話をされた(埴谷にとって、自らの思想をすべからく見通せる方が近くに居ることはある意味至福であったのだろうと夢想する)ということだが、なにしろその時でも生きた伝説といった位置にいらっしゃったであろう埴谷さんのお世話をする、ということは、旧来からのさまざまなしがらみも当然渦巻いていようから、池田さんもいろいろ不快な想いをなさったようだ。ご本人ははっきりとおっしゃってはいないが、あるいはこの処女作の絶版を自ら決められた裏には、そういった面が主にからんでいるような気もしている。

まあ、もったいない、というかいろんな意味で損失であろう。

昨日入手したのは、下の本のハードカバー版。2005年刊行のものだ。
鶴見さんは夢野久作のことも論じているようだ。夢野久作も、その子孫である方と薄い知り合いであったり、ドグラ・マグラに関する展示を我が版画工房の皆さんが開催したり、と縁を感じる作家であり、ここでもつながっているのか、という思いを持った。


埴谷雄高 (講談社文芸文庫)
埴谷雄高 (講談社文芸文庫)
作者:鶴見 俊輔
講談社
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夢野久作と埴谷雄高
夢野久作と埴谷雄高
作者:鶴見 俊輔
深夜叢書社
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最後からひとりめの読者による埴谷雄高論 (the BUNGEI TREASURY)
最後からひとりめの読者による埴谷雄高論 (the BUNGEI TREASURY)
作者:池田 晶子
河出書房新社
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ドグラ・マグラ
ドグラ・マグラ
作者:夢野 久作

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そうではない。問い方が、その方法こそが問題なのだ。「外側」に解答を求めすぎる精神が事実を不明確にする。「方法」は至って簡単だ。自身の「眼球」を「内側」に向けてみるだけでよい。徹底的に内省的でありさえすればよい。答えは、事態の真実は、つまり「外側」さえもが、そこに、在る。真実は量ではなく一挙に与えられる。質であること、厳密に実感しない「理論」は推測以上のものでないことに、我々は気づくべきだ。「訂正」の可能性をもつ「見解」、つまり、恣意性は、それ自身で既にその虚偽を示している。我々は、自身の、実感に誠実でいさえすればそれでよいのであり、そしてそれのみが正当に「思想」と名付け得るものの原点である。

P.13-14 「最後からひとりめの読者による埴谷雄高論」 池田晶子

同書を読みだし、最初の15ページ位を読んでみたら、それがなんというか「宇宙のすべて」を見透かしている気がして、何度も何度も読み返している。

これは池田さによる埴谷雄高の読みであるが、では鶴見俊輔さんの読みはどのようなものか、なかなか歯ごたえがありそうだが楽しみである。

(池田さんの埴谷評、生成前と生成後、この宇宙以外の宇宙の初めと終わり、そのゆりかごとしての時空、それを見通す「宇宙者」である、というのを読んで、それを自らの筆で紡いでいる永野護さんを思い出しました。ちょっと意外な組み合わせかもですが)













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