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他国で学んで働いて生きることに夢を見すぎるのはやめたほうがいい

身も蓋もないタイトルだなと思うけど、最近国外出稼ぎブームとか、シリコンバレー界隈を中心に旅した学生さんが「とりあえず(アメリカに)来ちゃいなよ、難しい(ビザの問題とか)ことは置いておいて」という私から見ると結構無責任だなと思えるアドバイスを得た、ということをまだ見聞きするので平日早朝の勢いで書いてみます。

前提:何を偉そうに書いているのか。お前誰だよ?


私は、文系出身、非エンジニア職でアメリカ西海岸に本社があるTech企業数社(大中小全部)足掛け15年くらい正規非正規正規と働いている、現役の、単なる人間です。ついでに途中では、社会人になってからF-1学生ビザを取って格安語学学校→J-1ビザ有給研修生(トレイニー/インターンシップ)の月給$2000(課税前額面)で、家賃も物価もその当時ですら鬼のように高いサンフランシスコダウンタウン在住在勤というウルトラハードな生活をした結果、H-1bビザフルタイム就業正規雇用にも転換できず、銀行口座の残高は日本帰国便のチケットがギリギリ買える程度まで減り、懐も身も心もボロボロになってほぼ強制的に帰国した低みの見物上等な経歴の持ち主。つまりこの経験は、アメリカ西海岸または東海岸での勤務・在住・複数の出張などに基づくもので、特にサンフランシスコダウンタウンを中心にシリコンバレーに深く紐づくものですから、人によっても国によっても地域によっても違うところは(多分に)あります。

日本もそうだし他国でも同じ。その国が守りたいのは自国民

自国民として、国籍を当たり前のように与えられ、生きるということ。母国と言う存在はあなたのことを本当に大きな存在として守ってくれています。どんなに首相や与党がダメダメでも、そうなんです。逆に国外に出て、他国に入国するということはその国が「一時的に許可」をしているだけ。どんなタイプのビザホルダーでも一貫してる。一時的な許可なのだから、ビザ取得の要件の時に合意した条件に違反したり、違う状況になったらそのビザは剥奪されて強制的に国外退去。学生ならば、決められた日数・時間授業を受け、そして成績の伸び率が規定の期間で達成できなければアウト。就業ビザならば、決められた日数・時間就業し、税金を収め、なおかつその就業ビザのスポンサーである会社からクビを切られたらそれで終わり。違反するようなことはしていないのに、日常のどこかでずっとビクビクして生きるのが他国で学んで、仕事をするということです。永住権や国籍変更者は該当しないけど、その権利を得るまでによっぽどの宇宙が5つくらい繋がった規模レベルのラッキー属性な人以外目に見えない事も含めて本当に苦労しているんです。

だから、異国から来たよくわからん人間が自国民を押しのけて(税金は支払うにしても)給料を得て生活をすることは100%レベルに至るまでは歓迎されていない。もちろん、他国民でもいいから自国民より秀でている技能(スキル)がある人は受け入れてやってもいい、なのが就業ビザの発給許可なのです。だからこそビザの取得はまあ本当に大変。それは当たり前のこと。その当たり前を認識していないと、だいぶ痛い目に遭う。真面目な話、行ったらどうにかなる、のはただの幻想ですよ?と個人的には言いたい。

夢を見るのは良い。見すぎるのは良くない

だいぶ辛辣なことを書いておきながら夢を見るのは良いとは片腹痛いぜ、だけど、「少年よ大志を抱け」なのはいいことです。何かをやりたいな、と思ったらやればいいじゃない。思いたったが吉日、動けばいいのです。動いて自分で経験しない限り、分からないし身につかないから。低みの見物もいいとこの、最底辺の生活をしていた期間は毎日が灰色で食べること、息をすることで精一杯だった。でも、テストの点数には反映しないけれど日常業務と死なないための英語力は飛躍的に伸びたし、何よりも最後はどうにか収められる力と根性だけは身についた。優秀な人、優しい人、色んな人にも会えたのです。

夢を見すぎると、その夢と現実の格差が大きくなる一方。現実を知った瞬間結構な勢いで絶望するので、夢を見たら収拾がつかなくなるレベルまで肥大しないうちに、実行に移したらいいんじゃないでしょうか。あなたの人生に責任を持ってるのは結局あなた自身です。国でも、親でも、学校の先生でも、友達でもなく。

自国で生きても他国で生きてもいいじゃない

海外で働いてまーす。住んでまーす、が憧れの対象のように扱われるのはなぜだろうかと考えると、割合としてあまり経験できる人がいないからでしょうか。後は、日本人的に自虐風潮があるから、日本はダメ・他国最高みたいな感じなのかもしれないし、島国だから外を見たい・出てみたい・住んでみたいと恋い焦がれるような気質がどこかにあるのかもしれないですね。日本サゲ、他国アゲも、日本アゲ、他国サゲも全く興味ないし、知らんがなだし、その人それぞれが結局はいろんなことを経験し、苦労しているのが生きること。その場所が自国であっても他国であっても突き詰めてみると最後はどうでもいいミジンコレベル以下に変わらないのです。もちろん、紛争地域に生まれ育った人、理不尽に人生が変わってしまう可能性が大きい対象となりうる人も存在するので、この論調がぬるま湯人生を歩んできた人からの観点であることは忘れずにいたいと強く思うのです。

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