君の話(ダスト・エッセイ)

20代前半で、自分のことを上手に話せないというコンプレックスを打ち明けてくれた人がいた。彼女にとって、僕はそれが得意な人間らしい。

その場ではすぐに言えなかった。上手に話すのは、飾りに過ぎない。出て来れそうな言葉を順に手招きして送り出すように、ぽつぽつと出せばいい。そうすれば、君が普段他人にしているように、他人が君のぽつぽつの整理を手伝ってくれる。

そしてそもそも、他人も僕も、君の話を聞きたい。

これが言えなかった。



小説を書いている友人がいる。時々飲みながら、創作について語り合う。お互い日の目を浴びていない中で、安酒に花が咲く。

毎度の如く、彼は帰り際に、面白かったと言う。何が面白いのかというと、頭を使うことらしい。僕と話すと、僕との対話をしながら、自分との対話が始まっていく。多分、彼はそう言っている。

作品の読み取り方について話し始める。彼が、まあ結局感想は人それぞれだねと結論づけようとする。僕は彼が腰掛けようとする椅子をスッと後ろに引く。待て待て、いやなんでなんだ、と。なんで君はそう思って、他人はあー思って、君と他人はこんなにも違う感想を述べているのか。

我ながら面倒な人だなと思っていると、彼は10秒近く考え込んで、僕の問いに答えてみる。それまでのやり取りにはなかったことばかりが、答えの中に含まれている。無理やり作った答えのように聞こえなくもない。でも、その、もう穴底をシャベルで引っ掻いて嫌な音が鳴るような時に、やっと、奥にいる彼と話している気分になる。



僕は、彼女にもう一つ言うべきことがあった。

僕も、誰かに自分のことをあまり話さない。小学校の通信簿では、毎年担任の先生が、もっと自己主張できたらいいねと書き添えていた。それはなかなか苦しいことだからに違いない。

そんな僕が自分のことをたくさん話すことができたのは、彼女が、僕の話を聞きたいと言ってくれて、質問を重ねてくれたからだった。

(2023年10月5日投稿)

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