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生きることはふれること(ふれる・touchリレー#1)

ママタチリレーnote4週目です♫

私たち「ママタチ」は、多摩エリアを中心に
個人であれこれ発信しながら子育てをしている仲間たち4人グループ。
「こんな世界になったらいいなぁ」を、
ママが自分「達」で「立ち」あがって実現していこう!と
応援✖️学びのプラットフォーム作りを目指して
リレーnoteを始めたところです。
今後、もっと仲間も増えていったらいいなぁと思っています。

そんなママタチの英語表記、
よく見るとmamatouchになっているの
お気づきでしょうか・・・

「touch」「ふれる」ということ。

今、密を避けましょう、ソーシャルディスタンスをとりましょう、
ということを守らないとなかなか外出できない時代。
「ふれあいましょう」ということを言いづらい雰囲気になってしまいました。

もちろん、感染を防ぐために、TPOを考えることはとても大事です。
でも、こんな時だけど、こんな時でも

「touch」「ふれる」

を、身近な家族どうし、大切にしたいな、と思ったり。

今週は、「ふれる」についてそれぞれの思いを綴ります。


■ハグ&ビスの文化が大好き。


15年前、ヨーロッパ一人旅していた時のこと。
ポルトガルのリスボンに2週間滞在し、その間、
ポルトガル人、イタリア人、スペイン人、オランダ人、アメリカ人・・・
泊まっていた安宿で出会って仲良くなるゆきずりの友人たちと、
出会いから別れまで、「ハグ」と「ビス(ほっぺどうしのチュ)」
を毎日繰り返していました。
そこにある日、日本人二人連れの旅人がやってきました。
久しぶりに母国の人に会える嬉しさで
抱きつく勢いで近づいていったわたしでしたが・・・

「はじめまして、カヨコです!」

「あ、はじめまして。ヤマモトです。(おじぎ)」

「・・・・・(ウッ抱きつけない)」

それでもえーい!と抱きついちゃえばいいのに
それはできないシャイな自分!

それで、
「あぁ、抱きついて、下の名前で挨拶したかったのにな〜」
「誰よりも、スラスラと言葉で通じ合える相手のはずなのに
心の距離が遠いなぁ、さみしいなぁ」
と感じてしまったのでした。

+++++

たしかに、初対面でも、男女を問わず、すぐハグしてチュなんて
なかなか日本で暮らしていると慣れない感覚です。

でも、わたしは、海外で体験したその「挨拶」スタイルが大好きでした。

気が合うかも分からない、もう二度と合わないかもしれない人だとしても
まずは抱き合って、頬を合わせてお互いの温度を感じる。

「あなたとわたしがここにいて、出会えたことに、祝福を!」

そんな、お互いの存在に太鼓判を押し合うような儀式。

ふと振り返ると・・・
学校で毎日顔を合わせていたクラスメイトでも、
一度もハグしたことない、体のどこにも触れたことないような人も
たくさんいるよなぁ。
なんてもったいないことしたんだろう!
わたし、もっとみんなとハグしたいなぁ!

なぜかと言われるとよく分からないけれど
ハグで挨拶するのって、すごくあたたかい。
ウェルカム感がすごい。
おじぎじゃ絶対に埋められない距離がある。
探り探りの会話なんかしなくても、一気に縮められる。

軽快なトークとか、幅広いうんちくとか、機転の効いた切り返しとか
そんなのが別に得意じゃないわたしでも
ハグがあるからその場に馴染めるんだよなぁ。
日本でも、これ、できたらいいのになぁ。

なんて、思ったものでした。
いえ、今も、思ってます。


■家庭内「悪の枢軸」だった邪悪なバアちゃんをハグ


「悪の枢軸」っていうのは、2002年、911後の世界で
ブッシュ大統領が、北朝鮮・イラン・イラクの三ヶ国を
名指しで批判した時に使われた言葉です。

平たくいうと
その三ヶ国が、世界の悪者だ!
あの三ヶ国のせいで、世界が悪くなっているのだ!
というような意味。

その”政治用語”が、2000年代のわたしの実家ではよく聞かれていました。

80年生まれのわたしは、ミレニアムと同時に20才になり、
2000年代を通じて花の20代を過ごした世代。
大学生活・留学・ひとり旅・海外添乗
という表の顔を並べると、いかにも若者らしい
ウキウキした日常を思い出せるのですが、
その間、家庭内でずっとあったのは、
「超絶気難しいバアちゃんとの同居・看病・介護」の問題でした。

バアちゃんというのは、往々にして気難しかったりするので
「年取るとねぇ。そういうもんですよねぇ。」
とよく言われていましたが、そういう問題ではない、という感じ。

むしろ、歳を重ね認知が緩み出してからの方がずっと付き合いやすく
まだ意識がハッキリしていて自我が前に出てきた祖母は
「世を恨み人を恨むエネルギーだけで生きてます」的な
ドロドロの得体のしれない「邪悪なオーラ」をはなっていて
わたしも、二人の妹も、母も、疲弊しながら暮らしていました。

猜疑心と恐怖心の塊だった祖母は、私たちのことを何かと疑い、
「尽くすのが当たり前」というお姫様スタンスで
そもそも、悪どいことや差別的発言などをあられもなく言う人だったので
邪気にあてられてこちらがグッタリ。
特に、長年そんな祖母をケアしてきた母(祖母の実の娘です)は、
いろいろな事情から祖母に対して複雑な感情を持っていて、
娘のわたしはついつい、母の味方をしたくなったものでした。

そんな私から見た祖母は、「世界の悪の根源」とほぼ同義の存在で。

ブッシュ大統領の政策には反対でしたが、その言葉の面白み?だけ拝借して祖母のことを「我が家の悪の枢軸」と、揶揄していたんですよね。
そうとでも言わなきゃやってられないよ、という感じで。

でも、そこから遡ること、約5年。
ふと、さみしそうな祖母の背中に気がついた日がありました。
それは911の同時多発テロが起こるより何年も前、97年くらいのこと。
まだふわふわして地に足のつかない高校生だったわたしですが、
ふてくされてひとりぼっちでダイニングに座り
昼食を食べている祖母の背中を見た時に

「この人の今の姿は、家族の中で孤立しているこの人の存在感そのものだ。
 こんな風に、みんなに背を向けて、ひとりぼっちで。
 孤独な人が、急に優しくなったりするはずがない。
 さみしい人が、急に心を入れ替えたりできるはずがない。
 こんなにさみしそうな人が、家の中にいてはいけない。」

と思い、「母を守るために」という名目で、
ためしに祖母に抱きついてみたんです。

内面的には憎らしかった祖母も、見た目はほわほわのおばあちゃん。
「なんだこのほっぺ」とぷにぷにのほっぺをつまんでみたり
髪の毛をといてやったり。

すると祖母は、「うふふ」とくすぐったそうに笑うのでした。
内心「こんのてめぇ」と思いながら、のこともよくありましたが
それでも、「可愛いところもある」とこちらが思ってまずは触れてみる。
すると本当に、祖母のかわいい面が引出されたりするんです。

とはいえ、その後も腸が煮えくり返るような出来事は
ガンガン起こりました。無理難題を要求されたり
感謝どころか悪態ばかりつかれていると
「ハグして損したぜ!」みたいな気持ちにすぐなってしまうのですが、
それでも、「ふれよう」という気分になれた時だけは素直に
ハグ、なでなで、スキンシップ。

そんなことを続けているうちに、じっくりゆっくり時間をかけて
祖母が柔らかく、かわいい顔を見せてくれる時間が増えていきました。
最後には、認知が相当緩んで自我が消えていったことにも支えられ
祖母の「素」が前に出てきて。
安心しきっている乳児のように、私たちの好意を素直に受け取って
ニコニコと喜んでくれる、無垢なおばあちゃんに大変身。

ハグして、ふれて。
わたしだけじゃなく、家族全員の
かかわりやスキンシップの効果が積み重なって、
「自分はひとりぼっちじゃない」と
だんだん祖母が思えるようになったんじゃないかなぁ。
そのおかげで、「悪の枢軸」ほどに憎らしかった人と
わたしの間に橋がかかっていって・・・

「枢軸」なんて、どこにもなかったんじゃないの、本当は?

だって、
あんなに、薄汚くて上から目線で息をするように
毒ばかり吐いていた祖母の
本当のど真ん中にこんなに素直できれいなものがあったなんて。

それはなんだか、
すごく美しい「人間という生き物のヒミツ」
を見せてもらったような感動と喜びがある経験でした。

そして、
世界で一番遠くに感じた祖母を大好きになる旅の始まりは
「ふれる」を決めたあの日の決断があったような気がして。

いろいろな傷を背景に、恨みや不安に取り憑かれている人
そういう人も、本質が腐ってるわけじゃない。
人間て、本当は、すごい希望の塊かもしれない。
だからこそ、ひとりひとりの「素直」な姿を大切にし合えたら。
どんな人のことも、好きになれるような世界が
ありえるんじゃないだろうか。


これは、わたしの人生の「北極星」の一つになっている大切な経験です。


■二度と再現できない時を思い出す記憶の装置


思い出を蘇らせてくれる装置といったら・・・

ビデオ、写真、カセットテープに残る
姿、声

「あ」と一瞬で消えてしまう
匂い

一緒に食べたかき氷やわたあめの


目で見たもの、耳で聞いたもの、鼻で嗅いだもの、口で味わったもの

どれも、五官で感じた大切な大切な記憶の一部。

でも、

目で見た映像は、もう、それが本物の記憶なのか、後から写真などで見たものなのか、分からない。意外と、記憶の中の姿って、おぼろげ。

声も、留守電の自分の声がすごく変に聞こえるように
録音されたものって、どこか、もう本人のものではない。

その人の匂いは、しばらくの間持ち物に残っていても時間とともに薄れていくし

味覚の記憶も毎日の食生活の中で上書きされていく。

その一方で、

どうにも再現のしようもなく記録のしようもない
そこに「ある」かどうかは、私自身の体感の中にしかない
そういう意味で、一番存在を確かめにくい「皮膚感覚」が
時間の流れに堪えて、ずっとずっと、
わたしの中に残ってくれているように感じる
のです。

例えば、
7才の時に突然亡くなった父の
肩車の時に触れた、顎髭のモジャモジャチクチクした手触り
胡座をかいた膝に座った時のどっしりとした安心感

幼い日に母が
「あなたが危ない目にあったらどこにいてもママが助けに行くから大丈夫」
と抱きしめてくれた時の包まれる感じ

311の直前に亡くなった祖母を
何度もベッドから抱き起こした時のパジャマ越しのふわふわした背中

どれも、もう、通り過ぎてしまった再現できない景色

でも、それを思い出す時に、皮膚を通して伝わって
身体のどこか奥の方の優秀なハードディスクに
かなりの解像度で感覚として残っているものが
「ふれた時の感じ」
なんですよね。

いくら言葉にしても、どうにも再生しようがない感覚なんだけど、
とってもたしかで、時間に影響受けず色あせないし
そして、何より、
わたしの身体とふれている対象の間だけで感知されているものなので、
世界でたった一人、わたしにしか分からない感覚。

ひとりじめしている。そこに、なんかすごくホントがある気がして。

「ふれる」ってことを信用したくなるんですよね。


■「生きている」=「ふれる」?


あれこれの、
「ふれる」をめぐるわたしのエピソードを振り返っていくと、
人間の一番剥き出しで深いところと
「ふれる」はつながりやすいような気がしてきます。

常々思っていることなんですが、

この世界に「生きている」ことと
「死んでいる」状態を分けているのは何か

というと、それはまぎれもなく
「肉体があるかどうか」ということだと思う
のです。

わたしは、死んで終わりじゃないと思っているのですが
(というか、死が常態でこっちが旅行中みたいな感覚)
もちろん世の中には、
「死んだら無になる派」の方もいて。
それについて議論する気はないのですが、いずれにしても
「死んだら肉体は無くなる」のは共通。

どこからどう切り取っても

「肉体」=「カラダ」

これがあるっていうことが、
「生きている」の本質なんだと思うんですよね。

その中で、
目が見えない、耳が聞こえない方はいますし
匂いや味の感じ方はかなり多様性があるものではないかと思います。

でも、皮膚で感じる「ふれる」の感覚に関しては。

「嫌なふれ方」と「心地よいふれ方」
はかなり大部分が、万人に共通しているような気がするのです。

もちろん、「ふれられる」経験にも幅がありまして

「嫌なふれ方」でふれられる経験が多いと、
皮膚での接触に抵抗を感じることもあると思いますし、
生まれつき皮膚感覚が敏感だったりいろいろな個人差があります。

なので、「万人」と言い切るのは少々乱暴かもしれません。

ただ、
皮膚だけは、それが無くて生きていける、という人がいないのでは
と思うんですよね。

人類全員が、「生まれた」ことがあり、これから「死ぬ予定」である。

これだけは絶対に揺るがない万人の共通項だと思うんですけど、
そのことと、
「皮膚が無くて生きている人はいない」ということを掛け合わせると、

「生きていることは皮膚を通して感知する世界とともにある」

と言っても過言ではないのかもしれない、と思うのです。

「生きている」=「ふれる」

だからこそ、すべての人にとって「ふれる」の体験が、
心地よく温かいものであって欲しい、と、
暴力や様々な虐待のニュースに触れると心が痛みもするわけですが、
そこにまた、人類の希望もあるな、と思います。


■夫と息子とわたしの今に「ふれる」


そんなわけでわたしにとって「ふれる」というのは、
人生と切っても切り離せない、ものすごく大切な意味を持つ営み。

本当は、会う人会う人に抱きつきたい気持ちを今も持ちつつ
シャイ故に日本人らしく、お辞儀をしている毎日なのですが(笑)。

その分、夫と息子には、とことん「ふれる」を実践しよう!
と、家庭内ではたくさんスキンシップをしています。

結婚7年目に突入した夫との間では、
もうすでに「ロマンス」の気配はほとんど消え去りましたが(笑)

それとこれとは関係なくて
「夫が生きていて、今ここにいる。一緒にいる。幸せー」
ということを実感して、小さな感謝とハッピーを積み重ねたくて
何かと触れ合いに行っているワタクシ。

「おっとっとっと」とわざとよろけたフリをして抱きついてみたり
(命中率2%くらいで大抵よけられます)
ちょっと前に突き出てきたお腹をポンポン叩いてみたり
最近はコロナロングバケーションでめっきりそういう機会も無いのですが
仕事がある時は、必ず、「いってらっしゃい」のハグを玄関で。
・・・ただし汗だくで帰宅するので「おかえり」は「先にシャワー浴びてきなさーい!」と拒否なんですけど(笑)

息子とは、朝目覚めた瞬間
「おはよーのギューしていい?」
から一日が始まります。

三歳息子に
「ダメ」とふざけてかわされる日もあれば
「もちろんですとも」と応えていただける日もある、切ない母です(苦笑)

日中は、息子と張り合い、脅し脅され、謝り謝られ、叱って怒って諭して!

まぁ、どこにでもある?「3才男児との生活」が繰り広げられるわけですが

夜寝る前はまた、
「今日も会えて嬉しかった!明日も会えるといいな。」
「お母さんの宝物だよ。だーいすき」
とハグしながら締め括ります。

もちろん、そんな締めの儀式をする余裕なく
「ウルセーはやくねろー!」で終わるときも、
気づいたらわたしが先に寝落ちしてることも、多々ありますが・・・

ちなみにここでも
「お母さんきらーい」と言われることもままあります(笑)

昨日は
私  「明日はお母さんのこと好き?」と聞くと
息子 「ううん。」
私  「いつまでお母さんのこと好きじゃないの?」
息子 「すうしゅうかん」
私  「なっが!」

長すぎてちょっとビビリましたが、今朝は「好き」と言ってくださったのであまり真に受けないようにしています(笑)

機会があれば、「ふれる」がたくさん盛り込まれている
「わらべうた」であそぶこともあります。

大切なことを話しかける時は、
膝の上に座って、または、手を握ったり背中に手を当てて。

それは、息子に限らず、大切な相手には心がけています。

それは、人類最大の「おそろい」である「皮膚」を通じて

「あなたがいてうれしい」
「あなたの存在は無根拠に価値がある」

ということを伝えたいからでもあり・・・

「ふれる」ことを通して

私自身が相手から

「あなたがうれしい」
「あなたの存在は無根拠に価値がある」

と言われているような気がするからでもあって。

ふれながら、ふれられて。
ふれられながら、ふれて。

存在の喜びを確認し合う、大切な儀式。

毎日の生活の中でそうして触れ合ったカラダの記憶というものは
「あの時ああしたな」と具体的に思い出せる景色として残らないとしても、
なんとなくの体感として、蓄積されていくものなのだと思うんです。

数年後、数十年後、

息子の中にも、記憶にも残ってないような今のこの日々の中で
無数に抱きしめられた経験が積み重なっていて
ふとした時、折れそうな時にも
「なんとなく自分て大丈夫な気がする」
と思える根拠になってくれたら。

なんて思いながら息子に抱きつくわたし自身が
誰よりも気持ち良くて、その瞬間瞬間の幸せをもらっている日々です。

「ふれる」の喜びを教えてくれた
両親、祖母をはじめとする家族や
行く先々で触れ合ってくれたたくさんの人たちに感謝!

それにしても・・・ハグ&ビス、やっぱり懐かしい。

良かったら、黙って両手を広げてみてください。
わたしでよければ、イエー!て飛び込みますよ〜(笑)

+++++

写真は、水曜担当osoto社長&カメラマンのゆかちゃんが撮ってくれたわたしと息子。大のお気にいりの一枚です。
「ふれる」って気持ち良いんだろうなぁ、て伝わる気がしています。
どうですかー?

■プロフィール■
まるやまかよこ 東京都日野市在住。一児の母。
チャイルド・ファミリー・コンサルタント(NPO法人子育て学協会)
わらべうたインストラクター(教育研究所ゆずりは)
おもちゃコーディネーター・保育士有資格
元海外添乗員・通訳案内士(英語)TOEICスコア960
「子育てが100倍楽しくなるママのための英語レッスン(仮)」開発中♫

保育観察:50クラス以上、のべ300名以上の子どもたち
旅:25ヵ国の海外滞在・旅案内経験
HSC・グリーフなどの痛みを「旅✖️学び✖️感謝」
を活用して乗り越えてきた(現在進行形)サバイバー

モットー
「世界を変えたければ自分が変わる」
「あらゆる声を聴き合う」

ミッション
「”負の連鎖”を止める」
「愛で分断を乗り越える世界を体現していく」

旅写真エッセイも書いてます♫


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