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世界が混沌とし、予測困難な時代だからこそ「人的資本経営」を

「人」への投資の重要性の高まり

気候危機に伴う脱炭素社会への移行、デジタルトランスフォーメーション(DX)の進展、有形資産から無形資産への価値源泉のシフト、ESG(環境・社会・企業統治)投資への関心の高まり、安全保障を巡る地政学的リスクの高まりなど、企業を取り巻く経営環境や国際情勢は激しく変化しています。経営者には従来にも増して高度で複雑な舵取りが求められています。

そのような時代においても(だからこそ)、企業は揺るぎないパーパス(社会的存在意義)の下、社会価値と経済価値を持続的に創出し続け、人類社会の幸福と発展に貢献し続ける必要があります。

その原動力は常に「人」であり、「人」への投資の重要性、「人」を根幹とする人的資本経営の重要性が益々高まっています。

人的資本とは人間が持つ知識やスキルなどを資本と見做したものです。OECD(経済協力開発機構)の定義では、人的資本は「個人の持って生まれた才能や能力と、教育や訓練を通じて身につける技能や知識を合わせたもの」とされています。

人的資本は教育や訓練などで蓄積され、生産性向上やイノベーション創出に繋がります。優秀な人材の確保・育成が企業の競争力を大きく左右するようになってきており、投資家も企業の「人」への投資、人的資本経営に注目しています。

政府が人的資本の開示指針を今夏にも策定

岸田内閣が提唱する「新しい資本主義」においても、その最大の特徴は「人」への投資を強調している点にあります。

2月1日、内閣官房の新しい資本主義実現本部に設置された「非財務情報可視化研究会」の第1回会合が開催されました(第2回が3月7日、第3回が3月18日開催済)。

本研究会の事務局資料では、岸田総理による「私が目指す『新しい資本主義」のグランドデザイン』と題する寄稿(文藝春秋令和4年2月号)の抜粋が掲載されています。この中で岸田総理は、以下のように述べています(要約)。

  • 「人」に価値があるならば、それを企業会計の枠組みの中で可視化することで、人的資本の蓄積が進むことになる。 非財務情報について金融商品取引法上の有価証券報告書の開示充実に向けた検討をお願いする。

  • 法的な枠組みの整備だけでなく、個々の企業が自分の判断で開示する場合も含めて、人的資本の価値を評価する方法についても今夏には参考指針をまとめていただきたい。

岸田総理は、1月の施政方針演説でも「人的投資が、企業の持続的な価値創造の基盤であるという点について、株主と共通の理解を作っていくため、今年中に非財務情報の開示ルールを策定する」と述べており、新しい資本主義の基盤を成す「人」への投資の可視化に向けたルール・指針の策定に対する強い決意が感じられます。

人的資本の情報開示を巡る国際的な動向

機関投資家等の要請を受けて、グローバル市場では人的資本の情報開示を義務付けるルール整備が進んでいます。

2018年12月、人的資本の情報開示に関する国際規格「ISO30414」が発行されました。ISO30414はガイダンス規格であり、11項目58指標で構成されています。
人的資本ROI(税引前利益に対する人件費の割合)など人的資本の財務的効果を把握するための指標も含まれています。2021年3月にドイツ銀行が認証を取得しています。

米国では、2020年8月、米国証券取引委員会(SEC)がレギュレーションS-K(非財務情報の開示に関する規則)を改訂し、同年11月から上場企業に人的資本の情報開示を義務付けました。
開示内容は企業の自主性に任されていましたが、2021年6月、開示項目の具体化(契約形態毎の人員数、定着・離職、構成・多様性など8項目)を求める法案が下院を通過、同年9月には上院で公聴会が実施されました。
各項目の開示基準についてはSECが策定するとされていますが、本法律の制定後2年以内に策定できなかった場合には、ISO30414を開示基準として使う旨が明記されています。

欧州では、2021年4月に企業サステナビリティ報告指令案(CSRD:Corporate Sustainability-information Reporting Directives)が公表されました。人的資本に関しては「社会・従業員」の項目で、性差別廃止と機会均等、労働安全衛生等についての開示が推奨されています。

国内での人的資本経営への先進的な取り組み

人的資本経営とは、人材を「資本」として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期の企業価値向上に繋げる経営です
国内でも人的資本経営を表明・実践する企業が増加しています。

三井化学は、昨年長期経営計画「VISION2030」を策定し、従来の素材提供型から社会課題解決の視点に立ったソリューション提供型及びサーキュラーエコノミー型のビジネスモデルへの転換を進めようとしています。それを担うのは社員であり、どのように社員を育成・採用し、職場環境を整え、能力を最大限発揮して貰うのか、新設されたCHRO(Chief Human Resource Officer:最高人事責任者)が人材戦略の立案・実行に責任を負います。

資生堂は、1月に人事部を発展的解消し、人財本部を設けました。同本部内の人財企画部は、優れた人材の採用やウェルネスの推進に加え、人材データの活用や分析等、DX活用を通じて組織・人財戦略を策定し、変革の実行をリードする役割を担っています。

オムロンは、人材戦略の柱の一つに「リーダーの育成と登用」を挙げ、企業理念を自ら体現し、ありたい姿に向けて率先して組織を牽引する強いリーダーの育成に継続的に取り組んでいます。海外のコアポジション(同社の持続的成長とビジネスモデル変革を牽引するために最重要となるポジション)については、現地化比率が大きく向上(2017年度の49%から2019年度は70%)しています。

これらの企業に共通していることは、人材戦略を経営戦略の一環として位置付けている点です。

人的資本経営における日本企業の課題と展望

2021年7月に経産省が設置した「人的資本経営の実現に向けた検討会」(座長 伊藤邦雄 一橋大学CFO教育研究センター長)の議論では、日本企業の多くが「企業価値を高めるため人にどう投資をするか」という戦略的な議論ではなく、採用や人材配置に偏った〝人事〟の議論をしており、その議論が人事部という一つの部署のみで行われているという課題が指摘されています。



人への投資を人事に閉じた話ではなく、経営戦略の一環として捉えるべき、というのが人的資本経営の基本的な考え方です。

経営層(CHROなど)の強いイニシアティブの下、産業構造変化などに伴う事業ポートフォリオの変化を見据えた柔軟な人材ポートフォリオの構築、イノベーションや付加価値を生み出す高スキル人材の確保・育成、フラット化やダイバーシティ&インクルージョンを意識した組織の再構築など、長期ビジョンや経営戦略の実現に資する人材戦略の策定と実行が重要となります。

同時に、取締役や経営陣のスキル・知見を含めた多様性の確保、高い見識と倫理観を持ったタフな経営人材の育成、柔軟な人材ポートフォリオ実現のための経営陣を含む社員のリスキル・学び直しの機会提供なども必要になります。

また、投資家や従業員を始めとするステークホルダーとの関係においては、人的資本情報の積極的な開示及び建設的な対話・エンゲージメントも重要です。 今夏にも政府が公表を予定している人的資本など非財務情報の開示指針等も参考になりそうです。

世界が混沌とし、先行き不透明で予測困難な時代だからこそ、企業は揺るぎないパーパス(社会的存在意義)の下、「人」を根幹とする人的資本経営への戦略的かつ誠実な取り組みが強く求められています。


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