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「福行灯」|酒の短編03

・有料記事で投稿しておりますが、全文無料でお読み頂けます。
・今回の投稿はさや香/落語ジャーナルさんの開催するこちらの企画に参加しています。

・『過去』、『見返り』、『増えるツンデレ』という3つのお題を使った落語風の短編(三題噺)です。

***


夫婦喧嘩は犬も食わないと言いますが、いつの時代も割を食うのは周りの人たち。落語の世界でも大家さんに御隠居さん、果てには泥棒までもを巻き込んで大騒動です。当人たちは「仲直りも含めたプレイ」かも知れませんが、巻き込まれた方はたまったもんじゃありません。
ちなみに江戸の頃は長屋暮らしが当たり前、壁なんて薄いもんですから何かと大変でした。ひとたび喧嘩が始まれば右隣の夫婦が「やめろやめろ」と火消しにくる、仲直りのプロレスが始まれば「うちもうちも」と左隣の夫婦に飛び火する。今と比べると大分おおらかです。

そんな時代、喧嘩の絶えない夫婦と男の子が裏長屋に暮らしておりまして。父親が外に出たところ、ちょうど息子が手習いから帰ってきました。


「ただいまっ。お父つぁん、お父つぁん」
「おう、なんだぁ心坊。帰ってくるなり騒がしいな」
「ツンデレってなに?」
「妙なことを聞きやがる。さてはお前、悪い友達にまたなんか吹き込まれやがったな」
「この間は大変だったもんね」
「それよ。お前が、“起請文ってなに?“なんて聞くから大変だったじゃねえか」
「おっ母さん怖かったね」
「おうよ、隠してた文を出したばっかりに、おっかぁにバレる、十日経つのにまだ飲ませてもらえねえ、せっかくの起請文もビリビリよ」
「クアーッ!」
「なんだあそりゃ」
「カラスの断末魔」
「馬鹿野郎、生言いやがる」
「まぁ、花魁からの文を後生大事に持ってたお父つぁんが悪いよ」
「口の減らねえヤツだよ、まったく。一体誰に似たんだか」
「いつも魚売りに来る、棒手振りのおじさんに似てるって言われるよ」
「…怖いこと言うね。まあいい、ツンデレかい。何だってそんなもん知りてえんだ」
「うん、井戸のところでおばちゃんたちが言ってたよ。お父っつぁんがツンデレ好きだって」
「なんだと、そいつはいけねぇ!」
「いけないの?」
「ああ、いけねぇ。あのババアども、あることないことペラペラ言いやがる。おっかぁに聞かれてみろ、こんだぁひと月は飲ませてもらえねえ」
「そりゃ大変だね」
「おう、山の神のご機嫌取りも大変よ。だから心坊、お父つぁんが正しいツンデレを教えてやるからよく聞けよ。これから大家んとこに将棋指し行かなくちゃいけねえから、ちゃんとおっかぁに伝えるんだぞ」
「うん、分かった。遅くなって締め出されないようにね」


父親から何やら教わった心坊、早速、家の中にいる母親のもとへ向かいます。

「おっ母さん、おっ母さん」
「どうしたんだい心坊、そんなに慌てると転んで怪我するよ」
「ツンデレって知ってる?」
「知ってるも知らないも、お父っつぁんが入れ揚げてた女のやり口だよ、まったく。“巻き上げられるばっかりで何の見返りもなかった“って一体どの口で言うのさ」
「起請文の?」
「そう、起請文の…ってあんた何でそんなこと知ってるのさ?もう嫌だね、誰に似たんだか」
「棒手振りのおじさんに…」
「しっ、…滅多なことを言うもんじゃないよ。可能性は半々なんだから」
「よく分からないけど、まあいいや」
「過去のことさ、いつか分かるよ。で、ツンデレがどうしたっていうのさ?」
「お父っつぁんに聞いたよ、ツンデレっておっ母さんみたいな人のことなんだって」
「あたしみたいな?馬鹿言っちゃいけないよ心坊、あたしゃあの人にツンとはしても、デレることはもうありゃしないよ」
「違うよ、ツンデレは見返り美人のことなんだって。おっ母さんみたいなツンと澄ました器量よしが振り返ったら、男衆はみんなデレっとしちゃうから。あるじゃない、師宣の見返り美人。あの絵、おっ母さんがモデルだって教えてくれたよ」
「あら、あの人が?本当に!?そう、ふふっ。師宣って百年も時代が昔だけど、悪い気はしないねえ」
「まあまあ、細かいことは気にしないが吉だよ。あと国芳の役者絵は、大抵お父つぁんがモデルって言ってたよ」
「うん?心坊、それは違うよ。あたしが“内藤新宿イチの見返り美人“ってとこだけ覚えておけばいいからね」
「そこまでは言ってなかったような…」
「何か言ったかい?」
「ううん、そうしとく」
「心坊、今夜は冷えるみたいだから、もう湯屋に行こうかね。あったかくして早くお休みよ」
「うん、分かった」


そうこうするうちに、大家のところで将棋を指し終えた父親が帰ってきました。

「おう、帰ったぞ」
「お前さん、今夜は冷えるね。大家さんのお相手ご苦労様、一本つけといたよ」
「どうしたおめえ、妙に優しいね。こりゃ“夢になるといけねえやつ“じゃないのか?」
「何言ってんの、あちら様に悪いよ。ほら、どうぞ」
「へへっ、それじゃあ遠慮なくいただくとするか。おっとっと、これはこれは久方振りのご対面。え?どちらさん?嫌だねあんた、十日っくらいであっしのこと忘れちまったんですか」
「ふふっ、まったく何やってんのさ。はい、これも拵えたよ」
「お、肴は赤貝のぬたかい。いいねえ、この時期のやつぁ」
「ええ、魚屋がいいのを持ってきてくれて」
「…魚屋って聞くと、どうにも砂を噛んだような気持ちになるね」
「なんか言ったかい?」
「いや、なにも。お、なんだ、おめえ湯に行ったのかい。ん、そういや心坊はどうした?」
「もう寝ましたよ」
「そうか随分と早えな、明日何かあるのかい?」
「明日は何もありゃしませんよ」
「するってぇと今夜かい。えーっと一本ついて、肴は赤貝…、湯行ってきたかかぁに子供は寝てる…うん、何だろう?」
「お前さんも人の悪い…」

この夜、夫婦は何やら遅くまで起きていたようでして…これが今年の初午の頃のお話。
季節は巡って年の瀬、大晦日の夜。裏長屋では親子三人が一緒になって何かを覗き込んでいます。

「心坊、静かに、静かにだぞ。
 灯り、灯り、行灯をな、そおっと寄せてくんな。
 杯もだ…うん、もうちょっと注いでくれ、おっそうだそうだ、そんなもんだ。
 笑ってるよ嬉しいねえ、ほら見てみろ、おっかぁに似て器量よしだ」

「門松も立てたし、掛け取りも追っ払ったし、ああ、もうひと安心だ。
 来年も親子四人で仲良く暮らしたいね、お前さん。
 福も無事に産まれてあたしゃ幸せもんだよ、ねえ心坊。」

「喧嘩するほど仲が良いって本当だったんだね。前から僕、ツンデレな妹が欲しかったんだ。まったく二人ときたらいつも喧嘩ばっかり、鎹ひとつじゃ足りやしない」

今年一番の見返りをもらった心坊なんでした。

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