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深夜のまめトーク ♯3「愛されないけど…愛しちゃう?」

 ※今夜は長くなるわよ…🍸

あ〜い〜に〜つ〜〜〜いて〜〜 なにもしらないけど〜〜〜♪♪


さだまさしさんの『愛について』。30代には結構懐かしいかも?

『家なき子レミ』というアニメのOPテーマなのだが、見た当時ガチの子どもだったので話の内容は正直なんにも思い出せない。(制作スタッフさんごめんなさい汗)
しかしこのフレーズだけは妙に記憶に焼き付いている。

そう、私達、愛について結構何も知らないよな。

人類が言語を得て文明を持ってから長い時が経っているのに、相変わらずみんな「」がわからず、「」とやらに振り回されている。

いやマジで「愛」ってなんやねん……???


アンパンマンのともだちは愛と勇気しかいないってもっぱらの噂だが……さだまさしさん的には我々は愛について何も知らないわけだけど、愛が何なのかもわからずに友達認定しちゃって大丈夫そ????

それともアンパンマンには愛の何たるかがわかっているのか?さすが己の顔を物理的に差し出して他者を救うヒーローは違うな……。

…え、待って?アンパンマンって愛と勇気だけが友達なわけでしょ?ということは己を犠牲にしてまで助けてるあの人やこの人は一体何なん…???

いや嘘やろアンパンマン!!!!


さすがに聖人君子ムーブが過ぎるぞ?特に友達ではないけど困っている誰かを放っておけないのか?それだけで物理的に身体の一部を千切って差し出しちゃうの?いくらなんでも懐が深すぎる!!!

……というのはさておき。マジで愛って何なんだろうね?

ネットニュースや新聞なんかで「毒親」の話をよく目にする。
私の友達にも毒親育ちの人がいるし、逆に毒親認定されて子どもから絶縁されてしまった人も知っている。

正直楽しい話題でもないのに、あんまりよく聞くから、「あ〜またそういう話ね…」と食傷気味の人も多かろうと思う。

先日新聞で見た記事では、母子家庭で子どもに生活の不自由はさせまいと仕事も頑張り、愛情も注いで育てたつもりだったのに、何故か突然子どもから絶縁を言い渡されてしまった母親が相談を寄せていた。

その母親からしたら「絶縁」という究極の拒絶をくらうほどの悪意や理不尽を子どもに向けたつもりは1ミリもなかったであろうから、その困惑と衝撃は計り知れないだろうと思うし、文面にもその苦しみが滲み出ていた。

しかして毒親育ちの友人知人の話を思い出すにつけ、絶縁される方というのは大概、本人に心当たりはなくとも、相手にとって悪意や理不尽に取れるような行いをしていたのではないか?という可能性も考慮してしかるべきかとも思う。

一方は「愛してきた」と思っていて、一方は「傷つけられてきた」と思っている。

私は思った。

「あ〜、『愛』ってやっぱ一方通行なんだな…」


結構前の話であるが、私は長年付き合ってきた彼氏にフラれた。

当社比めちゃくちゃ尽くしているつもりだったが、途中から全然愛されている感じがしなかった。

それでも何かレスポンスがあることを期待して尽くし続けてしまったが、それに反比例するように相手の気持ちは離れていくばかりだった。

おい!なんでこんな尽くしてるのに愛されないんじゃ!!!おかしいやんけ!!!


私はめちゃくちゃキレていた。
途中からもはや私の心にあるのは「ラブ」というより「荒ぶる」だった。 洒落てる場合ではない。

程なくして連絡が来なくなった。今もお別れの言葉は来ていない。

もうめっちゃ鬱になった。


マジでうつ病になってしまった。もちろんこれだけが原因ということではないが、決定打には違いない。

恋人にフラれたショックで自ら逝ってしまった人の話などを、なんでそんなことで?って批判的に見ていたことを心底反省した。

これはツラい〜〜〜〜〜〜!!!!!


え、こっちはめちゃくちゃ愛してきたつもりなんですけど???愛してるからワガママ言われてもいろいろ我慢したし、大変そうだからいろいろ手伝ったりもしたよね?なんなら私が全部やってあげたこともたくさんあるよね〜〜〜????

え、こっちからフることはあってもそっちからフってくるのおかしくな〜〜〜い?????


半年くらいこんな調子で怒り狂っては泣き喚いていた。
さすがにこの様子を表に出していたらヤバ味噌ピーナッツなので、もちろん心の中でだ。
しかし、うつはうつ。すぐに生活に支障が出てきた。

こんなボロボロな状態で当然自活できるはずもなく、私は実家に戻って家族の世話になることになった。

家族は私の話を黙って聞いてくれた。
一緒に怒ってくれた。
励ましてくれた。
身体を動かせずにほろほろと涙を流しているだけ私の面倒を一から十まで見てくれた。

え、家族のありがたみマジ沁みるんだが…???


うおおお〜〜ありがてぇ〜〜〜拝拝拝 私みんなに何もお返し出来ないし、なんならいままでもしてもらうばっかりだったのにどうしてこんなによくしてくれるの〜〜???

そこで、ふと思った。

もし自分の家族が同じようなことになったとき、私はどうするだろうか?

多分、同じように、掛け値なしに助けようとするだろう。お返しなんか全然いらない。そもそもお返しをもらうという発想自体が私の胸中に湧いてこないんじゃなかろうか。
だって元気になってもらいたいのは私だから。私がしてあげたいからするのだ


はたと気づいた。

あれ、私めっちゃ返してもらおうとしてたな????


愛したら愛した分だけ返ってきて然るべき!愛されたら愛された分だけ返すのが道理!

…とか思ってなかったか???

家族に求めないことをなんで彼氏には求めたんだろうか???よく考えたらめっちゃおかしくね???
 
相手によって抱く感想が違うのはおかしいのでは???

そっか!!!私、彼のこと愛してるから尽くしてたわけじゃなくて、彼に愛されたいから尽くしてたのか!!!!


この事実に気がついたとき、それはそれはスッキリした。
どうりで頑張っても報われないわけだ。

なぜなら私が相手に尽くすことと、相手が私を愛することになんの因果関係もないからだ。



芸能人、とりわけアイドルが結婚すると世間は必ず騒ぎになるが、そんなとき自担が結婚したオタクたちの反応がよく取り沙汰される。

大抵は「〇〇ロス」などと言ってショックで会社を休んだり、アイドルなのにこっそり恋愛して結婚するなんて!ファンのことを蔑ろにしている!と憤慨したりする様子が見られる。

一方で、
「自担の幸せこそが私の幸せ!!」
「配偶者の方、どうか自担を幸せにしてやってくれ!!自担もどうか配偶者の方を幸せにしてくれ!!」
とお祝いムード全開のオタクも数多存在する。

毎度この反応の違いを不思議に思っていた。
私の反応はどちらかといえば後者である。というか自担が結婚しても活動に支障がなければ特に実害もないし関係ないな、というのが正直な感想だ。

そう、実害である。

自担の結婚に際して悲しんだり憤慨したりするオタクには、この事実は紛れもない「実害」なのだ。

なぜなら「自担が結婚してしまった」という事実は、

自分が彼らに捧げてきた「愛」が、「自分自身が彼らに愛される」という形で報われることは決して無い。


という現実をハッキリと突きつけてくるからだ。


オタクはどこかで夢見ているのだ。

自担と運命的な出会いをして、あわよくば結ばれるという、国会議事堂で石油を掘り当てる並みに確率激低のミラクルが自分に起こることを。

そんなことは絶対に起こらないとは頭ではわかっているけれど。

愛している人から愛されることを夢見たいのだ。

それが叶わないことがいよいよ現実になってしまったことがどうしても受け入れがたいのである。

でも私は思うのです…。

そもそもチャンスがあったとして自担に好きになってもらえるとは限らなくね?????


まず知り合うのが難しいわけだが。
よしんば知り合えたとして、相手に好きになってもらうのはもっと難しい。

考えてもみろ、いままで知り合った人たち全員からもれなく好意を向けられたことがあるか?
どんなにモテる人でも、さすがに全員から恋されることはまずなかろう。

どんなにモテを研究し、努力し、極めたとしてもだ。

だって人には好みがある。
自分が相手の好みにはまらなければ、どんなに努力したって好かれることはないのだ。
どんなに相手の好みに沿うように自分を変えたとしても、その努力ではどうにもならない部分で相手にはまらなかったら、それはもうどうしようもない。

つまり、

相手に好きになってもらえるかどうかは、結局のところ相手次第なのだ。


ここで先ほど挙げた、お祝いムード全開オタクを思い出してほしい。
自担が自分と恋愛する可能性が永遠に閉ざされたとわかっていても全然辛そうじゃない。
むしろ推しの嬉しいニュースにハッピーうれピーよろピくねー!!!と喜びのジョジョ立ちを披露してくれそうな勢いだ。(どんな勢いだ)

それもそのはず。

彼らはそもそも自担に好きになってもらいたいなんて思ってない。

というか自担と恋愛関係になりたいという発想自体ない。
推しはあくまで「推し」。
それ以上でもそれ以下でもないのだ。

そう、自分が自担を好きだから一方的に推しているだけ

相手がこっちを好きだろうが好きじゃなかろうがそんなことは関係ない。

自分が自担を好きという気持ちは、

自担が自分を好きだろうが嫌いだろうが、なんなら全然自分のことを認知してなかろうが、

絶対に揺るがないからだ。


そしてこれこそが!!!

「愛」!!!!!!


…というのはいささか飛躍が過ぎる。

おいおい御豆よ、さすがに自担が自分を好きか嫌いかは関係ないというのは無理筋ではないか?

アイドルにはファンサービスというのがある。そもそも我々ファン、ひいては画面や舞台の向こう側にいるお客を楽しませたいと思っているからこそ、彼らはアイドルたり得るのではないか?

アイドルが提供してくれているエンタメは、ファンたちの愛への見返りとして十分成立しているではないか?

それはアイドルから我々に向けられた「愛」なのではないか?

こんな反論が聞こえてきそうである。

それな!!!


確かにな!
自担が活動してくれてるだけで、愛した分だけ愛されてる感じするよな!
お返したくさん、あげた分より貰ってるよ〜!!!くらい思うよな!!!

でもそれって、個人的な「愛」とは違うのよ。

「博愛」なのよ、それは。


博愛は、大多数に対して向けられた好意である。
それは好意であることには違いない。

でもそれは彼らを愛しているオタク「個人」を、彼らが個人的に愛してくれているのとは違う。

ここに成立しているのは、個人間の愛ではない。

オタクたちの、あくまでもファンとして自担の活動を応援したい、自担の活躍を見たい、という一方的な「愛」。

アイドルたちが自分たちの活動によってお客を楽しませたい、喜ばせたい、勇気づけたい、感動させたい、という一方的な「愛」。

一見すると相思相愛。
だけど実はお互いに勝手に愛を投げつけあっているだけ。

でもだからこそ、

一方的に投げつけあっているだけだと理解しているからこそ、見返りを求めないのだ。


互いに相手がそれを確実に受け取ることをそもそも想定していない「愛」の応酬。

お祝いムード全開オタクが推しに向ける愛は、そういう「愛」なのだ。


さて、長々と綴ってきたが、結局何が言いたいのかといえば、


「愛」ってあくまで主体依存的なものでしかないんだね!


ということである。

…………どゆこと?

要は

愛してるから愛されるわけではない。


ということである。

今、皆さんはこう思ったことだろう。

え、そんなのあたりまえじゃね????


そう!あたりまえの事なのだ!!!


好きな人がいたとして、その人が自分のことを好きである、好きになってくれるとは限らない!
そんなことは誰にでもわかる!

でもそんなあたりまえのことが、なぜかわからなくなってしまうことが私たちにはあるのだ。

それはどういうときかといえば、

自分と相手が個人的な「愛」をやりとりする関係になったときである。


それは恋人関係でもあれば親子関係、きょうだい関係ということもある。

みんな自分が愛されなくても誰か愛しうることを知っているのに、中にはひとたび愛される側にまわると、なぜか愛したら愛した分だけ同じように愛されなくては気がすまなくなってしまう人たちがいるのだ。

私のことなんですけどね。


はっきり言ってこれって思い込みがそうさせるわけですよ。

世の中って、等価交換の法則じゃないけど、かけた分だけ返ってくるっていう構図が一般的ではないか。
100円払ったらそれに見合うだけの物品やサービスが手に入る。1日8時間の労働をひと月続けたらそれに見合った報酬がもらえる。

そういう利害関係を、相手に見出してしまう。

しかし殊に「愛」については、実はそういう利害関係の構図が成り立たない。

なぜなら「愛」はあくまで個人的な感情であり、自分自身の感情は自分で決めることができるが、他人の感情を自分が決定することはできないからである。


たとえば悲しいことがあって落ち込んでいるときになんの前触れもなく他人から「笑え」と言われて心から笑えるだろうか?

表情筋を操って笑ったように見せることはできても、自分の心まで本当に楽しくすることは難しいはずだ。

うまく誘導されて笑うことはあるかもしれない。
しかしそれは、相手が超能力的な何かでこちらの意思を乗っ取ってなんだか笑える気持ちに無理やり変えてしまったからそうなっているのではない。

あくまでこちらが自分の意思で笑うような外的要因を、相手が与えているからに過ぎないのだ。

こちらはなんだか笑いたくなってしまったから笑っている。
これが自分の意思でなかったらなんなのだろうか?


さて、ここで御豆からみなさんにメッセージをば。


私はこんなに愛してるのに、相手は全然私のこと思ってくれない…と嘆いているそこのアナタ!!

私は子どもにこんなに愛を注いだのに、毒親とか言われて縁切られた…って泣いているそこの親御さん!!

そいつはもう見限って、次の愛、探しに行きましょう!!!!


私たちにできるのは一方的に愛することだけです。
どんなに頑張ったとて、相手がこっちを愛してくれるかはぶっちゃけ博打です。

向こうも人間です。こっちがよかれと思ってやってきたことがどういうわけかめちゃくちゃ気に食わなかったのかもしれません。

相手のためを思ってやったつもりが、向こうにしたら苦痛でしかなかったのかもしれません。

お互いそれぞれの価値観で生きているので、それが合わなければそれまでです。相手の心をこちらの意思で変えることはできません。

こちらだって100%相手の望むように生きるのはとても難しいです。

私たちは、お互いに一方的に相手を愛することしかできない。
相手が愛している対象がたまたま自分だったから、愛されてるという状態になっただけ。
相手が自分を愛さなくなったらそれでおしまい。

それでもまだ愛してる…と思うのであれば、便りがないのは元気な証拠、どこかでよろしくやってておくれと御多幸をお祈りするくらいでいいのです。

…ナニソレ!?嫌だ私は愛されたい孤独になりたくない!!!って思った?

だから、次の愛、探しに行こうぜ!!!


あなたの世界にいる人間は、ソイツだけかい?
そんなわけあるめぇ!!

地球にはいっぱい人間がいるのだ。
ワンチャンどこかに相思相愛になれる人間がいるかもしれない。

自分が投げた愛をたまたま拾った相手の愛を、自分が偶然拾うかもしれない。

彼だけが男じゃないことに気づいてって竹内まりやさんも言ってたじゃん!

推して推される最高の仲間!見つけちゃいましょう!


ここまで読んでくれた物好きのあなた!ありがとう!早く寝なさい!!




……ぴぴるぴるぴるぴぴるぴ~♪

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