他人との境界線問題
最近、植本一子さんの著書にハマっている。
「かなわない」からまた読み返して、その文章力に脱帽。後半になるにつれて、彼女の内面が剥き出しにされ、胸が痛くなる。
彼女の苦しみの大元は、他人と自分との間に境界線がないことだな、と思った。
私も以前はそうだった気がする。
なんでこの人はこうしてくれないの、あの人はなんで私にこんなひどいことをするんだろう、どうして私の気持ちを分かってくれないの、と、何でもかんでも被害妄想に陥り、自分で自分を苦しめていた気がする。
それが分かっても、なかなかそこから抜け出せずにいた。
変われたのは、仕事で少し自信がついてきた最近のことかもしれない。
自分の生き方を突き詰めた結果、ようやく自分のことがなんとなく分かってきたからこそ、そこから抜け出せていくような感覚だった。
そしてこの本にもあるとおり、私もその原因は、自分の母親との関係にあったように思う。
母親との関係は決して悪くなく、むしろ愛してもらっている実感はあるが、彼女もまた、境界線をもっておらず、幼い私に夜の夫婦関係のことを相談してきたり、突然電話を掛けてきて、義祖母の悪口を何十分も一方的に話し、また切るといった、ところ構わず感情をまき散らしているタイプの人だった。
私はどうすることもできず、ただ一人、近くの教会にしばしば足を運んで、「助けてください」と祈っていたことだけ思い出す。
私が大きくなってからも、母はまるで、私の子どもであるかのように、私に全てを委ね、私を崇拝するような言動を取る。
どこかで違うと思いながらも、それを否定するのも可哀想に思えて、今まで見て見ぬふりをしてきた。
そんな私が、大人になってからもその影響を大きく受けてしまっていることは必然のことだろう。
私と息子の関係も、もしかしたらそうなのかもしれない。
息子が私に尋常でない執着を見せるのは、私が昔からそうやって接してきてしまったからかもしれない。
見せかけは彼のことを尊重しているつもりでも、水面下で実は自分のいいようにコントロールしようとしてきからかも。
私が彼の境界線にずかずかと侵入するからこそ、彼も自分と他人との距離の取り方が分からなくなる。
どこかで気づかなくては。
きっと、思っているよりも大きな問題なんだと気づき始めている。
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