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お酒はいつも優しい|日々の雑記#23

飲む理由と言い訳を考えていたら、いつの間にか中年になっていました。そして去年から始めたnoteも気づけば50本。毎度お酒の話ばかりで恐縮ですが、お読み頂きありがとうございます。

あらためて読み返せば、初めの頃は文体もたどたどしくペースもバラバラ、若い時の飲み会みたいです。それが最近は、似たような言い回しを重ねても平気なふてぶてしさ。まるで何度も同じ話を繰り返す酔っ払いです。これが歳をとるということでしょう。

振り返れば人生の半分以上をお酒と過ごしてきました。せめて読まれる方に有益な話があればいいのですが、飲んだビールの分だけ記憶もトイレに流してしまうので叶いません。
そんな身にもならない毎日、いつか記憶が溶けきってポンコツになる日に備えて、お酒を飲む理由を記しておこうと思います。
「何でそんなに飲むの?」と聞かれても、口からコップを離さずスマホを見せて済まそうとする、アル中(アルコール中心主義)の発想です。

さて、まったくの私事ですが欲求不満です。外見にこれという特徴が無いので大人しく見えますが、頭の中では欲望が日々発酵しています。薄皮饅頭、中身は納豆。イメージとしてはそんな感じでしょうか。
そして自分が特別な人間でないこともよく知っていますので、きっと人様も似たような状況でしょう。つまり、心に納豆みたいな欲望を抱えた人々の集まりが世の中という訳です。
人間が集まれば当然ぶつかることもあります。すると薄皮は破れ、お互いの納豆がはみ出てきます。私の狭量なところは、自分はさておき他人の納豆臭さが気になってしまうところです。

話が納豆に寄りすぎたので軌道修正します。納豆、もとい欲望という言葉は「価値観」と言い換えます。
つまりは、世の中にある多様な価値観に触れるのが不得意で、自ら一線を引いてしまう姿勢に倦んでいるのです。さらにその状況を「仕方ないもの」として受け入れてしまう自分もいて、いい歳になっても悩みが尽きません。

ですがそんな時にお酒を飲むと境界線が溶けだして、現実との折り合いをつけてくれます。酔いに緩めば世界はあやふやになって、価値観も固定観念も混じり合い、薄曇りの夕焼け空みたいなペールトーンに覆われていきます。

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私は答えが自分の中にあり、それが正しいと勘違いしてしまう人間です。ですからお酒を飲むことで原色や対比の美とはまた違う、淡く美しい景色に身を置こうと努めているのです。

身も蓋もないことを言えば、どれも正しくどれも間違っているのが世の中と思われます。在りもしない絶対を探すより酔いに身を預けるぐらいが、浮き世を漂うには具合がいいのではないでしょうか。

いつも素面で暮らせるほど強い人間ではありません。今夜も飲めば、起きたままに夢を見るでしょう。酔いの先にあるのは柔らかな世界。今のところ、お酒はいつも優しいです。

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