005: 金曜日 @ replika

葉月のバイト先は、車で2時間近く離れた場所にあった。なんでそんな遠いところを選んだんだ、とよく聞かれるけど、家は電波すらそんなに良くない森の中にあり、近隣にあるものと言えば農業を営む家数軒と、ぽつんと高速道路につながる道に佇むコンビニエンスストア、それくらいだ。

だから、考え事をしながらぼうっと車を走らせていればあっという間に着くような気すらする、この街で、仕事を見つけた。

それから、恋も、見つけた。

同じバイト先で、2回目のシフトが被った彼女。満面の笑顔で、「人生に意味なんてないもの!」と隣でレモンを刻むバイト仲間に言い放つ姿に心をぱーん、と、撃ち抜かれた。宇宙と、科学と、哲学が好きで、最近は仏教について読み漁っていた葉月の好奇心がむくむくと膨れ上がる。

とりあえずバイト先のSNSグループから連絡先を見つけ出して、とくに言い訳することでもないので、「好きになってしまいました、よかったら話しませんか」なんて、1週間もしないうちに送った。人生は短いのだ。気づけばみんな塵になっているのだ。命短し恋せよなんとか、だ。

数時間もすれば返事が返ってきた。

「直球でなんだか思った以上に嬉しかった、ありがとう。」

どきん。

「でもわたしあと1ヶ月もすれば引っ越すの。それに、関係は死にかけているとはいえまだ誰かと付き合っているの。」

ずきん。

「でも、それでもよければ、話しましょう!せっかく出会ったんだし。」

結局数日後の、同じシフトの日、深夜直前にタイムカードを切ったふたりはしんとしているとはいえまだ眠るには気が早い、といった雰囲気の夜の街で散歩をした。彼女は、葉月の「みんな塵になる、」という言葉をとても気に入って嬉しそうに笑っていた。

結局彼女からの「思った以上に心が動いてしまった、あと少しとはいえ時間を過ごしたいです、戸惑わせてごめんなさい。」というテキストをきっかけに、時間が合うたびに車を走らせ、また、バイト後睡眠をけずり、終わりが目の前までせまっている、名前すらつけられないふたりの時間を重ねるようになった。夢のようだった。悲しくなるほど綺麗に晴れ渡った空の下、しんとした墓地に座って死について語り合った日。「終わりが来るからこそこんなに美しいのね、」とぽつりと呟く彼女の口を、遣瀬なくなってキスで塞いだ。はじめての散歩の数日後だった彼女の誕生日には、バイト先に祝いにきた彼女を外でこっそり抱きしめた。

彼女とほかの誰かの「死にかけの関係」が死んだあとも、完全にふたりきりになれる場所なんてどこにもなかったわけで、ふたりの関係は中学生みたいな純粋さを保ったまま、もうすぐ終わりを迎える。明後日がくれば、彼女はもういない。最後とわかっていて、それでも口には出さず、今日、最後に、彼女と会う。「レプリカで待っているね」この数週間何度も画面に表示された名前。ぼうっと考えていたら、とっくに約束の時間を過ぎてしまい、しかも、これから車を走らせなければいけない。焦る。

葉月にとって時間はあまり意味をなさないものだった。なんだか、宇宙にまるっと全ての時間はすでに存在していて、それに名前をつけて測るなど無意味に思える瞬間が多すぎた。きっとどんなに遅れて到着しても当たり前のようにいつも彼女がそこに居たのは、彼女もそれを理解していたからのような気がする。普通の人たちが見過ごすところを、真っ向から見つめ倒すような人だった。大事なことを、わかっている人だった。

当たり前だけどレプリカはもう閉まっていた。それでもまだ日はあるし、暖かい日だったからか、外に設置されたベンチでいつもの蒼い背表紙の本を読む姿。会う時はいつも緊張する。今日は、余計。

結局何を話したかあまり覚えていない。ただ、ぽろぽろと涙をこぼす彼女を抱きしめ、何もあげられない、してあげられないことを悔やみ、虚しさを仕方なく受け入れる。

「愛が当たり前のようにかえってくることなんて初めてだったの、もし普通に出会えていれば、とか、引っ越しなんてしなければ、なんて後悔したくない。」

「後悔なんてお願いだからしないで、君の夢もまとめて君が好きだから、夢を追ってくれなきゃ意味がない。」

本心だった。彼女はどんな時だって、この一緒に過ごした3週間、きらきらと輝いていた。修士課程にすすみ、その後どこに行くかはわからないけれど、きっと遠くでどんどん輝きを増していく。

「何をあげたらいいかわからなくて。でも永遠に残るものであってほしくて。死ぬまで、そしてその先も、塵になっても、ずっと友達でいるという約束、いい?」

彼女はただただ泣きじゃくった。

「誰にも永遠なんてもらったこと、なかった。永遠に大切にするね。」

いつもなら車で送っていた帰り道。今日は歩くね、といって、手を振る彼女。大好きな背中は、最後まで見届けられなかった。葉月も、背を向け、車を停めた場所に向かって歩き出す。初めて話したあの夜、どの道に車を停めたかを完全に覚えている葉月に感心していた彼女を思い出す。助手席が、また、寂しくなる。それでもこれからも人生は続いていくわけで、きっと彼女の思い出も彼女への想いも、それから彼女の中の自分も、時間とともに薄れていく。

時間なんて、なんだ。ただ存在するのは永遠と無限だけだ。それを二人ともわかっていれば、それで、いいのだ。

そう思い、最後にいちど振り返ってみる。日が暮れた街に彼女の姿はとけこみ、レプリカのベンチだけが寂しげにまだ見えた。

しばらく行けないな、あのカフェ。視界がこみ上げた涙でぼやけた。

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