世界をお手入れ。
こんにちは、siroです。
noteに触れるまで、私はあんまりエッセイが好きではありませんでした。
それも、ほとんど食わず嫌いのほう。
ただ、自分では一応屁理屈を組んでて
それは、まとまった情報が書いてある文章が一番偉いと思ってたから。
論説文みたいな。
だからnoteを始めたばっかりの頃は、そういった感じのを書いていましたが
いろんなnoterさんたちの素敵な文章を読んでいくうえで、
少しずつエッセイの良さをわからせられていって
エッセイ特有の、
"ひとの日常に潜れる"ことの安心感や楽しさみたいなのを味わえるようになりました。
んで思ったのが、
プロの方々ってどういう風に書かれるんだろうっていうの。
だから
『とあるひととき』
という本を読んでみました。
短編のエッセイ集で、小川洋子さんや吉本ばななさんなどいろんな小説家さんたちが執筆されている本。
それを読んで思ったのが、
世界を捉える繊細な感性には感嘆させられつつも
すごく自然な筆致、変な力が入ってない文章で
これがこの人たちの世界の見え方なのか…っていう感じ。
わざとらしさ、臭みみたいなのが無くて。
そんな、小説家さんたちの生の生活の雰囲気を
自分の日常に取り込める感じがして、めっちゃ素敵な本でしたよ。
その本を読み終わった日の夜、眠りに就こうとしてるときにふと
"言葉でえがく"って不思議だなって思いました。
エッセイって、なにか非言語的な雰囲気を含んでますよね。
音楽とか絵みたいな。
それも、言語を介してです。一見矛盾してるみたい。
言語で非言語的な印象を生み出すには、
綴られている言葉が内包する雰囲気、言葉の裏側を感じ取らないといけません。
比喩とか文体とか。
あと、YouTuberの「命知らずのジョシュ」さんっていう、日本語がべらぼうにうまい外国人の方が言われててはぁ〜ってなったのが、
っていうの。
例えば、私の記事のタイトルを挙げるなら
『もっと、ぼやっとした世界に』
みたいな。全てを言わずに泳がせるやつです。
半ば適当に使ってたけど、意識してみれば確かに素敵な表現技法ですね。
ただ、やっぱり何を表現するかの中身も大切。
『とあるひととき』の小説家の皆さんは
やはり並外れた能力があるというか
日常から既に、世界を捉える目線の鋭さが違うなって感じさせられました。ほんますごい…。
世界の捉え方…
もそうですが、捉える世界そのものも同様に大事に感じます。
夏休み、自室にいもいもしててよく感じるのが、
部屋の明るさ。
あと、換気の頻度とかも。
すごく些細なことにも、心の状態って現れますよね。
逆に考えれば、すごく些細なことでも変えていけば心も変わるのかも。
同様に、インプットする情報の選択も。
ニュースよりnoteとか。
意識は心の環境。
そういう自分の心の雰囲気って、
些細な言葉遣いとかに滲み出ますよね。
幸せとか、そういう大それたことじゃなくっても
細やかにぴちっと自分を律するような、暮らしに対する前向きな姿勢を心掛けれたらいいのかな。
さいごに、
最近夏休み生活も中盤に差し掛かってて、
日常が間延びしてるので一週間だけ連続で投稿してみます!
言っておかないと絶対ひそかに諦めちゃうんでね。
thank you for reading~👋…∠‾❀
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