9年前に植えておいた種。
私は9年前、投資に手を出した。
バリバリのキャリアも無い、ごく普通に田舎で生きる主婦だ。
当時娘が1歳、これからお金がいっぱいかかるであろうというのに。私は銀行に向かい主婦向け雑誌で読んだ「投資信託」をやってみることにした。
そう、普通の主婦でも出来る、ただ数年預けるという簡単なやつでどのくらいお金が増えるか試してみた。結果は大喜びするほど増えてはいなかったが、挑戦してみて勉強になった。その後、別の所でそのお金を使って増やすことにした。次は少しリスクがかかるかもしれない覚悟で、もうどうなってもいいように私のメンタル、生活に支障がないくらいの余裕を保って預けた。
時代に沿ってあれこれ色々預け方を変えたり、旅行資金を貯めるためにNISAまで始めてたら9年経った
あの頃1歳だった娘は10歳wwその間に息子も誕生した。
10歳の娘と7歳の息子がいる2児の母になってた。
私もその間、ずっとバリバリとはいかないが子供達の成長に合わせながら仕事を続けている。
種を植えて9年経ち、少しずつ私の中で心の余裕が生まれてきた。
興味本位で植えた種が成長してきた、子供達の成長と共に少しずつ。
家族の為にやってきたのだが、私のへそくりでもある。
うまく言えないけど、予備としてお金は必要だと思う。将来たっぷり払わないといけないであろう子供達の学費。家族で思い切って遠くに旅行したい時。様々な使い道が出来るように。
どうやら私は貯めながらワクワクしたい人間で、普通に貯めることができない体質のようですww
私は、ごく普通の主婦なので至って普通の生活をしている。
1日があっという間に終わってしまう慌ただしい毎日。
少し前まできっちり仕事して子供達が通う療育センターやカウンセリング、習い事に連れていく日々でとにかく忙しかった。でもそれはそれで子供の成長を感じれる時間でもあり、とても楽しかった。
だがある日突然、世界的に大きな出来事が起こって生活が一変した。
学校が休みなった、療育もカウンセリングも習い事も延期や中止、私も仕事を休んで子供達との自粛生活が始まった。
幸い、住む環境が良かった。子供達と家のそばの海へ行ったり、庭先で遊んだり。家に籠ることなく過ごした、おかげで子供達は春だというのに真っ黒に日焼けしていた。誰もが見てわかるほどにこんがりと焼けていて南の島にでも行ってたんじゃないかぐらい日焼けしていた。
不謹慎かもしれないけど、自粛しながら家で過ごす時間がかなり尊いものになり正直私は楽しかった。子供達と一緒に勉強して遊んでご飯食べて過ごす日々、子供達が生まれて間もない頃と同じ感覚だった。
あの時も家に籠って授乳する日々で買い物もすぐには行けなかった、オムツは定期便でAmazonでお世話になってたし、食材は宅配生協に頼り続けて今年で祝10年。
あの頃と似た感覚、一緒に過ごす子供達をすごく尊く感じる。
コツコツやってきたものが、今活かされている。
自粛するにつれて欲みたいなものもそぎ落とされた
今まで自分や家族のご褒美として外食行ったりお出かけしたり色々やってきた、でも今はそれが制限されていて難しい。
でももしかしたら、このまま外食したりせず近所のスーパーでちょっと良い食材を買って家で美味しく食べて過ごすとかでいいんじゃないかな。
ゆたかさって、目の前の小さな幸せを喜ぶことなのかな。
良い生活をしたいと憧ればかりを追いかけては周りが見えなくなる。目標を持つことも勿論大事、でも少し立ち止まって考えてほしい。目の前に咲いてる小さな花に目を向け、誰かと感情を分かち合う共感する。
周りの人にはどうってことないことでも私達家族は、子供達のちょっとした成長が尊くて喜びでいっぱいになる。
9年前に植えた種が私達に「ゆたかな感情と時間」を作ってくれた。
心に余裕を作り、いざという時に家族で一緒に困難を乗り越えていく
小さなことでも喜んで笑って暮らせるゆたかな心を私たち家族は一人一人持っている。
息子には障害がある、家族はすべてを受け入れて笑顔で配慮してくれる。誰も予想していなかったことだが、すべてを乗り越えて息子を大好きでいてくれる。
息子の障害がわかってから、とにかくすぐに対処できるように時間の確保に動いた。私は仕事に行く日数を減らした、子供達と向き合う時間に費やす為に。私には9年前に植えた種が蕾まで成長してくれている強い味方がいる。あの時の何かわからない謎の種が今になって「味方ですが何か?」と言わんばかりに顔をのぞかせることになるなんて。
9年前の私、いい意味でやりおったな。
生活していくにはお金は切っても切れない縁だ。
お金の大切さを知り、たくさん持っている必要は無いが困らない程度に確保しておかないといけないことは事実。
その使い方や価値観、発想の転換などは心の豊かさで変わってくるのではないかと思う。
これからも些細な幸せの為に種を植えていこうと思う。
何気ない、ごく普通の食卓も心が豊かになれば何でも美味しいのだ。
この間きんぴらごぼうを作った。いつもと違う分量で作ってみた。
それは、これでもかと大量にキビ砂糖を加えてデロデロの甘々に仕上げた。昔、よく作ってくれていた祖母のきんぴらを真似して作ったのだ。砂糖の量を半端なく大量に使うので躊躇して真似できずに作らずにいたきんぴらを何故か思い出して作ってみたくなったのだ。
祖母のきんぴらを完璧に再現できなかったが、普段見向きもしないきんぴらを家族全員がお皿に山盛りよそって食べていた。
砂糖をちょっと贅沢にふんだんに使っただけなのに普段のきんぴらと違って美味しく仕上がり、全然残らなかった。
時々作る程度だし、全然食べてくれる方を選ぶよ。これからは、きんぴらの時は砂糖たっぷり使うよっ。
地味でなんでもない食卓でも美味しければ「心が満足してゆたか」に変わる。
思い出と少しの手間や工夫で幸せに心ゆたかになれるなんて
私はとっても素敵なものを見つけた。
きっと、箸が転んでもおかしいと思って笑う家族だから、箸が転んでも、ただのきんぴらでも幸せに感じるんだろう。
お金と時間と上手く付き合う
今まで色んなゆたかさを経験した、旅行で贅沢したりお出かけして贅沢したり自分にご褒美で贅沢したり楽しかった。
それも素晴らしい思い出にもなるし、それは自分の大事な価値にも繋がってこの先の何かの役にも立つ。
ひとつの出来事がきっかけで、何気ない普通の生活が尊くなった今では、また違った「ゆたかさ」を持つことができた。
これからは自分の経験や価値観を大事にして「ゆたかさとは何か、何が大切で今何が必要か」自分に問いながら、ごく普通の生活が出来ている今に感謝して家族と過ごす日々を大事にしていきたい。
9年前に植えた種と共に成長しながら生きていく。
そして、いつかドカーン!と家族みんなで花を咲かせようと思う
サポートしていただいたものは子供達の活動費として使わせていただきます、活動内容は記事にして報告させていただきます。