主人と私

私の母は、兄弟差別をする人でした。

弟のことは特別可愛がっており、ストレスのはけ口は私になることがほとんどでした。

父は単身赴任で普段は家におらず、母にも母で不安や心細さなどあったように今なら思いますが、母のストレスが爆発すると私だけ居ないように扱われることがあり、口もきいてもらえず、誰にも助けてもらえずとても辛かったです。

勉強もそれなりに頑張りましたし、学校ではいわゆる優等生として認識されていました。明るく振る舞って他の人を嫌な気分にさせないようにしなくては、と家での経験から自然とそのような子どもになったと思います。


ただ、これは大人になってわかることですが、おそらく私はHSPの気質が強く、環境の変化や大きな音、初めての事などに強いストレスを感じる傾向があります。

子どものころは、なぜ私だけこんなにびっくりしてしまうんだろう、なぜみんな遠足が楽しみなんだろう(行ったことのないところへの恐怖が強い)と思っていました。


ずっと無理をして生きてきたように思います。

家庭環境と、もともとストレスを感じやすい反動で思春期以降はアームカットをしたり…

成人してからは異常な量のアルコールを飲むようになりました。

幸いお酒には強い家系で、記憶をなくしたりしないものですから、一人で毎日深酒をしていました。

主人と出会って、一つ一つ正しい人間のあり方を教えてもらっているような気分です。


…謝るんじゃなくてありがとう、でいいんだ。嫌なことがあったら怒っていいんだ。不快な人とは距離をおいていいんだ。と。


全部、今までの私にはする選択肢すら思い浮かばなかったものです。


主人は、アダルトチルドレンだとか、毒親だとかそういう類の言葉は知らないと思いますし、わざわざ説明しようと思ったこともありません。

…し、そう伝えたところできっと私は私だからと言ってくれるような気がするのです。


結婚に際して、本当に私の両親のせいで揉めました。もう私には結婚は無理だと、もうやめようと伝えたことがありました。私じゃない人と結婚したほうがきっと幸せになれるから、と。私にはあの人たちの血が通っているから、いつかそんな汚い面が出てきてしまって迷惑をかけたくない、と。

主人はそのとき、「親の血とか関係ない。まめちゃんだから好きになって結婚したいと思ったんだから」と言ってくれました。今でも、あの状況で(親と主人の板挟みで本当に辛かったです。やつれました)よくそう言ってくれたなぁと主人の覚悟に頭が上がらない思いです。

結局両家の顔合わせが終われば両親もしぼんだ風船のようにおとなしくなり、ようやく私を自分達の支配下から手放せるようになったようですが。

私は結婚を機に、わざと実家から遠いところに引っ越し、両親と物理的に距離をつくることにしました。

結果としてはそれがとても良いようで、今までで一番当たり障りのない関係性でいれていると思いますし、私の気分もとても良くなりました。


近くに主人という素敵な教科書があるので、親と離れて結婚してからが私の人生のボーナスステージだと思うことにしたのです。


ずっといつ死んでもいいと思っていましたし、ある日突然消えてなくならないものかと願いました。


愛される感覚がわからなかったし、周りの人はみんな自分のことを利用している、私は道具にしか過ぎないと思ってきました。


そんな私が、主人という素敵な人に巡り会えて、愛とはおそらくこういうものなのだとじんわり実感しはじめ、そしてそんな人と結婚できたことは人生に与えられたボーナスステージだと思ったのです。

ただ私の顔を見て嬉しそうにしていたり、料理をおいしいおいしいと食べてくれたり、つらいことがあったら寄り添って抱きしめてくれる。

間違っていることはゆっくり話して教えてくれる。

なにより、家が怖いものではないと教えてくれました。

穏やかで、暖かくて、帰ってきてほっとする場所。

誰かがいてほっとするって、こんなに幸せなんだと感じることができました。

主人のご両親もとても温かい方達で、ああ、そんなふうに私も接してもらいたかった。と思いますし、実際今とてもよくしてくださいますので、ご両親のために何か恩返しができないかとずっと考えています。


なので、主人やその周りの人達のために生きようと婚姻届を出した時に決めたのです。

私が頑張ろう。この人が少しでも癒されてまたがんばりたくなる家を作ろう。嫁として、迎え入れてよかったと思っていただけるように努力しよう。


それが、早々に妊娠したことによって主人と意見の違いにつながってしまうとは、思いもしませんでした。