見出し画像

遠く遠く

朝はラジオをつけながら準備するのが日課なのだけど、この間カラオケに行ったので昔の曲が聴きたくて、その日の朝は音楽をかけていた。
出勤前、最後の仕上げの諸々をしているときに流れてきたのが、
槇原敬之さんの「遠く遠く」
この曲、生前父が大好きだったな〜
酔ったときにこの曲を聞いては泣いていたな〜
子どもだった私たちはそれをみて笑っていた。
だけど、今、この曲を改めて聴いたら私も泣いてしまった。
私には遠くにふるさとはないけど、父はあの頃、自分のふるさとを思い、同級生と別れて東京に出てきたことを思い出していたのかな〜なんて考えたら、ますます泣けてきた。

「この曲、いつ頃の曲なんだろう」って調べてみたら、1992年。
父が51歳のときに発表された曲。
今の私とそう変わらない年齢の父。
そのときの父には、反抗期の私を筆頭に4人の子どもがいて、会社を経営して家族を養っていたんだなぁ。
そんなことを考えていたら、いろんな事を思い出した。

近所に住む親戚の中では、私が一番最初に生まれた子ども。
叔父も叔母もたくさんいて、父の会社の人たちも近くに住んでいた。
私が中学生になり、反抗期で「私のことなんて可愛くないんだ」と不貞腐れると、叔父叔母たちはこぞって「生まれた時から目に入れても痛くないくらい可愛がってきたんだよ」と言ってくれたが、「そんなの覚えてない!」と一蹴していた。

でも、考えてみる。
赤ちゃんて、何にもできないのに可愛がられている。
みんながみんな「生まれてきてくれてありがとう」という気持ちで自分を見ていてくれてることを想像してみる。

父は、生まれた私が女児だと知ると「嫁にやりたくない」と泣いたそうだ。
それはいつも笑い話だったけど、美醜もわからず、ただ女児というだけでそう思って泣いてしまう父は、私を丸ごと認めていてくれたに違いない。

父と母は若いころ貧乏していたそうで、そのことをよく笑い話にしていたけど、その二人が働き、安全と安心を子どものために確保し、食事を与えて育ててくれた。私は何不自由なく暮らしていたし、むしろ贅沢な暮らしだったと思う。

祖母も親戚もみんなみんな、私を可愛がってくれていて、それは私を取り巻く条件ではなく、私そのもの=魂 を愛おしく感じてくれていたのではないか。
そう思うと感謝が溢れ出てきた。

望まれてここにいる

よく、神様に生かされているとか、10代遡ると2000人の人が自分の祖先にいるから生まれたきたことが奇跡とか聞くけれど、そんなこと言われたって私は今辛いんだ、としか思えなかった。
でもきっとどんな形にしても望まれてきたし、愛されたし、きっと形は見えないけど、今でも愛してくれているんじゃないかな〜と、父が好きだった曲を聴いたらそう思った。

親も人間だから、子どもが大きくなるにつれ条件をつけたくなるのかもしれない。(親になったことないから分からないけど)
それでも、ほんとのほんとの根っこの部分は生まれてきてくれた魂を愛してくれてるのだと思う。
私も甥っ子がどんどん大きくなってきて、甥っ子なりの悩みを聞くけれど、「どんな自分だってぼくは愛されているっていうのを忘れないで」と教えている。だって、甥っ子がどんな風になっても私は甥っ子を愛しているから。

50歳を機にファンキーに、そして世界基準で生きていくことにした私だけど、今日はしんみりと。
それでも、気がつけて良かったので書いてみました。
甥っ子も世界基準にするため、まずは自国の伝統から!ということで、今日は二人でお茶のお稽古に行ってきまーす。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?