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一度死んだから言えること


◉あなたも窪みにハマってませんか?

【窪み理論】

※この話はラポール神戸の特別講義で提供された資料を、ブラッシュアップしたものです。

パートナーのゆあんGraceは、2019年の夏に「この世界は2020年から全て一段下がって地獄になる」と言った。それは全てが一律に一段もしくは二段も下の世界へと堕ちるという事である。

果たしてその年末に武漢で始まり、翌年には日本も席巻された。私も2021年に死に掛けた事は既に書いて来た。

そんな下がった場所では、人々の重たい念が呪詛の様に日々飛び交っている。街中を歩いていると途方も無く濃い場所がある。

いわゆる想念という波動でありエネルギーであり誘惑でもある。人は念ずる力が強いからだ。

本当の意味での地獄とはパンデミックそのものでは無く、それによる不自由さや経済的な圧迫及び増税では無いだろうか。獄卒に虐められている亡者の如く、呪いの言葉は念となり飛び交っている。

そこには、自分の願いだけでなく他人を恨む事も、日常の不平不満を誰かに押し付けたくて吐き出している。いや後者の方が多いだろう。

そしてそんな負の想念はターゲットを見つけるとそこへと集まって行く流れて行く。

昨今の松本人志氏の問題を見ればわかる。あれほど絶賛されていた彼も、あの週刊誌が取り上げたんだから本当なんだろう、本人が釈明がないからやましいのだろうと一斉に批判をしてきた。

次第に、彼の才能を否定し貶める事に躍起になるマスメディアやネット民たち。

本人が一言述べたらこれが即炎上し、コメント欄へ聞くに耐えない呪詛や怨詛を、繰り返し繰り返し塗りこんでいる。

つまり、日々の生活の中でクヨクヨしていると、あなたの元へと低い波動たちが寄ってきて影響を与えるのだ。霊障とて同じ様な話である。

例えば、先ずはあなたが平地にいる人だと想像して欲しい。誰もが高みを目指して努力をしているものであり、それを叶えている先人に憧れて尊敬する。まさに彼はその一人である。

それは神に憧れるが如しである。

しかしその人が、一つ社会的問題を起こすと、今度は平地より下がった窪みに居る状態へと落とされる。当然の罰だとして。

人は落ちたものを我が身より低きものとして、よってたかって足蹴にし踏み付けても良い存在と認識する。

そしてこの落差の大きいものほど、それは執拗に且つ激しくなる。憧れが憎しみの様に変化している。

そんな下がった世界で私たちも同様になると恐れ、従い反論しない存在として生きようとする。

しかし、結局は誰もが個々の問題を解決せずにいると、自分の周波数も下がる事を忘れている。

平坦だった場所がいつの間にか窪みとなり、気づけば窪みの住民となっている。

悩み鬱々とした日々に嫌気を差しても、その場から動けずにいると全く関係のない者たちもその窪みへと自分の不平不満を投げ込んでくる。地面を掘ってゴミを捨てていた時代のように。

そうなると、下へ下へと引き込まれるだけでなく、他人の周波数まで背負わされてしまうし、いつしか蓋をされて出ることが叶わなくなる。

この世界とはそう言うものだ。

まるで雨が平地に出来た窪みへと流れ込むようなもの。高きが低きへと流れ込む様に、エネルギーが動いて巻き込まれてしまう。

いつまでも自己肯定せずに否定を続けていると、あなたと関係のない人たちの想念まで引き受けてしまう事になるのだ。類友と言うではないか。

その結果、あなたはあなたで無くなり、多くの者たちの恨みを晴らす為に無差別攻撃をする様になる。他者に出来なければ愚かな自分と断罪し、自分を殺す事で楽を取る。

未来である若者の自殺が減らない理由はそんな所にある。未来が喰われているからだ。夢を貪られているからだ。そこには絶望しかない。

そんな窪みに居ても救われる事はない。報われることもない。あなたがあなたを救うしかないのだ。

この状況を理解して、どんなに苦しくとも自分を窪みから平地へと戻し、更に高みへと押し上げることが大切なのだ。

それが自分を許すという事だ。自分の価値を下げる様に自己否定するのは、一見すると正当に思えるが、その実態は真逆である。

己を許さない者は他者を許さない。己を否定し責める者は、同じだけ他者を否定し責め続けているのだ。

それが地獄の亡者という者だ。あなたはそんなものになる為に生まれたんじゃない。

だが、自己否定をするのは自分を悪者にしたくないからだ。自分を責める者は他者からは責められないからだ。

上手く自分を守っている様だが、許さないのだからその方がタチが悪いし、同じ穴のムジナと言うものだ。

だからゆあんGraceは地獄になると一段下がると言ったのだ。パンデミックはきっかけに過ぎない。

だから自分を許すという事は、一段下がった自分を救う事になる。

そうして自分という存在を認めるのが一番だとわかる。良き点を素直に愛するのが良い。さすれば笑えなくてもニヤリとは出来る。

そこから始めるのが一番だろう。日々の努力しかないが、きっと窪みから脱出され、あなたは高みへとまた歩み始めるだろう

誰かに許してもらおうと思わないで良い。誰かを許して愛そうと思わないで良い。自分を認め許す周波数は、自分を幸せにするだけで無く人をも幸せにするのだから。

後はそれを信じ切れるかどうかだ。それこそが愛に一番近い行為ではなかろうか。

続く


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