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一度死んだから言えること!

◎人には客観性が必要なのだ

私が入院していた部屋には、カレンダーも時計もありませんでした。いわゆる時間経過というものを指すものが無いのです。おまけに鏡も無くて、自分を客観的に確認できる術もありませんでした。

つまり、自分から見える世界が全て主観でしかなく、それは世界の一方しか情報が無いという事なのです。その事により、人の精神は安定を失うのだとつくづく思いました。

皆さんが何気に鏡を見たり、ショーウインドーに映る自分の身だしなみをチェックするのは、それ以外に客観的に自己の存在を確認しているのです。

人は、自分が確かにこの世界に存在しているのだとわかると、とても安心するのです。

私の場合は、前述のとおり自分を客観的に確認する方法が無くて、自分がどんな状態なのかが分かりません。

鼻のマーゲンチューブの状態も、喉のカニューレがどんな形をして入っているのかも分かりません。

随分前にも書いたのですが、そもそも私がこの病院に来た日から3か月以上たっても、私は自分についての情報を貰えてないのです。

そんな中で自分を客観的に確認できない事や、以前にも書いたように喀痰の吸引カテーテルの行為や、膀胱炎などのストレスが重なり、メンタルがかなりやばくなってきてました。家族にも会えてないしね( ;  ; )

そんな時に私の元へ救世主が現れたのです。ある日の夜に、見慣れない看護師さんが、今日の当直だと挨拶に来られました。

「まめぞうさん私の事は分からないと思いますが、私はあなたが入院された日にあそこに居て、世話をさせてもらっていたのですよ。本当に大変でしたね」と言われたのです。

その途端に涙がドバっと涙が溢れました。止めどもなく流れ落ちる涙で、寝巻がグッショリするんじゃないかと思うほどでした。

私はその看護師さんにメンタルがヤバいと言った話をして、「どうか私について知る限りなことを教えて下さい」と言いました。

そして彼女は私の詳細について、初めて話をしてくれたのです・・・・

続く

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