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750m動いた軌跡 -美しく暮らす-

なにかを変えたくて気学を学んだ。
最初は信じられなくて、講座の金額を聞いて踏ん切りがつかなかった。
踏ん切りはつかないけど現状を変えたくて、手当たり次第に学ぼうとしていた。
そして、気学に飛び込んだ。

毎日吉方に行く、そこのエネルギーを使ったものをいただく。
まずぶつかったのは750m以上離れた場所に行くという壁だった。
朝からそんなところ行ってられないし!と思ってた。師匠は750m行かなくてもいいという。それでもなかなか行けなかった。
そしたら今度は行くための準備だけでもいいという。顔を洗う、着替えてみる、靴を履いてみる、玄関から出なくてもいい。
それなら、、、とやってみる。
不思議と家を出たくなるから行ってみる。
そうか、通勤途中に途中下車してもいいんだ、そうやってハードルが低くなった。

しばらくして、吉方旅行を勧められた。
無理だし。ひとりで泊まるとか怖いし。ひとりで行ったっておもしろくないし。
そう思ってたけどやっぱり気になって、初めて新潟にひとりで旅行に行った。
新幹線が新潟に着く時、震えるほど感動した。私できるじゃん!

初めての一人旅は思いの外、楽しかった。
初めて行く土地、お蕎麦屋さん、日本海の海、カウンターのお寿司、オシャレなカフェ。
どれも無理だと思ってたことが、自分の力で叶えられてゆく。

次に行ったのはグアム。
その頃には「南の島にひとりで旅行に行ったら怖いものないだろ」って思ってた。
前日の夜、飛行機欠航による振替えのメールが届いた。いや、もう無理。初めていく場所で、海外で夜到着とかあり得ないから。
そう思ってたホテルにキャンセルできるかの問い合わせもした。
それなのに朝起きたら出発の準備を始めた。

コロナ後、初の海外旅行は色々仕様が変わっていて驚いたけど、またしてもグアム着陸時は泣きそうになるくらい感動した。
初めてのグアム、久しぶりに話す英語、初めて頼むUberのグアム版。ドキドキがすぎた。
ホテルに到着して、窓の外を見る。真っ暗。
泣きたくなった。帰りたい。眠れない。怖い。それでもいつの間にか眠っている逞しい私。
朝起きてカーテンを開ける。
真っ青な海!

窓から見えた海

私、自分で自分をこんなところに連れて来られるんだ!と思った。
プールで泳ぎ、海で泳ぎ、初めてのSAPもやった。
SAPを申し込んだところのオーナーに誘われて、夜にはパーティーにも参加。
予想もしなかったことが起きる。

太陽のエネルギーが強い

いつも辛かった。
うまくいかないと思ってた。
家から一歩でると戦いだった。
電車の中、職場、友人とですら本当の自分を出せなかった。出したら嫌われると思ってたから。
反面、身内にはわがままになってしまう。
わかって欲しい、理解して欲しい。
外に行って我慢してためたものを家の中でぶちまけてしまう。誰もわかってくれない。

分かろうとしないのも、
分からないのも、自分だった。

ねばならない教の私が許せなかったのは私自身だった。

それがどうだろう。
ここ最近、寝ても覚めても私はしあわせだと感じてる。

少し前、職場で「物言いがきつい」と注意を受けた。ただ、正しいことを理解してない人に注意しているのだから別にいい。言いたいことがあるならこちらからいうから教えてほしい、そういう内容だった。
私はなぜか、ハラハラと泣いてしまった。
職場で泣くなんて自分が一番許せない行動。
それなのに涙は止まらない。
ずっと私にパワハラ、モラハラしている人がいるのに、その人は今でも同じなのに私がどうして?と思ったら涙が出てきたのだ。
「仕事、辞めます」と言っていた。
けど、「いやそれはだめ!」って考える冷静な自分もいたので「異動したい」に変更した。
スラスラと受け入れられ、私は異動することになった。

今までの私なら、こんなに早く異動が決まったことにショックを受けていただろう。
私は必要なかったのか、いらない人間だったのか、そんなにみんなに嫌われていたのか、などと、己が異動したいと言ったことを棚に上げ考えていただろう。

今回の私は違った。
「この異動は先月、宮崎で行った縁結びの神さま、青島神社のおかげでは?!」
そう考えた。
思いもしなかった異動。
あまりにもあっさり行き先が決まったこと、障害が何もなかったこと。
こじつけかもしれないけど、起きる事象に理由をつければこじつけでしょう。

異動が決まって最終出勤日までの間、たくさん送別会や送別ランチ会をしてもらい、たくさんのプレゼントもいただいた。
会社辞めるんだっけ?ってくらいに。
ということは、私は嫌われてなんてないわけで。
ただ、最後にそこのトップにご挨拶したとき、目も合わせず「はい、お疲れ〜」だけだったので、民度が低いと感じたし、やはり出られてよかったと思った。
そして、そこでもショックはなかった。

他人軸で生きているとき、いつも周りがなんと思うか、なんというかを気にして生きていた。
「嫌われたくない」
その思いが強かった。
でも、我慢できないことが多かった。
だから、他人といることはとても疲れた。

それが、最近のあたしは疲れない。
仲良しが何日かうちに滞在しても前ほど疲れない、気も使わない。
思ったことを言うのを迷ったとき、
「言って嫌われるなら付き合いやめればいいや」って覚悟で言うと受け入れられたり。

日盤を取りに行くとは、自分への信用を積むことに他ならない気がしている。
「日盤を取りにいけばいいことがあるはず」
という淡い期待を抱いて行動する。
すると電車で座れたり、欲しいと思ったものが買えたりする。
「やっぱりいいことあった!」と自分の行動の答え合わせをし、答えに寄せていく。

それがいつしか自信になり、日盤を毎日取りに行くようになる。そこに楽しみを見つけられるようになる。
するとまた行動範囲が広がる。
範囲が広がるとということは、自分で決めて動くことが増えていくことで、結果的に自分への自信に繋がっていく。

「やってもいいし、やらなくてもいい」
師匠がいつもいうこと。
それをやめて欲しかった。どうするのか決めて欲しかった。

今、私は自分に同じことを伝えてる。
「やってもいいしやらなくてもいいよー。好きなようにしていいよー」って。

自分と会話できること
自分の相談に乗れること
自分に優しくなれること

ひとりひとりの頭の中はみんな違っていて
ひとりひとりの頭の中は宇宙
だから自分本位でいいと思う
自分のやりたいようにやればいい

小さなころ、私以外の人たちは私が見ていない時はスイッチが切れて動いてないと思ってた。私がその人の存在を意識するとその人は動くと思ってた。それは家族でさえも。
私が寝てるいるときは家族も動いてない。
朝「おはよう」と私が起きていくから母が朝ごはんを作っているという現象が起きるんだと。
ものすごく勝手な考えだけど、事実、私が今部屋でひとりでこうしてnoteを書いているときにほかの人がなにをしているかわかりようがない。
だからやっぱり好きなように生きた方がいい。その方が人に優しくなれると思うから。

なにかにすがりたくて、それがなにかわからなくて、誰かに幸せにしてもらいたくて、でも思い通りにならなかった。
ひとりは嫌だし、寂しいと思ってた。

今は、誰かといたらもっと楽しいし、ご飯も美味しいだろうなと思ってる。
ひとりでいても楽しいし、ご飯も美味しいけど、もっと楽しく、美味しくなるかなって。

つまり、どっちでもいい。

私は明日からまた吉方旅行にいく。
「旅行に行くなら吉方に」と思っている。
「どっかいきたいなー」のどこかが決めきれず行くのをやめるより行きたいから。

取り止めのない話になってしまったけれど、毎日幸せを感じられる今がとってもしあわせ。

750m動くという小さな一歩がくれた幸せ。
スピリチュアルなことだと嫌がられることもあるけれど、人間がこうして誕生していること自体がスピっているものね。

イライラした自分、ミスや損を許せない自分、怒りがおさまらない自分。
その私はとても頑張っていた。
今のあたしはもっと緩んでいて、しあわせ。

結局は愛だぜ、愛。

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